見出し画像

通知表をなくす

通知表をなくすなんて言うと、とんでもないと言う人が多いでしょう。
でも、少数ではありますが、全国でもすでになくしている小学校もある。

そもそも通知表に記載されている成績(数値)は、評価ではなく、評定である。
評価は、その子の学習状況を具体的に把握し、次の学習に活かすための材料であって、具体性のない評価はありえない。

よく、形成的評価という言い方をするが、評価の概念にはもともと「形成的」な概念が含まれている。
形成的評価とは、学習の指導過程において学習の達成度を評価することであり、形成的評価を受けて学習活動と指導方法の軌道修正を行う。
だから、評価の本質はその形成性に基づかなければそもそも成立しない、はずである。

それに対して評定は、ある地点での評価をピンポイントで(瞬間的なものとして)捉え、一定の基準で数値化したものであり、評定の数値が次の指導や学習に直接活かせるものではない。
だから、学校教育にとって評価は欠かせないものであるが、評定はほとんど子どもに還元するものがないという意味でなくても構わないのである。

ところが、現役の教員でさえ、この違いを十分に理解しているとは言えないのが実情である。
もし、本当に理解しているのであれば学習状況(それもほんの一瞬にしか妥当しない状況)を数値化するための情報収集(主にテストの実施とその採点・記録など)や基準への照合に追われ続ける。
学期末が近づくと、ほとんど徒労に近い業務に多くの時間を費やしている。

私は、通知表をなくすかどうかは大した問題ではないと思っている。
それよりも「評定」をつけて子どもに渡すことに大いなる疑問を感じるのだ。

しかも、今は「絶対評価」である。
これほど無意味なことはない。
絶対評価が無駄なのではない。
理想的な評価を実現するためには絶対評価は欠かせない。
だからこそ、無意味だと言っているのである。

つまり、絶対評価は指導と評価を一体化させて、次の指導に活かすために考えられた評価方法なのであるから、具体性と即時性が伴わなければほとんど無意味なのだ。
極論のように聞こえるかもしれないが、絶対評価は毎時間ごとになされるべきもので、そうであるからこそ、具体的に次の課題が子どもにも見えてくる。学期全体をまとめて数値化しても意味がない。どの時点の、どんな内容の評価をしているのかさえもさっぱりわからない。

毎時間必要である絶対評価を平均したような評定は、あたかも客観的に見えるだけに質(たち)が悪い。
客観的な数値は、受け取る側からするとそれがすべてであるかのように映ってしまう。

私は絶対評価を学校に導入したのは正しかったと思っている。
しかし、それを評価とな無援であるはずの評定という数値に無理やり当てはめていることが納得できないのである。
そんなことをするくらいなら、通知表の評定など百害あって一利なしと言っても過言ではない。
絶対評価を子どもや保護者に還元する(本来は保護者に還元する必要はないが)なら、日々の授業で積み上げてきたポートフォリオなどを示して丁寧に説明する時間を設けるべきだろう。

どうしても通知表が必要だというのなら、せめて文章表現にする必要がある。
しかし、そもそもその時その時に子どもに還元してこその評価を改めて学期末に短い文章にまとめ直すのは時間の浪費でしかない。
そこまでこだわるならいっそのこと相対評価の方がいい。
なぜなら、相対評価はその子の学力の状態を示すものではなく、全体の中の
(狭義の学力の)「位置」を示すものだからだ。
全体の位置を知らせることが教育上必要と考えるなら、子どもや保護者に相対評価で算出した「評定」を示せばそれなりの意味はある。
しかし、教育に関わるものの中で評価の基準を他人との比較に置くことをよしとする人がいったいどれだけいるだろうか。

通知表の是非を考えることは、評価の在り方を問うことである。
そして、どんな方法で評価を行うかは教育の核心部分である。
そして、評価は(狭義の)学力だけを対象として行うものではない。

通知表を作成する膨大な時間を
子どもや保護者との対話に回す方がよほど意味があるだろう。

ただ、唯一問題なのは
いまだ、少なくない自治体で公立高校入試の際に調査書の評定を点数化して合否に勘案していることである。

学校改革、特に義務教育の改革の肝は、
教員の意識改革ではない。
評定を絶対評価でも示せると勘違いしている地方自治体の要職に就いている人たちがいかに正しい専門性を持ちうるかにかかっている。

矛盾に気付いた自治体では、法定根拠のある調査書を中学校側に提出させはするものの、点数化しないという英断を下している。
それでも入試は成立するのである。

いよいよ評定の意味はないではないか。

とにかく、数値化できるはずのない絶対評価を評定というブラックボックスに入れて、あたかも数値化が可能であるかのように子ども、保護者に知らしめる装置である通知表は、1日もはやくなくすべきだ。

いいなと思ったら応援しよう!