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現実はいつもグラデーション

「人間の眼で感じられる波長の範囲(可視光)は。380nm~780nmに限られている。それに対してミツバチの目はミツバチは、300nm~650nmである。人間には見えないが、ミツバチにはそれが見える。逆にわれわれが赤と見ているものをミツバチは黄色のように感じている」

滝沢広忠(1994)『日常性の心理学』北樹出版、p22

これは、「環境は生活体によって違って知覚される」(滝沢1994、p22)ということで、生きものの種類によって見えている世界が違うというわけです。

同じことが人間でも起こります。
滝沢氏によれば、日本人は虹の色を7色だと当たり前のように思っているけれど、アメリカ人は5色程度にしか見えていないであろうとのことです。

私たちは常日頃、自分の目に映るものを客観的に存在するものであると考えていますが、実は万人に共通する客観的なものは存在しないのです。
言い換えれば、実際に存在しているものも人によって見え方が違うわけです。

現象学的社会学者のA・シュッツは、現実は多元的であると言っています。
シュッツは、人は自らの関心に対する関連性の程度(レリバンス)によって対象を選択しながら生活していると述べています。
その関連性の領域は、おおまかに言えば以下の四つの層をなしています。

第一次的領域
「最も関心があり当面の問題の切迫のために詳しい知識が求められ、それに基づく理解が必要とされる対象群」
第二次的領域
「当面の関心や目的にとって単に道具(手段)となるような領域」
第三次的領域
「何らかの変化が起こり、それが自分にかかわりをもってこない限り、注意の対象が向けられない領域」
第四次領域
「変化が生じても(当面の関心に)なんらかかわりをもたないと思われる領域」

そして、これらの四つの領域は明確に分かれているわけではなく、第一次から第四次までがグラデーションのように変化し、ときには混ざって目の前に現実として現れるのです。

例えば、一匹の犬を見るにしても、犬にさほど興味のない私には「ああ。白い犬だ」と思うくらいですが、ブリーダーは犬の種類はもちろん、毛並みの状態や健康状態にまで見抜いてしまうかもしれません。

私の友人に犬の品評会によく参加している人がいましたが、彼などは犬を見るたびに「目つきがよくないからだめだ」とか、
「立ってる姿を見れば品評会でどのくらいの評価が出るかがわかる」と言っていました。
彼にとって犬は、「品評」する対象だったのです。
当然、私にはまったく見えない細かい部分まで見えていたのでしょう。

さて、私たちが生徒を目の前にしたとき、シュッツの四つの領域(関心度の強さ=レリバンス)のうち、どのレベルでその子を見ているでしょうか。

例えば、行方不明になった生徒に対しては必然的に第一次的領域となるでしょうし、真面目でおとなしく一切問題行動を起こしたことのない生徒には、第三次的領域レベルの見え方になっているかもしれません。
生徒によっても、状況によっても違いますので一律には言うことはできません。

でも、少なくとも第四次的領域に追いやることだけは避けたいところです。

シュッツは、第四次的領域について
「空を飛ぶ鳥や飛行機、あるいは風景など、よほどのことがない限り、直接かかわりを持たないと思われるもの」
という説明を加えています。

自分のこれまでの教師生活を振り返ってみて、第四次的領域レベルでしか見ていなかった子が一人もいないのか? と問われれば、
正直自信がありません。

まさに後悔後に立たずです。

参考文献
・片桐雅隆(1982)『日常生活の構成とシュッツ社会学』時潮社
・アルフレッド・シュッツ著、森川眞規雄・浜日出夫訳(1995)『現象学的社会学』紀伊国屋書店


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