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いよいよその時がやってくるのか? 高校授業料実質無償化の先

どうも胸騒ぎがする。
かねてから、そう、すでに30年以上前からぼんやりとした不安が、今、現実のものになろうとしている、のかもしれない。

国会では、与党と維新が高校授業料実質無償化で合意に達し、来年度の政府予算が衆議院を通過する見込みとなった。

高校の授業料が実質無性になるのは悪い話ではない。
私の胸騒ぎは、これによって、いよいよ公立高校の存在理由が薄まったということだ。

私は、公立高校のあり方が(特に地方では)殿様商売的、上から目線的対応であることにずっと不満を持っていた。
だから、国が私立高校に年間40万以上の支援をすることで公立高校が、持つべき危機感を持つことはいいことだとは思う。

ただ、この流れは本当に授業料の実質無償化だけですむのだろうか。
その背景に、公立高校を子どもの減少率以上に減らそうという意図が本当にないのだろうか、と勘繰ってしまうのである。

こういう話になると、いつも思い出すのは2005年8月末にアメリカ合衆国南東部を襲った大型ハリケーンカトリーナ後の教育施策である。
いわゆる「新自由主義」に基づいたショック。ドクトリンである。
このとき、ルイジアナ州に雨後の竹の子のように「チャーター・スクール」が設立され、教職員の大量解雇が行われた。

今回の授業料無償化は災害とは無縁であるが、都市部では3割から4割の児童が私立中学を受験しそのまま私立高校に進学するところもあるなか、私立高校への支援を拡大することに、なんとなくすっきりしない感覚がどうしても拭えないのである。

私が、ひねくれた性格だからこんなことを考えるのかもしれないが、もしかしたら、ゆくゆくは公立高校がチャータースクールなどの導入によって企業の参入を目論んでいる者がいるのではないかとさえ思うこともある。

私の住む田舎では、「そんなことは杞憂に過ぎない」という人が大半を占めているに違いない。
けれども、実際、その田舎でさえ公立高校の多くは定員割れを起こしている。
多彩なカリキュラムを準備した私立通信制高校も躍進を続けている。
これは、単に生徒数激減に公立高校の統合が追いついていないだけの問題ではないのではないか?

奥歯にはさまったものを全て取っ払ってはっきり言えば、これは公立潰しの一環ではないのか? 
誰かが自覚的に進めているかどうかは分からないが、事実として公立高校は年々衰退しつつあるのではないか。

いまこそ、公立高校は正しい危機感を持って、本当に生徒が魅力を感じる学校改革に乗り出さないとハリケーンも来ないのに、公立高校は見限られるかもしれない。

万一、高校がそうなれば、次は中学校である。
すでに、都市部の小学校の1月は、私立入試のために教室がガラガラになって授業が成立しにくくなっているという。

もう、猶予はない。
いますぐ、何らかの手を打つべきだ。
授業料だけでなく、教材費や、修学旅行費、私立の施設設備費などへの援助が始まる前に、動き出さなければ公立高校はその存続さえも危うくなるかもしれない。

私の胸騒ぎが杞憂で終わる可能性はそんなに高くない、と私は思っている。

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