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我、自問せり

世間で親孝行は子どもの義務だと言うのは常識である。
親は自分の歴史でもある。
少なくとも自分の過去の時間の最重要人物であり、
その愛情は海よりも深い、
というのは、おそらく本当だろう。

けれども私たちは、
どんな理想も、どんな倫理も
それらが強く常識であると人々に浸透していればいるほど、
その「当たり前」によって、
潰されそうになる者が
絶えず生み出されていることを視界に入れなければならない。

虐待は親が悪い、というのは簡単である。
不登校は親の躾に問題がある、
と言って、全てをわかったような気になることもできる。

けれども、私たちは想像しなければならない。
ほんのちょっとした偶然によって、
虐待せざるを得なかった者の心根を。
懸命に子の成長を願ってきたにもかかわらず、わが子が学校が怖いと言い出す苦しみを。

私たちは知ろうとしなければならない。
私たちの多くは、常識の側にいることを。
それは、
本当は宝くじに当たったようなものなのかもしれないということを。

私たちは自問しなければならない。
世の中の目に見えない大きなうねりの中で、
置き去りにされていながら、何も抗する手段を持ちえなかった人たちを、
当たりくじを片手に悪者扱いすることがなかったか、と。



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