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「我思う、ゆえに我あり」という主張の矛盾点を提起してみた

デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という主張は、全てが幻想だと仮定した場合でも、自分が疑っているという行為自体は疑うことができないという点に基づいています。つまり、「考える」という行為そのものが幻想であるかもしれないと疑うことは、その疑い自体が考える行為を含むため、無限に後退するパラドックスが発生するということです。
しかし、この考え方は「全てが幻想である」という仮定と「考えることは幻想ではない」という推定との間で矛盾が生じています。ただし、これらの考え方は「パラドックスが発生した場合、その事柄は偽である」という人間的視点による考え方を前提としており、どちらの考え方も真実としては乏しいと考えます。しかし、「人間的視点による考え方を前提としており、どちらの考え方も真実としては乏しいと考えます。」という推定も人間的視点による考え方を前提としています。そこで、人間の言語、思考範囲では真実を見つけることはできないと考えました。人間の言語、思考範囲から脱出することは難しいと考えられ、また、新たな言語、新たな思考範囲を見つけることも難しいと考えます。なんてことも、人間的視点による考え方であり、人間的視点による考え方は悪だという考え方も人間的視点による考え方です。この世の全てを疑ってしまうような最悪な文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

人類史を築いてきた方達を否定するような意はないです、不快になられたら申し訳ありません。


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