第103話 藤かんな東京日記⑲〜劇場アニメ『ルックバック』を見て号泣・嫉妬する〜
映画『ルックバック』開始20分で泣く
「ルックバック、観に行ったほうが良い」
2024年6月29日14時、社長から突然LINEが来た。私はひとまず「ルックバック」とパソコンで検索し、検索結果の1番上の記事をクリックした。
<劇場アニメ『ルックバック』藤本タツキ(「チェンソーマン」)が放つ青春物語が劇場アニメ化!———>
どうやら映画なようだ。チェーンソーマンを描いた人か。ちなみに私はパワーちゃん推し。
記事を読んでいると、社長からYouTubeのURLが送られてきた。タイトルはこう。
<『チェンソーマン』作者・藤本タツキの読み切り作品『ルックバック』について! 怪物級の閲覧数となった大バズり作品の凄さとは?>
さらに続けて社長からLINEが来た。
「傑作中の傑作。創作者が見るべきモノでもある」
私は送られてきたYouTubeを流しながら、『ルックバック』が上映している映画館を検索した。自転車で20分で行ける映画館で上映している。1番早い回は16時45分。チケットはなんと完売。その次の18時25分の回も10席ほどしか空きがなく、前列の両端しか空いていない。首が痛くなるのを覚悟で、最前列の左側の席を購入した。むちゃくちゃ人気なようだ。
映画を観終わった後、私の顔はパンパンに腫れた。開始20分からの号泣。そしてその後も終わりまでずっと涙と鼻水を流し続けた。
今の私には響きすぎる・・・・・・。
映画館を出て、近くのマクドでコーラを買い、興奮した気持ちをスマホに書き残した。
涙腺スイッチが入ったのは青春を思い出したから
猛烈に興奮した感想を述べる前に、まず映画のあらすじを書いておこう。
まず涙腺スイッチが入ったのは、藤野が京本から「ずっとファンだった」と告げられ、その後、藤野が家に帰るシーン。勝手にライバル視していた京本から憧れられていたと知り、藤野は雨の中、感情を抑えつつ、飛び跳ねながら走って家に帰る。もうここ号泣。
きっと号泣するシーンではなかった。周囲の観客に、なんでこいつ泣いてんねん、と不審がられるのも恥ずかしかったため、涙と鼻水は流れるままにだらだら流した。おかげでTシャツの襟口はびしょびしょになった。
私は何故あのシーンで、感情が入ってしまったのだろう。嬉しいでも悲しいでもなく、どこか懐かしい気持ちだった。飛び跳ねながら家に帰って、また必死に漫画を描き始める藤野。そうだ、私にも似た経験があったんだ。
———大学2年生の頃、私の書いた文章が初めて公の雑誌に載った。『読書のいずみ』という雑誌で、大学生協の書籍コーナーに置いてある、読者参加型の読書情報誌だった。
私はその雑誌に何度も何度も、本の感想を送っていた。送った感想が時たま、雑誌に掲載されることがあったからだ。それが楽しくて、狂ったように本を読み、感想を書き、送り続けていた。きっと1年で100冊くらいの感想を送りつけていた。送られる側は、もはや怖いよね。
そんな私の熱量が届いたのか、雑誌の発行者から「記事を1ページ分、書いてみないか」と依頼が来た。まさかの事態に狂喜乱舞し、張り切って記事を書いた。
自分の文章が掲載された雑誌を手にした時、感動と興奮で体が内側からはち切れそうだった。この気持ちをどこかに発散したいけれど、発散する場所も相手もなく、夜中、スーパーにアイスを買いに行った。バニラの渦巻きソフトクリームを買って、スーパーの近くの川縁で食べた。家ではない開放的な空間で、まだまだ興奮に浸っていたかったのだ。
そうだ今の気持ちを書き残しておこう、とアイスを食べながら、携帯のメモにバチバチと打ち込だ。その時、事故は起きた。川に携帯を落としてしまった。
落ちた瞬間のことは今でもよく覚えている。私は頬を引き攣らせながら、静かに川を眺め、「そんなこと、ある?」と何度も呟いていた。本当に焦った時、人間は帰って冷静になる。それを初めて実感した瞬間だった。
川に入って携帯を救出した。電源は入らない。ひとまずアイスを完食し、家に帰った。そして、さっきまで携帯のメモに書いていた文章を、改めて日記帳に書いた。携帯はびしょびしょのまま、自然乾燥で放置。この短時間で起きた様々な興奮を書き残すことに必死だった———。
映画の開始20分で、この時の狂気的で、滑稽で、愛おしい青春を思い出した。号泣せずにはいられなかったよね。
つまりは藤本タツキさんに嫉妬
ここからは少しネタバレ。
藤野キョウのマンガ連載が決まる。しかし、これまで一緒に漫画を作り上げてきた京本は「私は美大に行きたい。連載は手伝えない」と言う。それに対して藤野は「京本なんかが美大ではやっていけない」とキツく当たる。その時の藤野が、ここ最近の自分と重なった。
———昨年の9月、私が東京へ引っ越す時、高校時代からの親友・由紀乃に、「一緒に東京に行こう」と言いたかった。「一緒にすごい世界に行こうよ!」と、今、私がいる世界に来てほしいと思った。しかし、彼女を説得することはできなかった。
今はそれぞれ自分の道を進むしかない。でもいつかきっと、お互いの人生は交わる。
そう未来に想いを託すしかなかった———。
「一緒に行こう」という藤野の気持ちも、「連載は手伝えない」と言う京本の気持ちも、勘弁してくださいと言いたいほど、胸に刺さってきた。そして号泣。人は深く共感した時、涙を流すようだ。共感というか、共鳴。Tシャツの襟口が、涙と鼻水で冷たくなってきたので、そろそろハンカチで拭きます。鼻も啜ります。
そしてラスト、藤野のマンガ家としての躍進。京本の———。ここのシーンは、私のこれからを観せられている気がした。共感できる経験はなかったけれど、言わずもがな、ただただ号泣。
藤野の声が言う。
「漫画なんて読んでる方がいいよ。1日中書いてても全然完成しないんだもん」
京本の声が言う。
「じゃあなんで藤野ちゃんは描いてるの?」
そこに明確な答えは描かれていなかった。しかし作者の伝えたいことはビシビシ伝わった。
描かずにはおれないから、描く。
きっと何かを創作する人はみんなそうなのだろう。誰のためでもない、全ては自分のため。
私はきっとこの先、書けなくなることがあるのだろうが、それでも書き続ける気がする。なぜなら昔から、書くことは自分を保つための防衛術だったから。書くことは「忘れること」だった。頭と心が容量オーバーしないように、記憶を他の媒体に移動させる作業だった。
私も絵が描けたらなあ、なんて思った。そうしたらもっと表現の幅が拡がるのだろうな。絶望した時の瞳孔、嬉しい時の足取り、憎しみの不気味な笑み。絵の迫力を文字で表現できたらなあ・・・・・・。とにかく作者・藤本タツキさんの表現力に激しく嫉妬である。
気持ちがザワザワする。早く帰って書こう。自転車立ち漕ぎで、ぶっ飛ばして帰ろう。
「とにかく描け! バカ!」
作中に出てきたこの言葉、パソコンの奥の壁に貼り付けておこうと思う。
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