第105話 1st写真集『白鳥、翔ぶ』グラビア撮影in沖縄〜2日目〜
「かんなちゃんはなんでAV女優になったの?」
2024年3月14日、5時、スマホの目覚ましが鳴った。
「起きとるわ」
アラームを止めながら、悪態をついた。昨晩はあまり寝られなかった。少し気分が悪い。のそのそと洗面台へ行き、顔を洗い、テレビをつける。天気予報は昨日と変わらず、曇り。
「とか言って晴れるんやろ」
テレビに話しかけながら、ベッドの上でストレッチをした。西田さんの現場はいつも晴れる。
6時、メイクをしてもらいに、淳さんの部屋へ行った。
「おはよう。ドアは開けといて良いよ」
モデルの様子を見に、西田さんが来るそうだ。いつもそうらしい。
メイクの時間、淳さんとはいつも色んな話をする。彼女は話し上手で聞き上手だ。緊張がほぐれる時間であり、気持ちを整えさせてくれる時間でもある。
「かんなちゃんは、なんでAV女優になったの」
アイメイクをされている時、淳さんは聞いた。
「理由はいろいろあるんですけど・・・・・・」
私は考えながら、少しずつ話した。淳さんは私のnoteを全て読んでくれている。だからこそ「なんでAV女優になったのだろう」と思ったそうだ。
2024年5月末、私がこれまで書いてきたnoteが書籍化する。それに向け、今年の年明けから原稿の編集を始めていた。
編集にあたり、「なぜAV女優になったのか」という疑問と、深く向き合うことになった。AVと縁のない世界で生きていた普通のOLが、突如AV女優になったのは、読者からすれば大きなミステリーらしい。
そんな私を「頭がおかしい」「どこかで壊れてしまった」と言う人もいた。ただそれに反論もできなかった。確かにそうかもな、と思ってしまう自分もいたからだ。
なぜAV女優になったのか———結局、明確な答え見つかっていない。何度も文字にしたり、人に話したりしたが、やっぱり「そうなる運命だった」という答えに落ち着く———
「正直、なんでAV女優になったのか、いまだに分かり切ってないんです・・・・・・ただセックスは好きでした」
私が説明するのを、淳さんはじっくり聞いてくれた。
「この仕事してると、色んな女優さんに会うけどさ、みんな本当に理由はそれぞれあるんだよ」
お金を稼ぐため、性欲を発散させるため、旦那から「浮気をするなら、AV男優とセックスしてくれ」と言われ、女優になった人もいるそうだ。
「男はAV男優になっても英雄視されたりするじゃん。でも女って少し違うよね。AV女優なったら、堕ちたとか、汚れたとか言われることがあるわけよ。でもそれって男が勝手に作り出した、女への理想なんだよね」
淳さんは続ける。
「かんなちゃんがAV女優になったことは、『なんで』ではないんだろうね。生き物が好きだから理系の学校に行ったように、セックスが好きだからAV女優になったって、普通じゃん。良いよね、好きを仕事にするって」
そう話していると、部屋のドアがノックされた。社長が「おはよう」と顔を出した。
「西田さん、来なかったね。起きてるとは思うんだけど」
淳さんはそう言いながら、メイクを終えた。
7時すぎ、ホテルを出た。昨日と同じロケバスが停まっており、その前にマスクをした西田さんがぼーっと立っていた。体調でも悪いのだろうか。
「ちょっと風邪っぽいんだよね」
鼻を啜りながら、西田さんは言った。だから今朝はメイク中の部屋に行かなかったのだと。大丈夫だろうか。
「それ、花粉だよ」
淳さんが一蹴してバスに乗り込んだ。菅原さんも「花粉症ですよ」と全く心配する様子はない。西田さんは「いや、違う気がする」と最後まで抵抗したまま、とろとろとバスに乗って行った。
そういえば今朝はまだ空が曇っている。誰かが「風邪を引いた」なんて言うからだ。
ヌード撮影で思い出す初彼氏
バスは南へ向かい、8時に『シーサイドペンション南條』という場所についた。名前の通り、海のそばにある開放的なペンションだった。ホテルを出発する時は曇っていたのに、もう青空が見え始めている。西田さんの体調が良くなってきたのかもしれない。
「ここ、むっちゃ怖いブランコあるで」
バスを降り、部屋の中へ入る途中、社長が言った。荷物を抱えたまま、一緒にそのブランコを見に行った。
屋上につながる階段を登ると、両手を180度に開いても収まり切らないほどの海が広がっていた。そして建屋の端に手作り感のあるブランコが、海を眺めるように佇んでいた。
このペンションを建てた人は、少年、もしくは少女の心を持ち続けている人なんやろうな。
そのブランコを見て思った。ブランコの下には床がなかったのだ。ブランコの揺れる先には、鬱蒼とした茂みと、広大な海が広がっている。つまり万が一、途中で手を離してしまったら・・・・・・想像しただけでお尻の穴がすぼまった。
「後で、ブランコ漕いでる動画を撮ろう」
社長はそう言い残して、さっさと部屋に入って行った。
メイクを直し、髪はポニーテール、黄色のトップスと青のスカートに着替え、撮影が始まった。茶色の猫がいたり、白い馬がいたり、よく吠える黒い犬がいたり、とても平和な空間だった。
「このベッドで展開を撮ろう」
西田さんが言った。展開とは、衣装を展開すること。つまり服を脱いでいって、下着姿、さらにはヌードを撮るということらしい。青のスカートを少しづつ捲っていき、黄色のトップスを脱いでいく。カーテンの隙間から差し込んでくる光を、私の顔と胸に当てるようにして、西田さんは写真を撮っていった。
紐状のショーツを脱ぐとき、股の間が濡れていた。この時ふと、高校生の頃に初めてできた彼氏のことを思い出した。
高校1年生の夏、初めて彼氏ができた。付き合って半年経った頃、彼と初めてキスをした。学校帰り、日が暮れて真っ暗になった公園のベンチで。
キスをした瞬間、股間に違和感を覚えた。先端にぎゅっと力が入り、熱くなった。そしてしばらくしてパンツが冷たくなった。この異常事態に私は軽くパニックになった。おしっこ漏らしたんちゃうか、と。
後々分かったことだが、あれは漏らしたのではなく、「濡れた」のだった。キスをしただけで、パンツが冷たくなるほど、濡れた。初めて性を感じた瞬間だった。
あの頃はキスをしただけで、濡れていたが、今はカメラのレンズを見るだけで濡れる。大人になるってこういうことなのかしら。そんなことを思いながら、レンズに写った自分の影を見つめた。
カレーで思い出すAV撮影のトラウマ
ヌードを撮り終わり、昼休憩。カレーが用意された。撮影中のカレーは、私のトラウマとなっている。
AV女優になって3度目の撮影現場。昼食にカレーが出た。有名店のカレーらしく、とてもおいしいとの評判だった。もちろん私は喜んで食べた。評判の通り美味しくて完食した。
しかしその後、地獄が待っていた。カレーの塩分のせいだろうか、唾液が全く出なくなったのだ。
「キスもフェラも、唾液多めでお願いします」と監督に言われるが、いくら水を飲んでも、その水分が唾液となる気配は皆無。さらにはカレーの匂いがずっと鼻先を漂っている。お腹も重いし、サイアク・・・・・・。
その日以降、撮影現場では決してカレーを食べまいと、心に誓った。
「お腹いっぱいなると、何もしたくなくなるよね。俺、カレー好きやから、勢いで全部食べたけど、なんか絶望的な気分になってきた」
社長が、カレーの代わりに果物をつまんでいた私の隣で言った。椅子の背にもたれかかり、天井を眺めている。
絶望的な気分———AV現場のあの時の私も、まさに同じ気持ちだった。
ブランコで思い出す空を翔んだ大事故
昼休憩の後は、水色の短いパンツと、白のタンクトップ、髪型は頭頂部でシニヨンにしてもらった。可愛い服装と髪型のおかげで、気分が上がっていた。
撮影がひと段落した時、「この格好のまま、ブランコ撮りに行こう」と、社長が言った。屋上のブランコである。
奴は相変わらず、海を眺めて静かに佇んでいた。しかし私は可愛い衣装と髪型、撮影がひと段落した安心感で上機嫌だ。飛び乗らんばかりにブランコに乗り、少女の勢いで漕ぎ始めた。頭上でギシギシとブランコの軋む音がする。膝下を前後に動かし、座ったままブランコを加速させていった。
もしこのまま手を離せば、私は海に向かって飛んでいくのだろうか。翔んでみたいな———そんな衝動に駆られた。
小学生の頃、同じ衝動に駆られ、大惨事を起こしたことがある。
当時、ブランコに乗って靴を遠くに飛ばす遊びが流行っていた。放課後に友達と公園に行き、ほぼ毎日ブランコを漕いでいた。
ある時、自分の靴が十数メートル先の公園の端まで飛んだ。過去最高の飛行距離だった。
これ、手を離したら、あの靴みたいに飛べるんちゃうん。
その時、私は思った。そしてブランコの椅子に立ち、再び漕ぎ始めた。体が地面と並行になるまで勢いをつけ、靴が遠くに飛んだタイミングのところで前のめりになり、手を離した。全ての重さが消えた。友人たちが見上げている。私は空を翔んでいた———。
「絶対手え離したらあかんで」
社長の声が聞こえ、はたと我に返った。
あの時、小学生の私は空を翔んだ直後、頭と腹に強い衝撃を感じ、視界が真っ暗になった。薄れていく意識の向こうで、友人たちの悲鳴が聞こえていた。その後の記憶はあまりないが、母にこっぴどく叱られたのだけは覚えている。
そうだ、まだまだこれから撮影があるんだった。今はまだ時期尚早。空を翔びたい気持ちは取っておこう。
バッタで思い出す兄の悲しい顔
ロケバスに乗り込んだ。バスはさらに南に向かっているらしい。移動中、私は体を2つ折りして、前座席の背もたれに足をあげた。足が浮腫まないようにするためだ。隣を見ると、社長が腕を組んだまま、口を開けて寝ていた。
そら、疲れてるよな。
グラビア撮影前日は寝ていなくて、昨日も今日も、ずっと沖縄の日差しを浴びながら、撮影についてくれている。頬と鼻が赤いが、大丈夫だろうか。
そんなことを思っていると、私も寝てしまった。体を2つ折りにしてたまま、口を開けて。
バスが止まった。首が痛い。口の中がパサパサだ。目的地に着いたらしく、私はバスの中で白のトップスと白のスカートに着替えた。
外に出ると、広い草原が続き、その先には海。そして所々にキノコに似た形をした岩が点在していた。
原始時代に来たみたいや。来たことないけど。
西田さんを先頭に、橋本さん、淳さん、菅原さん、私、社長の順番で草原を歩いた。私の頭の中にはドラゴンクエストの音楽が流れた。
歩くたびに、足元で何かがぴょんぴょんと跳ねる。ショウリョウバッタにトノサマバッタだ。それにしても、デカい。みんな、5センチは優に超えている。10センチ越えもいるのではなかろうか。
私はあまり虫に抵抗はない。小学生の頃は4歳年上の兄と、よく近所の空き地で、バッタやコオロギを捕って遊んでいた。しかしその空き地には徐々に住宅が建ち、高校生になる頃には、空き地がなくなり、バッタを捕ることもなくなった———。
小学生の頃のように、バッタを捕まえようとしゃがんだが、彼らは思った以上に素早くて、ちっとも捕まえられなかった。十数年の歳月は、私のバッタ捕りの腕前も奪ってしまったようだ。
水辺までやってきた。海岸に向かって流れる川だった。私は水の中を覗き込んだ。メダカでもいそう。海の近くにメダカはおらんか。石の下やったら何かおるやろ、と、川に入ろうとした。
「入っちゃダメだよ!」
背後から西田さんの強い声が聞こえた。
「上流で農業排水みたいなの流してるみたいなんだ。何が入ってるか分かんらないから、川には入っちゃダメだよ」
西田さんは川の上流を指さしていった。遠くの方でおじさんが、大きなタンクから何かを流している。
流してええやつなんか? 沖縄ルールかしら。
ギョッとしている私の右側から、「あ・・・・・・」と小さな声が聞こえた。声の方を向くと、川の真ん中に立っている橋本さんと目が合った。口が「あ」の形のまま固まっている。
「まあ、橋本さんは大丈夫でしょう。あとで水で洗えば」
西田さんはそう言って笑っていた。橋本さんは苦笑い。
写真を撮った。西田さんは川辺に寝転んで、草原に立っている私を下から撮った。私は脚を大きく振り上げて、ズンズン歩いた。脚をおろすたびに虫たちが翔ぶ。手を地面について、脚を後ろから空の方に突き上げた。顔が地面と近くなる。大きなトノサマバッタと目が合った。そのままこっちに飛んで来ないでね、と念を送る。
お兄ちゃん、一緒にバッタ捕りしたこと、覚えてるかなあ。
ふとセンチメンタルな気持ちになった———兄と空き地でバッタ捕りをしていた時、兄が10センチはありそうな巨大なバッタを捕まえた。そしてそれを虫かごに入れた。私は巨大バッタを触ってみたくて、こっそり虫かごの中のそれを捕まえようとした。ガサガサと暴れる。暴れ方もデカい。
ついに捕まえた瞬間、腹を指で強く握ってしまい、お尻から白いものがブニュッと出てきた。びっくり仰天した私は、虫かごから手を引っこ抜いて、同時にバッタを空高く放り投げてしまった。兄の唖然とした顔と、悲しい目はいまだに忘れられない。
なぜそんなことを思い出したのだろう。きっと今も私の心の中には、トノサマバッタの怨念が、おんねん。
撮影を終え、バスまでの帰り道、菅原さんが「かんなちゃんおぶってあげる」と言ってくれた。草で素足を切ってしまったら危険だから、ということだった。
「それなら僕がおぶるよ」
西田さんが言った。どうしたものかと戸惑っていると、社長が「(おぶってもらおう)」と目で合図をして、スマホのカメラを構えた。では、お言葉に甘えて・・・・・・。
「もっと若い頃は、モデルの女の子を頭の上まで持ち上げてたよね」
背後から淳さんが言った。
「やってたやってた。重量挙げのダンベルみたいに持ち上げてた。その時の西田さんは金髪だったんだよ」
菅原さんが言った。金髪で重量挙げって、絶対に肌を焼いてたよね。今の西田さんからは想像ができない。
社長はおんぶされている私を、ずっと動画に撮っていた。
「これ、いつかエックスに出すわな。女優をおんぶしてくれる日本一優しい、日本一の巨匠カメラマン、って」
この日の撮影は16時すぎに終わった。1時間ほどバスで北上し、那覇市内のホテルに泊まった。今夜はしっかり寝られそうだ。