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酒はとうぶん飲まない、愛と自滅の協奏曲、

七月十三日

私の手術は中途半端に、失敗したのだ。病院を出て、姫路城の内濠に沿うた道を歩いていると、濠端の草に蜻蛉の抜け殻がしみ付いていた。快癒の喜びを終生知り得ない、虚無のどす黒い膿。劣等感が刻印された。
その頃から、私は人を殺したい欲望をいだくようになった。私は私の頭蓋骨の内側の、虚無のどす黒い膿を、重傷者の兇器として生きて行く積もりだった。将来、裁判官になって悪い奴に死刑の判決を下すか、または検察官になった被告人に死刑の論告求刑を行なうことを切望するようになった。そうすれば、ある種の正義派として冷酷に人殺しが出来るのである。これは日に日につのる已みがたい欲情であった。が、この欲情については、私は誰にも言わなかった。

車谷長吉『贋世捨人』(文藝春秋)

午後十二時三三分。洋菓子、アーモンド、紅茶。ILLAYの演奏を見たりセナ様の御真影をデスクトップ画面に設定したりしていたからいつもより書き出しが遅れた。もう頭のなかはセナ様でいっぱいだ。「セナ」とグーグル検索するとアイルトン・セナばかり出てくるのに我慢がならない。この夏のあいだ出来ればセナ様の御尊顔を拝したい。たぶん一生の思い出になるだろう。「もういつ死んでもいい」となるに違いない。静岡まで行くとなると交通費は全部でどれくらい必要かあとで調べてみよう。かなりの額になりそうだな。もちろんチケットも買わないと。惚れた俺が悪いんだ。今夜酒を飲んだらとうぶん飲まずに過ごそうか。飲むとやたら喉が渇くのと、そろそろ二日酔いに苦しむことになるような気がするから。なにより酒量が増えると費用がかさんでいけない。あんなキチガイ水に金をかけるならILLAYグッズに金をかけるほうがずっといい。セナ様だって酔っ払い男はお嫌いだろう。セナ様のためにも俺は節酒に努める。セナ様は明らかに俺に酒は控えろと厳命している。俺は誰の言うことも聞かないがセナ様の言うことなら何でも聞くつもりだ。もはや俺はセナ様の奴隷だ。夜は飲むよりよく出来た短篇集なんかを読むほうがいい。まずは新潮文庫のヘミングウェイ短篇集でも。ってヘミングウェイはかなりのアル中だったじゃん確か。まあともかく酒に飲まれて大変なことになる前に酒とは一定の距離を置くことにしよう。昨日は午後三時から二時間半ほどコハ氏と閑談。小池と石丸はなんとかパスだとか仮想通貨を作りたいとかベーシックインカムの税収源として贈与税や相続税をフル活用すればいいとかそんな話をする。コハ氏とはそこそこ気は合うが、もし俺の知的守備範囲が狭かったら、これほど長い時間話すことは出来なかっただろう。昨夜も河川敷を走れなかった。今日も無理かも。ぜんぶ梅雨のせい。昼食を終えたらひさしぶりに文圃閣に行きたい。なんかいい句集か歌集でもあれば買いたい。『与謝野晶子歌集』(岩波書店)にこういうのがあった。

白塔の窓のあかりは烏羽玉のくらがりよりもかなしかりけれ

晶子の歌才にはいつも脱帽させられる。俺にはこんなのは作れない。南米音楽がさっきからエンドレスで脳内再生されてんだけど。イッツ、クール。カンナ八号線。

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