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禁じられた遊び、真夜中の街を裸足で歩いてみて、飲むか飲まないか、欲望の肯定と否定の弁証法的プラスチック、獣たちの饗宴、世界の終わりはそう遠くない、

六月十八日

貧乏によつてみがかれ光るやうでなければならない。
貧すりや鈍するは小人の癖だ。
鈍は鈍でも心豊かな大鈍はいゝ。

種田山頭火『白い路<山頭火の本13>』(春陽堂)

午後十二時五分起床。オートミールビスケット、紅茶。いつもより涼しかったからか疲れていたからかやや寝過ごしてしまった。疲れている理由ははっきりしている。昨深夜ビーフィータージンを飲んですこぶる良い気分だったので図書館周辺と美大周辺を裸足で歩いたんだ。特に美大のまだ新しい芝生の上はたいへんに気持ち良かったね。余り気持ち良かったものだから仰向けになって一分間くらいゴロゴロを楽しんだ。ほんとうは裸足じゃなくて裸で歩きたいのだ俺は。でも剛みたいになりたくないから俺は。何年か前に香港で全裸青年が逮捕されるというチン事件があったね。写真も相当に出回っている。理由はともあれこういう馬鹿げたことで人生をボウに振る青年が俺は大好きだ。だいたい裸で外を歩きたいという衝動を持て余したことのない男なんて男のうちには入らない。殺す価値もない。こんな暑いなか服なんか着て外を歩けるかってなるのがまともな野獣だよ。野獣先輩だよ。こんどは兼六園あたりまで裸足で歩いてみるか。玉砂利の上とかは気持ちいいに相違ない。裸足で歩いているとなぜかむしょうに走りたくなるんだよね。靴で歩いているときはそんなこと少しもないのに。むかしアベベ・ビキラっていたな。ナルシソ・イエペス奏でる「愛のロマンス」がさっきから頭を離れない。映画『禁じられた遊び』の俳優について語るときだいたいの人は少女ポーレット役のブリジット・フォッセーばかりを語るが俺は少年ミシェル役のジョルジュ・プージュリーのほうが印象に残っている。学生時代にはじめて見たとき、ポーレットになってミシェルに抱かれたいって思ったもの。このごろはワイヤレスイヤホンでばかり音楽を聴いている。ヘッドフォンだと耳周辺が蒸れやすい。そういえば中島みゆきの曲に「裸足で走れ」というのがあった。きのう午後、文圃閣に行ってきたよ。珍しく先客がいた。いつもの宇宙との交信ジジイじゃなかったけど。買ったのは『巻頭随筆Ⅳ』、『新訂 海舟座談』、佐野眞一『枢密院議長の日記』、アントニオ・タブッキ『逆さまゲーム』、『岡本かの子集』、バーナード・マラマッド『アシスタント』、倉橋由美子『迷路の旅人』の七冊。しめて九九〇円。ニンニクは「酒の肴」の素材としてはとても優秀だね。ニラと一緒に軽く炒めてブラックペッパーとバジルとオリーブオイルをかけたものは絶品。

じっさいは何をかけてもうまい、

ニラやニンニクやラッキョウのような辛みや臭いの強い五種の野菜を五葷(五辛)なんて言って、「仏教」では「いちおう」食うことが禁じられてきたというけれど、俺としては、「修行僧がこういう精の付くものを食わないから仏教は衰退したんだよ」と思ってしまうのね。物欲も食欲も性欲も俺はすべて肯定することにした。そういう欲望がないところに知識欲や認識欲があるはずがない。禁欲の世界からは並外れた認識者は生まれないだろう。天才とは偉大なる欲望者でもあるからだ。ユゴーとバルザックとデュマの欲望もそれぞれ凄まじかったらしい(鹿島茂『パリの王様たち』文藝春秋)。毎日オナニーもできない男にいったいどんな哲学的洞察が得られるというのか。酒が一滴も飲めないような男にいったいどんな作品が書けるというのか。人間精神を変えてきたあらゆる思想は丈夫な内臓と強靭なペニスから生まれたんだ。って、んなわけあるか! この偽男根主義者め! 

さあ昼飯。図書館に行く。今週はぜんぶ行くと思う。篦棒な日々を裸足で駆け抜けろ。

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