見出し画像

「お前の絶望を俺に感染させるな」、「逆美人」コンテスト、鬼畜系アイドルグループ「野薔薇シスターズ」、「地獄、それは北陸の冬のことだ」、脳汁どばどばメロン記念日、

瀬那十三年十二月二三日

男って、下着が汚れててもいいと思うどころじゃなくて、汚れてる方がいいと思ってるところって、どっかであるよね。昔風の〝男性的〟って、そういうもんでしょ? どっかで汚れを楽しんでる――今の不潔恐怖の男の子達は、男としてはやっぱり特殊な例外だとしか思えないけどね。あの清潔願望の坊や達って、閉鎖的な中産階級の中で生育させられちゃったから、自分を主張することが出来ないんだよね。

橋本治『絶滅女類図鑑』パンツが臭くておかしいか?〈表〉(文藝春秋)

午後一時十一分。紅茶、オー・ザック(コク旨バーベキュー味)。町ゆく人全員が石丸伸二の顔になっている夢を見る。氷の粒が結晶化したものが落ちています。このごろキーボードを打つ手が冷たくてしんどい。でも暖房器具は使わない。何となくだが寒いからってすぐに部屋を暖めるのは「甘え」だと思う(ただし暑いからって部屋を涼しくさせるのは別にいい)。寒いなら重ね着して暑いものを飲めばいいだけだ。俺の直感によれば暑がりよりも寒がりのほうがずっとタチが悪い。このくらいの寒さを我慢してこそ人は「男」になれる。冬は「男」を試す季節だ。ほんじつ休館日。ここ数週間はほぼ毎日通っている。だって天気のいい日が少ないもん。選択肢がない。地獄の季節。アル中ランボー。間違いなく職員から「いつもいる人(たぶん無職)」認定されてるだろうな。ところで給料まだ? オイラまだプロ読書家とは思われてないのかな。半人前扱いなのかな。「誰かに読まれたがっているのに誰からも読まれない本」を読むことって間違いなく〝社会貢献〟だと思うんだけどね。さびしくならない孤独な爺さん婆さんの話し相手をする傾聴ボランティアっていうのがあるじゃない。おれ毎日そういう本の著者のために傾読ボランティア活動をしてるんだ。文章を書いたり映画を撮ったりする人って基本タダでも読んだり見たりして欲しいのよね。水道橋博士も確かそんなこと言ってた。このnoteでも色んな毛色の凡人が下手っぴな駄文を無料で垂れ流しまくってるじゃない。ネット上の売文なんて下等な勘違い野郎がすることなんであって、ほとんどのクリエイター気取りや評論家気取りは自分の書いたものが他人(できれば「頭のいい具眼者」)に読まれるだけでもうれしいわけね。こんな痰壺みたいな文章のためにわざわざ貴方様の貴重なお時間を割いていただき恐縮です、と思ってるの。思ってなかったらそれこそ本物の勘違い野郎よ。最強の便秘に苦しんで口からウンコだして死ね、と思うわ。ショパンのノクターン第2番(変ホ長調)が聞きたくなってきた。最近の落合博満って「丸くなった」と思われることを楽しんでない? 「昔はとんがってたのに」と人に言われたりするとフフフフフって得意そうになる人が世の中には一定数いる。これも一種の「ギャップ萌え」戦略なのか? ツンデレ王子セナ様に壁ドンされて頭をなでなでされたい。マクローリン展開とテイラー展開を勉強し直したい。俺くらいの年になるとね、おい聞けよ、もう不勉強が身に染みるわけよ。いつでも不勉強が身に染みるような思いでいない者はついに〝一人前〟にはなりえないのだ。お前の問題はお前が考えろ。他人に思考の主導権を握らせるな。ああ説教はやりたくない。〝当たり前のこと〟を繰り返し言うのは趣味じゃない。オイラなんて死ぬ死ぬ詐欺の常習犯だからな。おふくろ、ねえおふくろ、なんで韓国叩きとかしてネトウヨっぽくなってんの? そのなんとか特権って何? 久しぶりに実家に帰ったら親がネトウヨ化してたって都市伝説の類だと思ってたよ。ねえ、おふくろ、俺さ、いまに俺は革命を起こすぜ。いつまでも子供部屋オジサンみたいなことやってられないよ。Pornhub見ながらマスかくのにも飽きたしさ。俺はぜんぶ破壊するんだ。おふくろ、だからさ、こんな息子を持てたことを誇りに思ってくれよな。父ちゃん、俺のペットになれよ。鞭で打って背中をボロボロにしてやる。お前のその汚ねえ勃起不能のポコチンを血反吐まみれにしてやるよ。これがオイラの親孝行さ。ヤッホー。

山形浩生『新教養主義宣言』(晶文社)を読む。
雑文集。書評もあれば社会評論みたいなものもある。山形浩生は翻訳をたくさんしているのである程度の本好きだったら誰でも知ってるはず。そういえばこの人はトマ・ピケティ『21世紀の資本』というレンガみたいに分厚い本の翻訳者の一人でもある。本書、タイトルから「これからの日本に必要な教養は~」みたいなお堅いものを期待しないこと。内容はそれなりに知的だけどひたすら露悪的で下品。よほど育ちがいいんだろう。わりとまともな文章の中からサンプルを示します。

これから労働人口は減って、それが支えるべき年寄りは増える。労働力はぜったいに不足してくるんだ。ただし今みたいなホワイトカラー労働の需要があるかな? 多くの人間は自前の判断力を持たない付和雷同の無毛サルにすぎない。そしていまの企業や官僚組織のうち、ホワイトカラーで本当に仕事をしている人間はごく少数だ。あとはそれにたかってる寄生虫で、それがお互いへまをしあって、仕事を作りあい、会議と称する顔色うかがいごっこで生産性を下げているだけ。

まあこういうゲテモノ本、オイラはけっこう好きなんだけど。普段は節度のない「辛口」コラムの類を痛快に感じながら読むくせに、その「辛口」が自分の精神的デリケートゾーンに及ぶや否や不機嫌になってしまう野暮で冗談の通じない「安全圏読者」には向かないかも。インターネットがいまほど普及する以前(90年代後半)の「パソコン通信」について書かれた文章は却って面白い。便を出したら急に眠たくなった。きのうアオキで55円で買った木綿豆腐で麻婆豆腐を作って食うかな。本当は木綿ではイマイチなんだけど。景気付けにスポティファイで「木綿のハンカチーフ」聞くわ。恋人よ、僕は旅立つ、東へと向かう列車で。この歌、東京って地名が最後まで出てこないんだよね。あくまで都会なんだ。いいえ、草に寝転ぶ、あなたが好きだったの。転生してスライムにならなくてもいいからセナ様と同じ中学校に通う女子になりたい。あのたくましい腕に包まれたい。「男に匂い」に包まれたい。どうしよう、僕はセナ様のことしか考えられない。これは一つの病かもしれない。プラトンの『パイドロス』で言うところの「恋の狂気」の只中に今の僕はいる。セナ様はその姿によって僕を「より高いどこか」に導こうとしている。おい、自分の凡庸さにウンザリするなよな。カムチャツカ式暗黒舞踏と「鉄拳3」。約十五年前、真冬の深夜の新潟駅で俺に声をかけコーラとラクトアイスをおごらせたあの薄汚い中年のルンペン女はいまごろどこで何をしてるだろうか。生きてないかもしれない。僕はいったいどこに向かおうとしているんだろう。「自殺未遂」未遂にはもう飽きたんだ。辛子明太子を目で食ったって人は死ねない。ああ、腑抜けた人間どもの腑抜けた文章にはもうウンザリだ。僕はもう立ち上がれない。僕は「昨日のジョー」だ。あの女の一生は嫌われ松子の一生よりも悲惨だった。あの女は鼻は出来損ないのタコ焼きそっくりだった。あの女の股関節は絹ごし豆腐よりも柔らかかった。だから僕は性交のたびにとっても苦労したんだ。地球は愛を救えない。愛を救えるのは畜生界の慟哭だけだ。メンヘラどもの溜息。「抑圧など存在しないのに」。ざけんじゃねえよ、利口ぶりやがって。どいつもこいつも外道だ。恥を知れ外道ども。高市早苗が自民党総裁に選ばれなかったことは「ガラスの天井」とは少しも関係がない。彼女が選ばれなかったのは彼女が単純にヤバい奴だったからだ。軽薄ですみません。生きていてすみません。僕はもう首を吊る元気もありません。首を吊る元気があれば何で出来ます。元気があれば何でも出来るんです。さあがんばろう。日本の未来は明る過ぎる。明る過ぎて何も見えない。僕は少子化をとても憂えている。涙くんサヨナラ、この世は楽しいことだらけ。君とはいっしょう会わずに過ごせるだろう。すべての苦しみや悲しみは「気のせい」だった。子供を産まない奴らはどうかしてる。悲観主義者はぜんいん狂人だ。僕はもう嘆かない。僕は死にたいほどこの世界を肯定している。生きるのが楽しすぎて涙が出そうだ。ロンドンは燃えているか。おいおい見ろよ、あそこにインフェリオリティ・コンプレックスが服を着て歩いてるぜ。だから拾ってきた桜貝を便所に飾るなってババア。無意味の渦中に身を投じる勇気を持て。これ以上ピーピー泣き叫ぶな、ガキども。

【備忘】ピエール・レヴィ『ポストメディア人類学に向けて 集合的知性』、シリアの刑務所拷問、世界のハッカー集団、サルコジ裁判、少年Aの手記、「文字は人を騙すためにある」原稿、

いいなと思ったら応援しよう!