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「日本人の対米従属的鬱憤は大谷翔平の活躍でしか晴らせないのか問題」のババロア的構造、愛をください鮫島君、

八月二七日

脂ぶとりの女を見て、あの女は、うまく骨をかくしていると言う。

ルナアル『ぶどう畑のぶどう作り』土地の便り(岸田国士・訳 岩波書店)

午後十二時二四分。うずら、紅茶。だから午前中には離床しろって。ずるずる行くのだけは嫌なんだよ。相変わらずこの国の俗流メディアは北朝鮮を「異様な他者」として表象し消費させることには熱心だ。連日の大谷報道は日本人の見たくないものから日本人の目をそらせるために機能している、というのはおおむね正しい。もはやこの国は落ちぶれすぎているので高が日本人メジャーリーガーの活躍でしか人びとは「国民的自尊心」を満たせないのだ。自衛隊の採用想定人数の充足率が低くなっている。政府がやたら「台湾有事」を強調するからか。自衛隊の組織的腐敗やパワハラ体質が明るみに出たせいか。いずれにしてもこんごますます人手不足が深刻化しそう。若者の採用活動もより積極的になるだろう。「経済的徴兵制」という言葉をいま思い出した。「どこが政権を取ろうが一緒」とか「誰が首相になっても同じ」といった凡庸な「政治的ニヒリズム」は基本的に現政権を支えるようにしか機能しない、というのはおおむね正しい。でも底辺の絶望族はそんなお説教にはもう飽き飽きしている。生きていることに絶望して「社会的観点」など持とうにも持てない人びとは選挙などには行かないだろう。数年に一度くらいしか投じられない自分の一票ごときで何かが変わると信じているとすればそれこそ病的な自己過信だ。脳病院に行った方がいい。おしなべて知的な人間ほど「正しく」絶望している。たぶん。兵庫県知事の記者会見はもはやホラーですね。権力を持つべきではない人物が権力を持ってしまうことはどんな政治制度の下においても起こりうる。「民主主義の欠陥」なんて借りてきたような言葉を乱用すべきではないよ。いちおう自分に言ってんだから俺。ゲンキーでBuen Vivirの赤を買って三分の二ほど飲んだ。

俺的には白の方がいい、

開高健『夏の闇』(新潮社)を読む。
『輝ける闇』の続編。ヴェトナムで九死一生的経験をしてすっかり燃え尽きてしまい心身ともに倦怠そのものとなってしまった中年男がひたすら呻き続ける小説。食っちゃ寝を繰り返す男の近くにはいつも都合よく心配(だけでなくセックスも)してくれる女がいる。やはり「いい気なもんだ」と思わずにはいられないが、そういう甘ったれ要素は「男の書く小説」全般に見られるものなので、いまはその点は追及しない。開高の諸作品も一度まともなフェミニズム批評に晒された方がいいだろう。もう晒されているのかも知れないけど。けっきょくこの男は疲れているんだ。何もかもに飽きているんだ。泥のように眠る以外にやることがない。その点で「今の我々」とほとんど何も変わるところはないね。ただこの男は自分が頭から腐っているという自覚だけはあるみたいだ。「今の我々」はそういう自覚さえないだろう。ぜんいんが同じくらい腐っているので誰も腐臭を感じることが出来ない。「生きている実感」などとうに失っている。さりとて死ぬだけの理由もない。死ぬことだけを楽しみにぼんやりと生きている。学校も空しい。会社も空しい。結婚も空しい。家庭も空しい。新聞も空しい。映画も空しい。政治も空しい。恋愛も空しい。未来はいつでもカラッポだ。どんな言葉も発した瞬間に「鬆が立つ」(辺見庸)。永遠に満たされそうもないがそれでもいい気がする。その満たされなさを嘆く感性さえ失っているのだから。どうしようもない。どうしようもないからこそ安心していられる。廃人国家ヌッポン。ばんざい。死のうなんて考えるな。もう死んでいるんだからお前らは。昼飯にしようか。パスタかな。アオサを多めにいれよう。いつものように幕が開きましたよ。俺は燃えている。燃えているぜ。生命はつねに垂直を志向する。

焰はひとりであり、生まれながらにひとりであり、ひとりのままであることを望んでいる。

ガストン・バシュラール『蠟燭の焰』(澁澤孝輔・訳 現代思潮社)

愛をください。愛に燃えろ。愛が好きです。雨が好きです。セナが好きなんだ。まじで好きなんだ。セナが笑ってくれるなら俺はゴリラの肛門に咲く薔薇の花になってもいい。アメリカの辛子マヨネーズを亀頭に塗りたくってもいい。

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