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アザミ嬢の処女喪失、ポストモダンのキリン、ポリコレバズーカ、徐々に奇妙になりつつある我が闘争、「友人のいない奴ほど友人の数と友人の質は反比例の関係にあると思っている」と孤独な王は俺に言った、世界厭世統一連合、

十月六日

僕が許容を憎むのは、許容は許容を生むからである。

原口統三『二十歳のエチュード』(角川書店)

午後十二時四六分。目覚めてすぐに「トランプはたぶん負ける」と思った。大酒のせいで寝付くのが遅くなったよ。ポップコーン、紅茶。やっぱり合わへん。阿波の変。本能寺の変。こんなナンセンスな言葉遊びを唐突にやるから通りすがりのザコに「乱雑」とか言われるんだよ。もうこれ癖なんだから仕方ないわ。高校の入学式での入場のあいだ恥ずかしくてわざと大アクビしまくってたような俺だから。どう考えてもこんな「日記」、クソ真面目に書くべきものじゃない。「いい人って何だろう」みたいなタイトルのクソ真面目で内容空疎な記事は他の凡人に任せる。俺はクソ不真面目で内容空疎なものしか書かないから。ほんとうは俺、二十四時間道化を演じてたいんだよ。もう「朝」はずっとアルフォートでいいわ。セナ菩薩へのお供え物としても十箱は常備しておきたい。菩薩というのは人間の抱くことの出来る「観念」のなかで最も美しいものだと思う。セム的一神教の神のように強圧的でもなければ父権的でもないところが好ましい。菩薩と似たような観念に如来というのがあるけどやはり私は菩薩という言葉のほうが好き。昨夜も日課のロングウォーキングが雨に阻まれることはなかった。上野八幡神社周辺で銀杏を二個拾って食った。

官能的なほど臭い外種皮のなかに中種皮がある、
食えるのは中種皮のなかの胚乳、

近所にイチョウ並木があれば落ちてる銀杏ぜんぶ拾うのに。食い切れないぶんは冷凍保存すればいい。食費を抑えてそのぶんを酒と本に回したい。銀杏の外種皮はすこぶる臭い。中身は美味で滋養があるのに拾う人があまり多くないのはそのため。ほとんどの「日本人」が飢えてないせいもあるか。あれでも、一日三食をまともに食べられない子供がいるんじゃなかったっけ。こんな暴力と苦痛に満ち満ちた世界に生まれただけでも最悪なことなのにそのうえ十分に食えないなんてもう理不尽を通り越している。オイラには手に負えない。とりあえず次は海の近くの廃屋みたいなところに住みたいね。廃屋を図書館にしたい。古書店でもいいな。「実家」にある本も加えればもうそれが可能なくらいはある。「日本一アクセス困難な古書店」として有名になるかも。太平洋側がいいな。少しでも暖かいほうがいい。タンパク質は釣った魚を食って摂ればいい。カラスやスズメを捕獲して食うという手もある。畑では肥料をほとんど必要としない野菜を育てる(糞尿だけは安定供給できるけど)。酒なんかいらない。はやりの歌などなくていい。ときどき霧笛が鳴ればいい。ああまたいつもの夢想がはじまった。山奥ニート系の夢想は「あまり現実的ではない」とあれほど言われたじゃないか。俺はただ隠者になりたいだけだ。誰もがほんとうは隠者になりたいのになれないまま生きている。いいかげん種田山頭火とか尾崎放哉みたいな放浪奇人に憧れるのはやめろ。そのステレオタイプの隠者像を捨てろ。といっても俺は「引きこもり」という現代版隠者に美しさを感じることが出来ないんだ。それが「非自発的」なものだと知っているから。そろそろ昼食にする。図書館行かないと。ちょうしたの缶詰と梅干し。与理子の「おっさん」観察日記Ⅷ。メグミの目。「隠し芸? 脇の下にあるよ」「隠し毛じゃないよ」。

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