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絶望を食う男、あなたの自己顕示欲充足行為と私の自己顕示欲充足行為、

十一月三日

就職活動やAO入試といった選抜プロセスは、コミュニケーション能力があってハイクオリティで粒ぞろいな人間であることを事実上、これから社会人になる学生に対して強いている。口では多様性を褒め称えてやまないこの社会は、実利の絡む就職という場面では、一律な規格で若者を選別しているのである。

熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』第2章(イースト・プレス)

午後十二時三六分。昨日の残りものをチンしたもの、紅茶。輪切りとうがらしをやっとぜんぶ使うことができた。なかなか減らなものはもう買わない。晴れているからかわりと気分はいいわい。こんな日に図書館行くのはもったいないね。でも行く。酒どうしようか。トリスの2.7リットル。きょうアオキのポイント三倍デーだから買うなら今日だ。早死にしたい俺にとって酒を飲むことはひじょうに合理的習慣。長生きしたがるやつらはぜんいん頭がおかしい。知能検査受けてほしいと思う。ゾンビになりたくない。酒を飲むとあとでやたら喉が渇くんだよな。「これ以上飲むとあとでやたら喉が渇く」という量があるのだとすればその量を把握しておかねばならない。俺はどこまでも不快を嫌う。あたい気持ちのいいことだけをしてたいわ。与謝野晶子の歌をいま思い出した。

全身を口びるのごと吸ふ波をややうとましく思へる夕

「夕」はゆうべと読む。これほど官能的でしかも気怠い歌をオイラは他に知らない。晶子の真骨頂。深夜に遠くから聞こえてくるエンジンの空ぶかし騒音に腹が立つようになってきた。頭の弱い輩のやることはどれも類型的で芸が無さすぎる。いまさらだが暴走族を珍走団と呼び変えた人はえらいね。命名界にも文化勲章みたいなものが必要じゃないか。スポティファイでユーミンの「ナビゲイター」が聞きたい。これ聞くたび何でか知らないけど二十代前半のころ二年くらい「恋人」だったカワベマサヒコのこと思い出す。私より八歳年上で高校中退で元警備員で富山の新湊に両親と住んでいたカワベマサヒコ。酒に強く真性包茎で天皇大好きでしばしばネトウヨ的嫌韓嫌中的発言によって俺をウンザリさせたカワベマサヒコ。当時も今も私は「影のある男」に惚れやすいみたい。セナ様もあきらかに「影のある男」だ。影とは「生きるというのはどこまでも孤独なことなんだ」という投げやりの覚悟の現れでもある。色気とはその影がある種の諦念に裏打ちされた自我を通して変質発散したものである。ほとんどの男には大なり小なり影がある。でもそれがそのまま色気に変換される男は決して多くはない。「男の色気」についてこれから九鬼周造『「いき」の構造』ばりに細かく論じてもいいのだけど、いま頭がひどく鈍重な上に、そろそろ飯を食って図書館に行く支度をしないといけないので、それはまた今度にする。額にはいつもマイナス記号。憎しみの遊覧飛行。「こころ」なんてもう青春のインターチェンジで捨てました。いや待て、青春なんてあったかな俺に。

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