見出し画像

棄民大国ヌッポン、愛液だくだくモンスター、イスラエルあるいは人体破壊クラブ、

八月十五日

ソヴィエトの〈友軍〉が一九六七年チェコスロヴァキアに進駐したあと、プラハではこんなクイズがはやった。
「世界で最も安全な国はどこか。」
「?」
「イスラエルだ。なぜならイスラエルをとり囲んでいるのは〈敵〉だけだから。」

ザルチア・ラントマン・編『新編 ユダヤ人笑話集』(三浦靭朗・訳 社会思想社)

午前十一時二九分。蒟蒻畑(温州みかん)、紅茶。スポティファイで小田和正ベスト。例によって寝付きは悪かったがいつもより早く離床することが出来て大変うれしい。正午前起床であればわりと焦らないでなんでも出来る。焦っていいことなどひとつもないことを俺はもう知っている。「自分へのご褒美」とか言いたがるやつにろくなやつがいないことも知っている。能登がもう見捨てられていることも知っている。日本では今日は「敗戦の日」ではなくて「終戦の日」ということになっている(日本においてこの日が特別視されるようになった経緯については佐藤卓己『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』に詳しい)。「平和の尊さ」とか「戦争の怖ろしさ」とかそんな抹香臭い紋切り型をいくら並べられても「戦争を知らない愚民たち」が「何か」を実感することはほとんどないだろう。「平和」という言葉はもはや躊躇や含羞なしには使えないくらい陳腐化してしまっている。思想的な硬質性や喚起力をすっかり失い、小学校前の五・七・五調スローガン並みの空文句に堕している。だいたいほとんどの底辺労働者どもや無職どもにとっては「平和な日常」は「平和な日常」なりに過酷なのであり、だからそのなかには、「こんな退屈で不安で自尊心のカケラも持てないような日常から逃れられるなら戦争が起きても構わない」と本気で思っているつもりの人間も少なくないはずだ(戦争もしばしば「退屈な日常の延長」でしかないのだろうけど)。「そもそも生まれたくなかった」という者たちに「平和のありがたさ」を伝えようとすることくらい空しいことはない。失ってはじめて健康のありがたさに気が付いた、というようことを人々はよく言うし、俺もさいきん言ったが、果たして「平和」もそういうものなのだと言い得るのだろうか。岸田氏が退陣するとか。首相になること以外に何の野心も無かった凡庸な政治屋。宏池会出身でありながら安部氏以上に「タカ派」的かつ親米的な防衛政策を実行させられ続けた無節操のマリオネット。彼はこの国の政治的ニヒリズムと無方向性を見事に象徴している。ドン詰まりヌッポン。きのうは六時には図書館を去って、飯を食って、それなりに混雑している金沢駅に行って、二時間ほどタンクトップ歩きをした。超セクシーな格好だったんだけど誰も俺のことを見ない。百番街には行列が出来ている店も少なくなかったけど、たかが食うことのために並ぶなんてバカとしか思えなかった。食い意地の張った庶民は嫌だね。

俺以外はみんな楽しそうな金沢駅、

帰途、森の里イオンでビーフィーターを買った。1200円くらい。このロンドン・ドライ・ジンを俺は愛している。ただこの酒は悪酔いしにくいので飲み過ぎてしまうことがある。やんごとなき人とまぐわうように大事に飲むのが正しい飲み方だ。そうやって飲めば二週間は持つだろう。それは無理かな。

俺御用達、

そろそろ飯食うか。図書館行くよ。トッドが待っている。今日で上巻は終わるかな。トットと読まないと。オナニー王に俺はなる。消しゴムとミルフィーユの融合ららばい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?