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「~を全否定するのではなく」、ペルーの奇跡、

瀬那十三年十二月十一日

8日午前9時35分頃、羽咋市一ノ宮町の海岸で、通行人男性が人の骨のようなものを見つけ、110番した。
羽咋署の発表によると、大部分が白骨化した遺体で、年齢や性別、経過時間は不明だという。同署で死因や身元などを調べている。

読売新聞(日刊、石川)2024年12月10日

午前11時10分。紅茶、ビスコ。午後一時には外出するからいつもより1時間半ほど早く離床。頭がちょっとズキズキする。二日酔いか。机上にメモ紙が置かれていない日はない。今日は「~を全否定するのではなく、という中立を装ったような論法。それはいつでも国家暴力や国家犯罪を肯定する論理に傾きうる」とメモ紙が置いてあった。たぶん、きのう歴史研究家の辻田真佐憲の喋っているユーチューブ動画をたまたま見て得た感想。彼は「アジア・太平洋戦争」のことをあえて「大東亜戦争」と呼びたいとか言っている。この種の「あえて」を私は警戒しているのだけど、それについてはまたべつのときに詳しく書きたい。私は「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)」という概念をほとんど類型的な侮蔑ポーズとともに扱いたがる人間をあまり信用しない。ある言葉が忌避され公的に使われなくなるのにはそれなりの理由と歴史があるのだ。日本には、「人権や反差別というものをヨーロッパ由来の空疎な観念論として懐疑的に扱ってこそ一人前の発言者だ」というふうな変な「合意」が既に出来上がっている(これは「保守系論客」界隈に限ったことではない)。そうした批判は何であれ必要だとは思うけれども、日本ではそれがほとんど自動化しているからただただ不毛なのである。そういう奇妙なプチマッチョさを覗かせるシニカルな言論作法をさいきんの僕は許容しにくくなっている。辻田の『ルポ国威発揚』や『「戦前」の正体』は近く読まねばならない。後者は前に読んだことがあるような気もするんだけど。きのうは午後3時から2時間半ほどコハ氏といつもところで閑談。初音ミクと結婚した男の変態性も、異性の人間と結婚した人たちの変態性も自分は肯定する、とかそんな話をする。なぜか死刑の存廃をめぐる議論で盛り上がる。がっつり言って僕は、死刑は「人間の情動や感情」に少しも反さないからこそ、それは廃止すべきだと考えている。さっきジジイが電話を貸してくれと訪ねてきた。また料金未払いで止められているのだ。このジジイは勉強嫌いの情弱なので「携帯ショップ」までノコノコ行ってあきらかに高いプランを選ばされている。お前みたいな貧乏人は格安スマホでいいだろ。寒い。とても寒い。セナ様に温めてほしい。セナ様のたくましい肉体。男の中の男。ペンション「俺を愚弄するな」。

【備忘】600円、

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