傘を持って出歩くことのダサさに耐えること、愛と絶望の活動写真、塩分多めの狸汁、プレステ30年で5億台、
瀬那十三年十二月十日
午後十二時十八分。紅茶。アーモンドなしのチーズアーモンド。ふざけた商品だ。統合失調的抑鬱。「私」という一人称を使うたび不快を感ずる。名前で呼ばれるともっと不快を感ずる。私は個人なんかではありたくない。地獄とは個人のことだ。私はいつだって宇宙そのものでありたい。全体でありたい。セナ菩薩の睾丸のなかで新しい味のペペロンチーノを考案したりモーツァルトと腕相撲したりしていたい。シリアの独裁政権の崩壊。アサドはロシアに亡命。その規模や原因にかかわらず政権崩壊という言葉はやはり僕に興奮を強いる。とりあえずは寿ぎたい。世の中というのは混乱すればするだけ素敵になる。美しくなる。いまの日本に不足しているのは「真の混乱」だ。日本と呼ばれているこの国を蝕んでいるのは秩序なのだ。凡庸な秩序なのだ。凡庸な秩序は人々を仮死状態にしないではおかない。誰もが反秩序衝動を抑えながら日々を暮らしている。いっけん社会秩序を愛しているつもりでいる自称保守の人たちでさえ実は社会秩序を憎んでいる。シリア内戦についてはそれほど詳細を知らない。あのへんの歴史や勢力関係ってやたらごちゃごちゃしているからな。ただ斎藤元彦問題よりは研究に値するだろう。元彦にはもう飽きた。あの嘘つきカルト集団の首領が垂れ流したデマなんかは悪質すぎて付き合っているとウンザリする。なんでメイド・イン・ジャパンの「ポピュリスト」はこう小物ばかりなんだろう。攻撃するのはいつも自分より弱い人たちやすぐには逆らってこないような人たちばかりで、ガチで強大な他者や問題には立ち向かおうとしない(「原子力村」とかアメリカとか)。どんな「過激な反体制派」も日本型ファシズムにおいてはその補完勢力にしかなりえないだろう。どんなに激しい反資本主義的言説も結局は資本主義システムに包摂され養分になってしまうことに似ている(ジョセフ・ヒース&アンドルー・ポター『反逆の神話 「反体制」はカネになる』)。定型的身振りやシニシズムの罠に陥らずに何かに抗議し続けることほど難しいことはない。僕の敵はいつだって眼前の凡庸世界だ。いまも再生産されているこの凡庸世界。しかし休館日はどうも倦怠が強くなりすぎていけないね。やはり図書館に行かないと一日が締まらない。俺は図書館に通うためだけに生まれてきたような男だ。ときどきそれが仕事のように思えてくる。来る日も来る日も誰も読まないような本を読んでいるんだから給料くらい支払ってくれてもいいのに。いや本当に。「ご職業は?」「読書家です」。そろそろ飯食うよ。ご飯チンして、サニーサイドアップと納豆ね。きょうは三時には図書館に入る。獣たちの夏。プレステって初代から最新のものまで合わせると5億台以上も売れたんだね。最新のPS5(2020年)のことなんてぜんぜん知らなかった。もうコンシューマーゲームなんてやるような年齢じゃない。そういう気分にもなれない。世の中の残酷な暗部のことを知れば知るほど「そういう遊び」とは縁遠くなる。そうならないとおかしい。ミスターサタンと学ぶ日本経済。今日の雲古はいつもの倍以上臭かった。こんな臭いものを体の中に詰めている人間が自尊心など持てるはずがないだろう。どうせオイラは底辺の糞尿製造機さ。ところでセナ様は雲古をなされるんだろうか。たぶんなされる。でもそれはとてもいい匂いのする雲古だろう。オイラみたいな下賤の者とは違って。正義は絶対に勝たない。勝った時点で正義は正義ではなくなる。バタ臭い屍。ブルシット。虚無への供物。薔薇の残像。
【備忘】セナ伝、来年のセナ様カレンダー、マーラー論、中江兆民著作集、