ららら国東半島、ヒロポンがほしい、めんどくせーの、「ジャミラの死体に梅干しを近づけてはいけない」と親父は脱糞しながら言った、
十月三十日
午後十二時四三分。リッツ、ミックスナッツ、紅茶。午前十時半ごろ訪問者に起こされる。抑鬱が強く、布団から出たくなさ過ぎてまた泣きそうになる。ずっと寝てたい。もう死にたい。宇宙の全物質が死にたがっているのが分かる。タナトス症候群。何もかもを手に入れた虚しさに苛まれている。「何も食わないで一か月ほどじっとしていることは可能か」。こんな日記いくら書いても楽にならない。なら書かないほうがいい。ただ惰性だけで書いている。二階からのドシンドシンにやや敏感になっている。アルコールはとうぶん体にいれない。勉強だ。勉強以外に本当に楽しいことはない。この年になってようやく分かった。勉強以外はぜんぶどうでもいいことだ。勉強以外のことに夢中になっている人間は俺にとってどうでもいい人間だ。聖人とは生まれてから死ぬまで勉強だけしてる者のことだ。そして勉強に飽きたら潔く死んでしまう者のことだ。やたら眠たいんだけど。あの間抜けな訪問者のせいだ。今度あんな早朝にピンポン鳴らしてきたら迷わず延髄斬りだからな。西東三鬼賞という俳句の賞があると知って応募しようと思ったんだけど締切が10月31日だったのでやめた。句作はこんごも続けていきたい。俺は誰かに師事しているわけじゃない。独学の我流だ。我流というのは独り善がりの偏奇性に陥りやすいとある俳人が言っていた。それでもいいじゃん、と俺は思うけど。偏奇のなにが悪い。「偏奇館」の何が悪い。俺が今まで作った句で一番気に入っているのは、「首を吊るつもりの桜はもう葉桜」。俺の書いたほかの駄文は全部消えてもいいけど(というか消えてほしいけど)これだけは消えてほしくない。やや遅漏化しているんだ。寒くなったのも一因か。お酒を飲まないのならオナニーは寝る前にやったほうがいい。いままで入浴前にシコシコしていたのは入浴後は必ずお酒を飲んでいたからだ(酒が入ると勃起しにくくなる)。オナニー中は何度も手のひらを舐めるからシャワー後のほうが衛生面でも好ましい。
大下英治『小沢一郎の政権奪取戦略』(河出書房新社)を読む。
2009年の政権交代直前で終わる。ちょっと前の日本政界の全体図を理解する上で便利な一冊。ちょっと小沢先生に肩入れしすぎじゃないの、と思うこと頻りだったけど。解毒剤として西部邁の『小沢一郎は背広を着たゴロツキである』を読むといいかもしれない。「剛腕」とか「壊し屋」といったイメージが先行する小沢一郎だけど、それなりの信条や美学は一貫して持っているようだ。だいたい自民党幹事長まで務めた小沢が自民党を下野させることにあそこまで執念を燃やしているというのが既に面白い。権力闘争に勝ち抜く快楽はいちど味わうと頭を離れなくなるらしい。選挙や多数派工作をゲームのように楽しめる豪胆さがないと政治家なんかにはなれないんだろうな。こんかい立憲民主党が議席数を大きく伸ばせたのはほとんど「敵失」のおかげだ。積極的な支持があったからじゃない。でも小沢の政治嗅覚は相変わらず大したもの。立民の代表選で小沢が「恩讐を超えて」野田を推したのも、それなりに大物感のある野田のほうが政権を取りやすいという「現実的」判断があったからだろう。過半数割れした自公をこんご野党はどう追い込んでいくつもりなのか。一致団結する気はあるのか(「ほとんどの野党政治家は政権を取る気などはじめからない」というのは日本政界の常識)。維新や国民民主といった「ゆ党」対策はどうするのか。「策士」小沢はいま何を考えているのか。どうでもいいといえばどうでもいいのだけど。そろそろ昼飯。マイタケとチンゲン菜を炒めます。「真の男」セナ様に抱かれたいわ。桜も眠たそうだ。眠い。チェーホフ。