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虚しさに耐えかねて鼻をかむ、作田君のキラーボールあるいは滅亡小唄、青酸狩人、

十月二十日

「おまえは神を信じているか?」さらにつづけて、「もし信じているなら、神の体重はどれぐらいだと思う?」
そういいながら、伯父は長年の習練で身につけた自信たっぷりのしぐさで葉巻の煙を深々と吸いこみ、たちまち激しくむせかえった。あまり咳がひどいので、喀血するのではないかと思ったぐらいだ。
「ぼくは神を信じていません」とぼくは答えた。「だって、もし神が存在するなら、教えてください、伯父さん、なぜこの世から貧乏や禿げ頭がなくならないんです? なぜ、ある人間は病気ひとつせずに一生を送るのに、ある人間は偏頭痛で何週間も苦しまなけりゃならないんです? なぜ、われわれの日は数えられているんです? 答えてください、伯父さん。それとも、ぼくのいったことはショックでしたか?」

ウディ・アレン『これでおあいこ』肥満質の手記(伊藤典夫/浅倉久志・訳 河出書房新社)

午前十一時三八分。ネオバターロール、紅茶。カラエズキなし。頭が機能しないこと甚だしく苦痛。なんでこんな詰まんねえものを毎日書いてるんだ俺は。「非情とは男らしさではないのか?」とあなたは言う。「非情とは人らしさです」と私は言う。どちらも間違っているし、どちらも正しい。世界最小のポエム共和国。どん詰まりヌッポン。愛欲の隠れ蓑。昨日午後から母親が来て、野々市のラ・ムーとかで買い物。五キロの米を買うたびこれが払底するまで俺は生きているだろうか、と自問自答する。ってんなわけねえだろ! 俺そんな凡庸な感傷に浸る趣味ねえから。飲みながら死にたい。死にながら飲みたい。死ぬのなんかこわくない、とか言ってる奴らをぜんいん殺したい。また陰毛をブリーチしたくなってきたんだ。抑鬱がひどくなると必ず陰毛を剃るか脱色させたくなる。小分けタイプのやつ、ドラッグストアにないかな。ネット使って買うの嫌なんだよ。俺の陰毛を脱色させるためだけのものを運んでいると知ったらどんなトラックドライバーも死にたくなるだろう。世の中の空しさを知りたければ今までアマゾンや楽天で買った商品をぜんぶ思い出そうとしてみることだ。たぶんほとんど何も思い出せないだろう。セナ様に抱かれたい。セナ様におっぱいを激しくもまれたい。セナ様に根性焼きされたい。セナ様の灰皿になりたい。セナ様の靴下になりたい。セナ様の靴下になるためなら全世界を敵に回してもいい。永劫の罰も恐れない。こっちは菩薩のキンタマの中心部にいるんだから。菩薩のキンタマは永久に不滅なんだ。昨深夜、いい感じに深酔いしているなか、また隣のジジイが訪ねてきて、通話料金が支払えないから3500円貸してほしい、と深々と頭を下げた。
俺「もう嫌です、兄弟とかに借りてください、ぜったい俺より金持ってるでしょう、俺は労働してないんですよ、貧乏貴族学者なんですよ」
ジジイ「絶縁されたから、弟や妹のとこに行ってもすぐ追い返される、もう天涯孤独なんや」
俺「脅迫してもだめなんですか? 貸さないと家に火をつけるぞとか言ったりしても? 人を動かすにはその人の最も嫌がることをするのが一番です、昔ヤクザの事務所で使いっ走りをしていたならそのくらい常識として知ってるはずでしょう」
ジジイ「・・・」
俺「もう失うものなんてないんでしょう?」
ジジイ「・・・」
俺「自分を冷遇する人たちに復讐する快楽を知らない時点であなたは人間失格です」
ジジイ「・・・」

レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(ハーン小路恭子・訳 左右社)を読む。
マンスプレイニング(mansplaining)という言葉はこの著者によるものだと思い込んでいたが、そうではなかったようだ。知ったかぶりをしなくてよかったよ。女を「半人前」扱いしたがる男はじっさいかなり多い。物知りでもなんでもないのに物知りを気取りたがる男はかなり多い。なぜそうなるのか。「バカだから」というのは答えにならない(なんでも「バカ」で済ませるのはそれこそ「バカの一つ覚え」というものだ)。これについては俺はもう何度も言っている。男にとって「異性」はきほん「弱き者」でなければならないからだ。「もの知らぬ女(あるいはカマトト女)」の前でしかヘタレ男は発情できない。だから高学歴女(高収入女)に発情できる低学歴男(低収入男)は大したものだと思う。そんな男には見込みがある。逆説的なことに自分のダメさを率直に認められるダメ男はそこまでダメではない。知的に誠実であり、むしろ賢いほうだ。本当にダメなのはそのダメさを薄々知っていることからくるイライラを腕力の誇示やヘイト行為というかたちでごまかしたがる男だ。本書には恋人や夫に殴られたり殺されたりする女がたくさん出てくる。いちいち描写が生々しい。性暴力や痴漢行為やドメスティックバイオレンスは男から女に加えられることが圧倒的に多い。これはなぜか、という根源的問いを男が抱くことは少ない。映画や漫画なんかでも人を殴ったり殺したりしているのはだいたい男だ。男が女を殺した事件より、女が男を殺した事件のほうが話題を持つ。悪いことをやりまくる女は悪いことをやりまくる男に比べてずっと少ない。悪いことをやりまくる女は「毒婦」として特殊化される。「男としての優位意識」なんてのは最初から脆いものなんだ。脆いから必死に守ろうとする。攻撃は最大の防御というふうに。こんな分析をしてる私だってぜんぜん無関係じゃないよ。「生身の対人関係」においては紳士だけど書くときにはけっこう暴力的になることがあるからね。これでもときどき反省するんだよ。少なくとも反省するふりくらいはする。改心するつもりはこれっぽちもないけどね。もうやがて飯にするわ。ちょっと部屋で読んでから図書館行きます。五月雨式の男気。君の哀哭ぶりに俺は惚れたんだ。憂国リミッター解除。凋落だけが人生だ。さんざめく暗黒街。あうと、せーふ、よよいのよい。

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