カンボジアの将棋オク・チャトラン
はじめに
将棋の大内延介(のぶゆき)九段が書かれた『将棋の来た道』(小学館文庫、1998年)に出会って以来、将棋の歴史に関心をもってきた。とくに、大内九段がタイの将棋マークルックと将棋の類似を強調していたことから、東南アジアの将棋系ゲームについて、いろいろ調べるようになった。
このマークルックについては、日本語で読める文献も少なくないのだが、その変種ともいうべき、カンボジアのオク・チャトランについては、日本では(でも)ほとんど知られていない。
そこで、この記事では、このオク・チャトランについて紹介していきたい――なお、このゲームは、私自身も、将棋ができる同僚と1局指したことがあるだけ。
オク・チャトランの名称とルール
「オク・チャトラン」とは、クメール語(カンボジア語)で「チャトランガ式のオク」という意味で、現地では「オク・クマエ」すなわち「クメール式のオク」とも呼ばれるそうである。「オク」は、将棋系ゲーム一般を指す名称。
基本ルールは、他の将棋系ゲームと同じで、たがいに1手ずつコマを動かし、動いた先に敵のコマがあれば、とることができる。とられたコマは、ゲームから除かれる。先に相手の王様をとるか動けなくした(詰ませた)方の勝ち。
ボードはチェスとおなじ8×8マスで、コマの数もチェスと同じ。コマの動きも、ビショップにあたるコマが銀将の動きをする点を除けば、ほぼチェスの古い形と同じである。
コマの配置もチェスの黒とほぼ同じで、1列目は両端からルークと同じコマ、ナイトと同じコマ、ビショップの代わりのコマ、中央左にキングと同じコマ、右にクイーンと同じコマである。ただし、白も黒もキングはクイーンの左に配置され、ポーンにあたるコマが2列目ではなく(将棋の歩兵のように)3列目にならぶ。
また、ポーンは最終列ではなく、(将棋と同様に)敵陣である3列目で成ることができ、ニアンに昇格する。ここまでは、マークルックと同様である。
以下に各コマの名称と仮の日本語訳を挙げる。トンレサップ湖や、そこから遠くないアンコール・ワットでの、庶民や王族の生活が想起される名称である。
スダイッ(王) キングの動き(すなわち王将)
ニアン(乙女) 古いクイーンの動き(斜め四方に1マスずつ)
コール(柱) 銀将の動き
セッ(馬) ナイトの動き(すなわち八方桂)
トゥーク(舟) ルークの動き(すなわち飛車)
トライ(魚) ポーンの動き(ただし初手でも1マスずつ進む)
ご覧のように、チェスと将棋を知っていれば、すぐにでもコマの動きは覚えられる。
マークルックとの違いとされているのが、「王の跳躍」(初手のみ[横方向にのみ?]桂馬跳びができる)および「乙女の跳躍」(初手のみ前方へ2マス直進できる)と呼ばれる特殊なルールである――もっとも、これらのルールも、タイでも採用されている地域があるという。
引き分けに関するルールについては、よく分からない。マークルックのように、複雑なカウンティング・ルール(有利な方の残りコマ数によって引き分けまでの手数が決められる)があるのかもしれない。友達とやる分には、コマ枯れしたら引き分けで良いんじゃないかと思う。
アンコール遺跡群のオク・チャトラン
名称に、将棋系ゲーム共通の祖である「チャトランガ」がそのまま残っていることから、おそらく、このゲームは発祥の地であるインドから直接、カンボジアに渡ってきたのだろう。
カンボジアでは記録のために、紙の代わりに「貝葉」と呼ばれるヤシの葉が使われていたが、残念ながら、この葉はくさったり虫に食べられたりして長期保存に向いていなかった。そのため、オク・チャトランの歴史をたどるための古い文献は存在しない。
このゲームに関する最古の史料とされているのは、アンコール遺跡群に刻まれたレリーフである。これらのレリーフが成立した時期(12世紀前半~13世紀前半)はクメール帝国の最盛期にあたり、インドシナ半島の大部分が同国に支配されていた。
この帝国は内陸農業国家だったが、幹線道路が整備されており「海のシルクロード」とも繋がっていたという点は、将棋系ゲームの伝播を考えるうえで無視できないだろう。また、この時代には、シャム人は傭兵などとしてこの帝国と密接に関係していた。
オク・チャトランとマークルックの成立過程は不明だが、すくなくともシャム人がクメール帝国の支配下にあったこの時代には、カンボジアではオク・チャトランそのものか、その前身にあたる将棋系ゲームがすでに普及していたことは間違いない。
Ellinghoven(2003)によれば、アンコール遺跡群のレリーフのなかでも、スーリヤヴァルマン2世(Suryavarman II、生没年不詳)によるアンコール・ワット(建築時期:1113-50)の第1回廊南西角のものが、オクに関する最古の史料である。この「水祭」のレリーフでは、ボート・レースが行われている水路の奥にあるテラスで、対局が行われている。脚付きのボードや、現代のコマに非常によく似ており、かつ複数の異なる形をした7つのコマも確認できる。
また、アンコール・トムを建設したジャヤーヴァルマン7世(Jayavarman VII、生没年不詳)によるプリヤ・カーン寺院(建築時期:1184-91)にも、小さなボートのうえでオク・チャトランらしきゲームがプレイされているレリーフがあるという。ただし、このレリーフは部分的に崩壊している。
私見によれば――少なくとも日本語圏で――もっとも知られているのは、同じくジャヤーヴァルマン7世によるバイヨン寺院(建築時期:1191-1219)の第1回廊南東面に2つあるレリーフのうち、戦争まえの王宮内の様子を描いた方である。ここでは、床に跪いたプレイヤーが薄い板をボードにして、形の異なる4つの駒をはさんで向かい合っている。
もう一方は、「中国の商人たちを描いている可能性がある」とされる「大きなジャンク」のレリーフである。このジャンクの舳先では、作業中の水夫のそばに座った2人が、箱のようなボードと形に差異のあるコマ5つを使って対局している。このレリーフは、将棋系ゲームと「海のシルクロード」の関係を想起させる点、また中国系と思われる人々が象棋ではなく立体ゴマを使った将棋系ゲームをプレイしている点が興味深い。
参考文献
Cazaux, Jean-Louis/Knowlton, Rick (2017): A World of Chess. Its Development and Variations trough Centuries and Civilizations. Jefferson.
Ellinghoven, Bernd (2003): Kambodschach. Work in Progress zur Geschichte des Schachspiels in Kambodscha. In: Kambodschanische Kultur, 8. S. 90-122.