カンボジアの将棋オク・チャトランと「乙女の跳躍」
はじめに
Cazaux/Knowlton (2017)によれば、タイの将棋であるマークルックと、カンボジアの将棋であるオク・チャトランとの唯一の違いは、彼らが「王の跳躍」および「種の跳躍」(オク・チャトランの名称にあわせれば「乙女の跳躍」)とよぶ特殊なルールが、後者にだけ採用されている点である。
「以下のルールは、100年前まではタイにもあったが、今日のプレイヤーには無視されている。しかし、これらのルールは、カンボジアではいまだに一般的である。
・王の跳躍 キングは、初めて動くさい、チェックがかけられていなければ、ナイトのように2列目に跳ぶことができる[…]。
・種の跳躍 種は、初めて動くさい、2マスまえに跳ぶことができる[…]。そのさい、敵のコマがとれるとするプレイヤーもいるが、とれないとする者もいる」(Cazaux/Knowlton 2017: 79)
残念ながら、彼らはこのルールに関する参照文献をあげていない。そこで、この記事では、オク・チャトランのアイデンティティともいうべき、これらのルールをめぐって、いくつかの文献を紹介したい。なお、「種/乙女の跳躍」に関しては、オク・チャトランのコマ名にあわせて「乙女の跳躍」で統一する。
ド・ラ・ルベールの『シャム王国誌』(1691)
マークルックに関する最古の文献として、しばしば言及されるのが、フランスの「太陽王」ルイ14世時代の外交官、シモン・ド・ラ・ルベール(Simon de la Loubère, 1642-1729)の『シャム王国誌』である。
1687年から翌年にかけて、フランス使節としてシャムの首都アユタヤを訪れたド・ラ・ルベールは、帰国後に同書を著し、シャム人の娯楽として「チェス」にも言及している。
「彼らがとくに好む賭博は、彼らが「サカー」と呼ぶトリック・トラック[バックギャモン]で、おそらくはポルトガル人から教わったのだろう。というのも、彼らのプレイ方法は、ポルトガル人や私たちと同じだからである。[…]彼らはチェスを、私たちと同じ方法で、あるいは中国式の方法でプレイしている」(Loubère 1800: 126)
ここでは、タイ人が象棋(中国将棋)とならんで「私たちと同じ方法」のチェスもしている、と述べられている。「王の跳躍」についても「乙女の跳躍」についても述べられていないばかりか、これが本当にマークルックのことなのかも怪しい。当時のアユタヤの宮殿には、フランスに派遣された高官もいたはずなので、文字どおり「フランス人と同じ方法」のチェスをしていたのかもしれない。
将棋史研究に関心がある身からすると、「もっとちゃんと記録しとけよ」と腹をたてたくなるが、上級国民であるド・ラ・ルベール氏が忙しい本業の片手間に、こうした記述を残してくれたのだから、これだけでもありがたいと思わなくてはならないのだろう。
ロウの「シャムの文芸について」(1836)
私が目にしたなかで、確実にマークルックについて述べている最古の文献は、ずっと時代が下って、ジェームズ・ロウ(James Low, 1791-1852)の報告書「シャムの文芸について」である。
ロウは、スコットランド出身で、イギリス東インド会社のスタッフとしてシャムやマレーを調査した人物で、1818年にペナン(現在のマレーシア)に赴任している。
同報告書では、マークルックが詳細に言及されている。長大な棋譜が挙げられており、さらには複雑なカウンティング・ルールも紹介されているため、ロウが個人的に、異国のチェス系ゲームにつよい関心を寄せていたのではと思わせる。
「メットすなわち『大臣[minister]』(我々のクイーン)はキングの右手に位置し、初手では前に2マス直進できる――しかし、一度動いてしまうと、その後は斜め四方に1マスずつしか進めない」(Low 1836: 375)
同報告書では、このように、「乙女の跳躍」がハッキリと言及されている。これは、前述の「100年前まではタイにも」という指摘と矛盾しない。その一方で、「王の跳躍」についてはなにも言及されていない。
バスティアンの『絵入り新聞』(1864)への寄稿
および『東アジアの諸民族 第4巻』(1868)
ベルリン民族学博物館の初代館長として知られるアドルフ・バスティアン(Adolf Bastian, 1826-1905)は、船医としてオーストラリアに向かう船に乗りこんで以降、何度も世界旅行を行っている。
1861年から65年にかけておこなった東南アジアおよび東アジアへの調査旅行は、彼にとっては2回目の世界旅行であった。『東アジアの諸民族』(全6巻、1866-71)は、その記録である。
バスティアンの旅行記はビルマ(現在のミャンマー)から始まるが、ここに滞在中、「ビルマのチェス」に関する報告を『絵入り新聞』に寄稿している。その後、バンコク滞在時に、その続報という形で「シャムのチェス」を寄稿しているが、そこでは上述の特殊ルールについてはなにも触れておらず、ビルマとの違いとして、コマの配置が自由ではないこととポーンにあたるコマの昇格が指摘されているだけである。
その一方で、旅行記における、当時シャム領だったシェムリアップを訪れたさいの記述では、「乙女の跳躍」についてハッキリと言及されている。
アンコール・ワットの碑刻文を調査し――彼はその先駆者である――シェムリアップに帰還した翌日、同地を統治する長官の家での雑談中に、ふいにチェスの話になったようだ。会話はタイ語でおこなわれたようで、コマの名称も「メット」となっている。
「その翌日([1864年]1月6日)の午前中に、私は長官を訪ねた。客をもてなすために、接見の間には魚や鳥、焼き豚、バナナ、ケーキ、糖菓、アラク酒、ヤシ汁でいっぱいのテーブルが用意されていた。[…]チェスに関して言えば、カンボジアでのプレイの仕方はシャムと同じであり、唯一の違いはメットが最初だけ2マス進めるがその後は進めない、という話であった」(Bastian 1868: 126-127)
この記述からは、バスティアンの周囲にいたシャム人たちは「乙女の跳躍」を採用していなかったこと、しかし、シェムリアップでは採用されていたことが分かる。ロウの報告から30年しか経っていないにも関わらず、タイではこのルールが廃れてしまったのだろうか?
「王の跳躍」に関しては、またしても言及されていない。バスティアンの書き方からすれば、少なくとも当時のシェムリアップでは――シャム王の支配下にあったからか――このルールは採用されていなかったようだ。
ムーラの『カンボジア王国誌』(1883)
ジャン・ムーラ(Jean Moura, 1827-85)の『カンボジア王国誌』は、著名なMurray(1913)がオク・チャトランに関する文献として唯一挙げているため、比較的、将棋史研究界隈では知られていることだろう(?)。
1868年からフランス海軍の将校としてカンボジアに関わったムーラは、同地に強い関心を持ち、その文化や歴史を研究して同書を著した。
しかし、ムーラはこのゲームにはあまり詳しくなかったようだ。コマの名称と動き、またはコマの配置を混同し、以下のように述べている。
「ピースは、キング1枚、クイーン1枚、ナイト2枚、ルークの形の[ayant la forme de tours]『将[généraux]』2枚、それからビショップ2枚の代わりに『舟』2枚である。そのほかの8枚はまさにポーンで、このコマをクメール人は『魚』と呼んでいる。これは、“Sdach”(キング)が敵にとられないようにするというゲームであり、ヨーロッパととてもよく似た方法でプレイされている」(Moura 1883: 391)
チェスのピースについてキングから言及するなら、クイーン、ビショップ、ナイト、ルークの順が自然だから、そもそもチェス自体に興味がなかったのかとさえ思ってしまう。しかし、おそらくは、ビショップの位置にあるコール――銀将を知らないヨーロッパ人には謎めいたコマ――を最後に紹介しようとして、このような妙な記述をしてしまったのだろう。
ムーラは「将」なるコマの動きすら紹介していないので、そもそも期待すべきではないが、やはり特殊ルールについてはなにも言及していない。
おわりに
Cazaux/Knowlton (2017)が指摘するオク・チャトラン独自のルールについては、今のところ、唯一、Bastian (1868)が「乙女の跳躍」を両者の違いとして挙げているだけである。「王の跳躍」については、カンボジア独自かどうか以前に、いずれの文献でも言及されていない。
このルールは、どこから来たのだろうか? ほんとうにカンボジアでは採用されているのだろうか? 今後、カンボジア人の将棋好きに出会えたら、聞いてみたいものだ。
参考文献
Anonym (1864): Schach in Siam. In: Leipziger Illustrirte Zeitung. 16.4.1864. S. 266.(=『絵入り新聞』)
Bastian, Adolf (1868): Völker des östlichen Asien. Bd. 4. Reise durch Kambodja nach Cochinchina. Jena.(=『東アジアの諸民族 第4巻』)
Cazaux, Jean-Louis/Knowlton, Rick (2017): A World of Chess. Its Development and Variations trough Centuries and Civilizations. Jefferson.
Loubère, [Simon] de la (1800 [1691]): Beschreibung des Königreichs Siam. Übersetzer nicht benannt. Nürnberg.(=『シャム王国誌』)
Low, James (1836): On Siamese literature. In: Asiatic Researches. Or Transactions of the Society Instituted in Bengal for Inquiring Into the History and Antiquities, the Arts, Sciences and Literature of Asia. Vol. 20. S. 338-392.(=「シャムの文学について」)
Moura, J[ean] (1883): Le royaume du Cambodge. Tome premier. Paris.(=『カンボジア王国誌』)
Murray, H. J. R. (1913): A History of Chess. London.
伊藤拓馬(2021):『タイの民間ゲーム』、双天至尊堂。