INTJの核 ①抽象性
世間にはMBTIに対する様々な価値観、捉え方があるようだ。以下はあくまでユングの提唱した心理機能やそれに基づくMBTIの性格類型を肯定しそれらを前提にしたお話である。
MBTIの16タイプには各タイプの決め手となる「核」といえる構成要素が存在するはずだ。その要素はタイプに記された4つの心理機能の配列から導き出され、そのタイプに象徴される特性を鮮やかにあぶりだすことであろう。
以下はINTJ自認の私が独断で考える「INTJの5つの構成要素」である。
①抽象性
②自律性
③固有性
④目標遂行性
⑤静謐と熱誠の葛藤と統合
今回は、ひとつめの抽象性について考えてみたい。
■直観と抽象の関係
まず抽象性をINTJの構成要素の第一に挙げた理由として、主機能に内向直観Niを有することがあげられる。これはつまり、内外の刺激情報を直観的に知覚する「直観型」であることを示している。
「抽象性」とは、具体的な事物から一般的な概念や考えに結びつける能力や性質を指す。漢字の「抽」とは「引き抜くこと」とあり、異なるモノの中から共通する要素を抜き出したり、重要ではない部分を取り除き、物事の意味や本質、繋がりを見出そうとする性質のことである。そして、ユングの提唱する心理タイプ「直観型」もおおよそ同義の意味合いで説明されている。これらから、直観とは抽象化メカニズムのことであり、心理タイプの直観型は事物の認知、思考、行動全般にわたり抽象的性質を含んでいると個人的に結論づけている。また、「直観型」の対立概念として事物、事象をありのまま、ストレートに感覚知覚する「感覚型」がある。
■Niの発生機序
主機能に内向直観、Niを用いるのはINTJとINFJである。では、一般的に「内外の刺激情報を主機能Niによって直観的に知覚する」とはどのような機序を辿るのであろうか。
Ni主機能者(Ni者に以下略)が、ある刺激情報を見たり聞いたり、いわゆる五感で情報を知覚をすると、内部において無意識に上記の抽象性を発動させ一連の心的化合物(ひらめき、着想、洞察、会得など)を生成する。この心的化合物を生成することに対し自覚的であったり、生成したものを「そうに違いない」と確信できたり、そこまでではなくとも「そうかもしれない」と概ね肯定的に捉えて自分の中にすんなり取り込んでしまうのがNi者(特に)の標準であり、自分の直観を無根拠に信じてしまえるところが「直観型」の最たる面である。
直観型の人はこの「直観的知覚」が無意識のうちにいつ何時も働いている。例えば電車の中吊りの広告も見出しを読むなり「あのときのアレはつまりはこうゆうことだったのか…」と一見関係の無い知識や過去の出来事の関連性を見出したり、「見出しにはこう書いてあるけど実際はこうなんでしょ。」と知覚すると同時に背景や成り立ち、裏の狙いを捉えてしまう。(それが正しいかどうかは別として)
■直観と右脳との関係≒風が吹けば桶屋が儲かる観
ちなみに、何故、異なるモノの間に共通性や意味やつながりを見出せるのかは、左脳よりも右脳の機能特性が強く働くからではないかと推測している。人の大脳は左と右に分かれており、左脳は言語機能や思考機能を司り、右脳は空間認知や感情、直観を司っている。左脳の思考機能は、ひとつひとつを切り分けることで対象物それぞれを詳細に認識する。一方、右脳は全体の印象を捉えたり、位置関係、全体との繋がりを把握する。少々飛躍するが、右脳=直観ベースにおいては言葉や思考に分節し尽された現実世界にあってなお「全てはつながってる感」を心の内奥で深く通底させているのではないだろうか。これを通俗的に例えるならば「風が吹けば桶屋が儲かる観」と言えるだろう。
無意識、無自覚な心の深層に横たわる「つながってる感」これこそが直観型の最重要ポイントであり、合理性、効率重視、知識偏重気味なのもコレの抑圧、反動形成から実は来ているのではないかと思ったりしている。
■抽象と具体の往復
抽象性は、意味や関連性を見出すために様々な事象を並列に置いて、グループにしたりカテゴライズしたり、常に切ったり貼ったりを繰り返している。この作業において、視点を引いたり寄せたり、または複数の視点をもって同時に眺めたりとメタ認知を駆使していることに気付く。これを著述家の細谷功氏は「具体と抽象の往復」と表現されており、抽象度の高い視点を持つにはこの往復が必須であると述べている。「全てはつながってる感」という概念を有しつつも、INTJは、より高い抽象性を獲得するため、つながりを見出すため、あえて物事を細かく切り分けるという逆説的な振る舞いをしなければならない。これがのちに記載するINTJの心の深層における心的葛藤に影響を強く及ぼすのではないかと考えている。
■抽象性と対人関係における共感について
上述の右脳が感情を司っているという文言から派生してINTJの他者に対する共感的理解について考えてみる。INTJの人間関係の特徴に関する説明として、共感力に乏しい、他人の気持ちがわからない、気持ちを汲み取ることが苦手といった文章をよく目にする。本当にそうなのだろうか。私は半分正解で半分不正解ではないかと思っている。
INTJは第三機能に内向感情、Fiを有しているため、過度なストレスを抱えたり、何等かの理由で感情を抑圧しない限り自身の感情を自覚したり、自身の気持ちの変化を掴むことは出来るほうだと思う。しかし、INTJは主機能、第三機能ともに内向であり、内省した挙句、深掘りをしすぎて自分の感情によって翻弄され、自分によって内面を掻き乱される状況をつくりかねない。そうなるとINTJが美徳としている冷静さや客観性を保ち、有能感を保持することが出来なくなる。その防御策として、Fiを抑圧し自分や他者の感情を察知する働きを無意識に低下させているのではないだろうか。
また、もうひとつに「共感の抽象的理解」が挙げられる。相手は不安や怒りに対して、その心情を理解してほしい、自分に寄り添ってほしいと願うのだろうが、INTJは主機能Niと補助機能の外向思考Teの合わせ技により、図らずも他者の感情までも抽象度をあげて共感、理解をしてしまう。詳細な事象よりもその問題の本質や背景に目を向けてしまい、その観点から理解を示し、根本の解決に至る助言をしたり、相手の本質、内心に向けたアプローチ、ときに心のかさぶたを剥がしかねない対応をしてしまうことがある。決して適当とか機械的な対応というわけではない。むしろ熱心に相手の根っこの部分や将来を慮っての言動なのだが、いかんせん相手の理解を得ることは難しい。ときに他者は問題の解決を望んでいないという真実をINTJは理解しなければならない。問題解決思考なのは自分だけだと思っておいたほうが渡世においては無難に働くことが多いのが現実である。
以上、クールかつソリッドにINTJの核である五つの要素について表現するつもりであったがあれこれ書きたいことがまとまらず結局いつものとおり個人のバイアスに満ちた長文記事になってしまった。これからも日々の経験や思考の中からINTJの直観型ならではの抽象性にまつわるエッセンスを上手く拾い上げ、言語化、概念化できればと思っている。
最後までお目通しをいただき有難うございます。