見出し画像

「永遠のミュシャ」を鑑賞して

先日、渋谷ヒカリエで開催中の「グラン・パレ・イマーシブ永遠のミュシャ」へ行きました。ミュシャ財団監修、新感覚没入型展覧会ということで、美しい版画や絵画作品を解像度の高い映像で再現、新たな手法でミュシャの世界を表現しています。実際に鑑賞し、その素晴らしさはもちろんのこと、ミュシャの芸術に対する哲学的姿勢、深い信念をも感じ取ることができ、
改めて私にとってのミュシャの存在を問い直す素晴らしい機会を得ることが出来ました。

雑駁ではありますが印象に残ったことを以下に記します。ちなみに私は、学生時代、書店で挟まれた一片の栞をきっかけにミュシャの虜となった市井のファンです。他愛の無い感想にしばらく付き合ってくださると幸いです。

鑑賞当日、エレベーターとエスカレーターを乗り継ぎ渋谷のヒカリエホールに到着すると会場の入口に数人の女性が集まっています。映像開始まで20分ほど会場外で待機をし、その後、受付を済ませスタッフの誘導に従い静々と会場内へ入ります。

会場内部は、四方の壁いっぱいにパリのミュシャのアトリエを模したビジョンがクリアに映し出されています。窓から朝の光がたっぷりと差し込み、小鳥のさえずりがどこからか聞こえ、こっそりとアトリエにお邪魔しているよう。内装はまるで貴族のお屋敷みたいで瀟洒な雰囲気が漂ってきます。私は会場後方に置かれた四角いソファに腰かけます。直に室内は暗くなり映像が滑らかに動き出します。

作品は、ミュシャの故郷を彷彿とさせるチェコ、モラヴィア地方の郊外、どこまでも広がる草原の映像から始まり、ミュシャが最も活躍したパリの石畳の小径、セーヌ河のほとり、そしてアトリエ、次々に場面が展開してゆきます。ミュシャの生い立ちから活躍の歴史を映像で追いつつ、いよいよミュシャの代名詞である女優サラ・ベルナールをモデルとしたポスター版画の作品が大輪の花が鮮やかに開くように壁面いっぱいに映し出されます。        

なお、新感覚のイマーシブ展示の詳細は、他のnoterさん方も秀逸な記事をたくさん挙げていらっしゃいます。いずれも美しいミュシャ作品をアップされており、文字だけでなく画像でもたっぷりと楽しめる記事ばかりです。展示の模様をお伝えすべく私も書いてみたいのですが、他の方のように写実的に書き表したり、画像をアップするスキルが無いためイマーシブな魅力をここでお伝え出来そうにありません。ですので、どうぞ「#ミュシャ」で他の方の記事を読み比べていただけると一層、ミュシャ展の魅力を知れること請け合いです。(なんて言ったりして描写を怠けました、どうぞご容赦ください)            

ということで話は飛んでイマーシブ体験の感想をいつものように主観ましましに記してゆこうと思います。                           

感想①映像技術ならではの表現によりミュシャ作品の動的感動に溺れる!               
会場内の壁全面を用い、視界めいっぱいに展開されるミュシャの作品たち。さながら万華鏡と見紛うようなきらびやかな美しさ。美と慈愛に満ちた女神の如き女性が画面いっぱいに大きくなったり、幾人にも分身してあっちにもこっちにも増殖したり。(表現が拙くて申し訳ない)私の涙腺と鼻腔は、映像の開始直後からめくるめくミュシャ世界に圧倒され、感動のあまりドアーッと崩壊しました。                              

感想②美とは神か、真理か? フライングして「あの世」を見てきた!         
女性画の他にも植物を模した象徴的なデザインなども映し出されます。淡いピンクと黄色の色彩が一斉に展開するその美しさと十全さと言ったらもう…。なんと優美で清廉な世界。ちょっと偏った表現で恐縮ですけど、私、不覚にも「あの世を覗いてきちゃった感」を味わってしまいました。いやー巨大画面でミュシャ作品を鑑賞することは異次元にトリップすることを指すのですね。それはイマーシブ体験の大きな収穫といっても過言ではありません。私の「あの世観」は完全にミュシャ様式に縁どられ多幸感で満ち溢れたところとして脳内にしっかりとインプットされました。どうせ現世であの世を見た人などいないのですから私の「あの世」はもうこの線で行こうと思います。                                             

感想③ミュシャの芸術に対する哲学と深い信念に触れる!
映像会場を出た後は各種展示パネルが配置され、パリのアトリエの写真、ミュシャの肉声音源、好んで使用したフレグランスの香りなど五感を刺激しつつミュシャの人間的側面にスポットを当てる構成でした。そして、ミュシャに未完の作品があることを私は今回の展示で初めて知りました。

ミュシャは、画家としての人生の後半を「スラブ叙事詩」というスラブ民族の苦難と独立の歴史、民族の誇りを20作にわたる超巨大な油絵の作製に費やしました。そして、この大作を仕上げたあと、更にミュシャは人類をテーマにした連作の構想をあたためていたのです。その作品は3作から成り、順に「理性の世界」「英知の世界」「愛の世界」というタイトルであったそうです。ミュシャは自らのルーツであるスラブ民族の魂を描いたあと、より大きなテーマである人類そのものに目を向け、その本質について表現しようとしたのです。

果たしてミュシャは、当時の混迷を深める世界情勢の中、この深淵なテーマをどのように表現するつもりであったのだろう。第一次、第二次世界大戦という二つの戦争のあいだにあって、民族や国家をも超える「人類」という、より大きな概念に思いを馳せるミュシャ。その内奥に宿した根源的な創造力とは一体どのようなものであったのか。もし、この絵が完成されていたならば世界はどのように変わっていたのだろう。パネルの説明を目で追いながら私の脳内には止めどない想像や問いが湧き上がりました。

しかし、ミュシャはそれを遂げることができませんでした。ナチスのゲシュタポに拘束され尋問を受けました。その後、拘束を解かれたものの体を壊し、還らぬ人となったからです。ミュシャはメーソンリー及びチェコ民族主義派の先鋒としてチェコで真っ先に拘束をされた一人であったそうです。そして、ナチスドイツはミュシャの愛した祖国チェコを侵攻します。     

ミュシャは人類の持つ真の豊かさ、真理を自身の絵筆で表現しようとしたのではないかと私は想像します。その情熱が全体主義と戦争によって絶たれてしまったことは皮肉な結果であり、同時になんて示唆的なのであろうか。複雑な思いが私のなかで渦巻きました。                             

感想④ ミュシャの創造性の源とは?
また、作品のみならず、ミュシャの発した言葉もいくつかパネルで展示されていました。どれも哲学的で深い意味を感じさせるものであり、ミュシャの芸術に対する誠実な姿勢を言葉のうちに見ることができました。ここでは特に印象に残った次の言葉を紹介したいと思います。

絵画とは攻撃的に作用するものです。それは観る者の目を通して魂にまでたやすく入り込みます。外観に誘惑され、人はその前で立ち止まり内容や意味を探し求め、やがてその本質である美や真理、つまり作品創造の背景を見出すのです。                  アルフォンス・ミュシャ 


私は、ミュシャの美しい作品群から彼の作品創造の背景を思い、尽きることの無い創造の源泉を見出します。人も植物も日も月も風も土も、生きとし生ける全ての生命と世界に周く存在を、ミュシャは光と影をもって讃えました。おそらくミュシャは愛そのものを描き続けたのだと私は思います。                   

ミュシャは日本でも大変に人気のある画家です。年間を通じ、全国の美術館で展覧会が開催されています。様々なnoterさんが書かれたミュシャの記事を読まれ、興味を持ち、お近くの美術館に足を運ばれる方がもしいらしたら、それは、私にとり、この上なく嬉しいことです。混迷を極める世界においてミュシャの作品はこうして永遠の光をどこまでも差すことでしょう。
                            

長文にお付き合いをいただき誠に有難うございました。

いいなと思ったら応援しよう!