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「愛がたりない人」と検索したら。

前回、自分に愛がたりないことを悟った記事を書いた。その話にはまだ続きがある。私はそのあと試しに「愛がたりない人」というワードでネット検索をかけた。すると「愛がたりない人の特徴」といったタイトル記事が複数出てきた。愛情不足の人にありがちな行動から愛情不足の原因まで。私はライブの帰路の電車のなか、つり革に手を引っかけ体が左右に揺れながらスマホをスクロールして次々記事に目を通す。

そのなかでひとつ。私の目に留まった一文があった。「愛がたりない人は発達早期や幼少期の被虐待体験等のトラウマ形成や母子関係を主とした愛着障害等をきっかけとして自己愛性パーソナリティー障害を発症する場合があります。」この一文を読んで少々驚いた。愛がたりないということはトラウマや自己愛に関係するだと???まさか私がパーソナリティー障害ってこと???いやいや全く思いも寄らないワードを突如ぶっ込まれ私の脳内が電車の揺れと共振している。

更に色々検索してみる。外傷性トラウマや複雑性PTSDを専門のカウンセリングを運営しているサイトにはトラウマとか歪んだ自己愛など、こころの諸問題に関する詳細な記事が多数あげられている。そして自己愛性パーソナリティー障害の記述を読むと自分の認知傾向や行動様式と妙に符合する部分があることに気付く。

例えば、以下の特徴など。                               
・誇大化した自己と無力化された自己                        
・思ったとおりに物事を進めたい                                 
・自己不全感と強迫傾向                                   
・周囲をコントロールする傾向                                
・注意や集中の向け方が独特                            
・プライドが高くて傷つきやすい                                   
・規則正しく合理的に生きる                                 
・身体に弱い箇所がある(アレルギーなど) 
                   参照: こころのえ相談室                      

これらの項目、確かに心当たりがある。だが、現在の私はこれらによって何らかの生活の支障や対人トラブルなど特段に遭遇することなく穏便に過ごすことが出来ている。「困りごと」や「生きづらさ」に至るようなエピソードもこれと言って思いつかない。

個人的見解として、元来、私は自己愛性パーソナリティー障害に似た認知特性、行動傾向を有している。しかし、それらも今日に至っては日常生活に悪影響の及ぶものでは無く、あくまでパーソナリティー、スタイルの範疇だといえる。つまり、それは社会生活に適応できるよう自分で自己愛的側面をコントロールした賜物であり、自己愛的振る舞いのなかに自身の長所や他者の利益に帰するよう修正をかけてきた結果なのだと思う。

振り返れば、幼少期から就職する頃までのおよそ20年近くは、認知や思考の面で奇怪な偏りがあったし、社会にすんなり馴染めていたとはちょっと言い難い。あの頃の私は自己愛性パーソナリティー障害の概念に当てはまる気が正直しなくもない。というかすっぽり該当しているじゃないか。                 

なお、自己愛性パーソナリティ障害について、とあるサイトの説明ではあるが紹介まで大まかに記しておく。            

自己愛性パーソナリティ障害は、現実からかけ離れた誇大な自己評価をしており、賞賛されることに対して強い欲求がある一方で、他者に対しては能力を過少評価したり、共感の欠如があるのが特徴です。自己愛とは自分を大切にすることをいいます。自己愛は少なからず誰にでもあるものです。自己愛は年齢を重ねるごとに成熟していくといわれています。自己愛性パーソナリティ障害の人は、自己愛が未成熟な状態にあると言えます。自己愛が未成熟な状態は、ありのままの自分を受け入れ愛することが出来ない状態をいいます。その未成熟さの現れが「自己の誇大化」、「他者からの評価に対する敏感さ」、「共感性の薄さ」になります。           
                   

リタリコ発達ナビ

また、自己愛性パーソナリティー障害には、自己顕示的振る舞いを主とするタイプと過剰に抑制的で他者に対し回避傾向のタイプがあるそう。私は後者のタイプに近い。

それにしても。記事を読めば読むほどに自分にチクチク刺さってくる。これまでnoteに何度も書いたことだが私には幼少期のしくじり体験が豊富にある。左利きかつ不器用なことによる失敗と屈辱。外界に対する過剰な防衛反応による同世代の子供や周囲の大人とのコミュニケーションの違和。更にそこから形成された不全感、無能感といった自己蔑視と外界への恐怖。いずれも自分の内面で消化(昇華)したはずの事なのに。にもかかわらず何故だか気になって仕方が無い。未だ受容しきれない傷が心の内奥で未だにくすぶっているとでも言うのだろうか。              

そういえば、テレフォン人生相談でお馴染みの社会心理学者の加藤諦三先生も「自己愛(ナルシシズム)と現代社会の関係こそ人類における最大のテーマです。」と動画で仰っていたし、精神科医の岡田尊司氏も「自己愛型人間と自己愛型社会の到来」を書籍でも詳しく書かれている。いやまさにその通り。自我と自己愛とは人間における非常に根源的な概念であり、それはまるでコインの表と裏なのだ。

幼い頃より、私の脳裏にべったりとへばりついて離れない観念とは、多分、この自我と自己愛にまつわるものなのだろう。自我はコインの表として私個人の強い発達を促す人格形成の核であり、一方で自己愛はコインの裏として私の影となって黒く長く私を脅かす存在として居座り続けた。        

指でつまんだコインを交互に返しては裏から表から私は飽きもせずじっと眺めている。私の人生、つまるところそんなところだ。

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