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「おきりこみ」スーパーソウルフード
突然ですが「おきりこみ」って何かご存知ですか。あ、画像は山梨県の名物「ほうとう」です。ちなみに、ほうとうは幅広扁平な生うどんを味噌入りのつゆとかぼちゃをメインとした根菜類を加えた煮込みうどんです。うどんに濃い目のおつゆの取り合わせが良いお味です。うどんを生から煮込むためつゆにとろみがついて冬は体がとっても温まります。具材も、里芋、人参、大根と野菜がたっぷりでお腹もいっぱいになります。
そうでした。「ほうとう」ではなくて「おきりこみ」でした。その「おきりこみ」ですが、こちらは群馬県の名物で、同じく幅広の平たいうどんで味付けはしょうゆベースです。これまたお野菜の甘味がしっかり出て大変おいしいです。個人的にはお味噌が少し苦手なのでお醤油味の「おきりこみ」のほうが私は食べやすいです。ついでに、見た目が「ほうとう」と限りなく似ているため「ほうとう」の画像を拝借してしまいました。(紛らわしいことをしてすみません…)
で、何故に私のソウルフードとして銘打ったかと申しますと、もちろんお味もさることながら、実はこの「おきりこみ」という名称にあります。ところによっては「おきりこみ」だけでは気合が足りぬのか「おっきりこみ」と称する地域もあり、小麦文化の群馬県では昔は家々で手打ちで作り、宴席などで振る舞われたそうです。
話を戻します。このところの私のキーワードは「生ききる」であり、また以前にも記しましたが、私の思考、行動パターンは複合動詞の「キル」と「コム」に集約されています。ざっくり述べると、複合動詞「キル」は歌いきる、走りきるなど、元の動詞の完了を更に強化する働き「すっかり~する」があります。そして、複合動詞「コム」は話しこむ、意気ごむなど、元の動詞の行為を更に強める、深める働きを有します。
上記より、これは完全に文法上誤りではありますが勝手に次のように規定します。そもそも「生きる」とは「生+キル」であり、それは「生ききること」を成している。つまり、すっかり生ききった状態、生を完了した状態こそが「生きる」なのである。従って、本当のことを言えば、人が生きることに「生きやすさ」も「生きづらさ」も有りません。すっかり生きること=生を全うする、ただそれだけなのですから。なんて言いきりながらこれまでの私の生き方がそこまで意気っていたかというと少々疑わしい限りです。それでもマインドはこんな感じで在り続けたいわけです。
そこでやっと「おきりこみ」です。おきりこみというワードを分解すると、「生」は訓読みで「おい」という読み方があります。生い立ち、相生(あいおい)など。造語ですが、生いいる(おいいる/おる)=老いる。すっかり、確かに生きるとは老いること。語感はまずまず悪くないです。そして上述の私のマインド「キル」と「コム」。これら3つのワードを繋ぎ合わせたらこんな風になります。
おきりこみ
↓
生いいる/生る+キル+コム→生いきることをこむ
↓
強く、深く、すっかり、生を全うする
謎の語句変換により素朴な風味のおきりこみうどんが何だか怪しいパワーワードへ変貌を遂げました。こうなると俄然、私のなかでおきりこみが以前にも増して滋味深く郷土色豊かなスーパーソウルフード(超精神郷土料理)へと天高く昇るのです。(おきりこみが天に舞い昇る映像を絶賛想像中)
とまあ、そんな妄想に駆られつつ今日も私はスーパーでお手軽な鍋の素を1袋、特売の1個138円のおきりこみうどん、そして一向に値下がる気配の無い白菜やらなんやらを購入するのです。こうしてもっともらしい言い訳を考案し、手抜きだらけの炊事を正当化すべく家族からの総攻撃を私は迎え打つのでありました。
以上、現実逃避の戯言にお付き合いをいただきどうも有難うございました。