INTJ 私のメインテーマはSe劣等にあり
〈私がINTJに至った要因や背景を自分勝手にあれこれ考えてみた その2〉
INTJに関するよしなしごとを1つ。
INTJの主機能はNi、内的直観であり、そのタイプを語るうえでは、主機能を中心に語られることが多いかと思います。が、私に関して言えば、INTJの劣等機能であるSe、外的感覚、との葛藤こそが幼少期からのメインテーマでありました。
超Se劣等機能なくして私の主機能であるNiは、現在のように機能することは無かったでしょうし、Niが偏りかつ歪んで発達してしまうことも無かったであろうと考えます。
「幼少期の私に常に暗い影を落とし続けていたもの=不器用であること」
心理機能の説明として、Se、外的感覚は次のように言われています。 ・今、現在の外界に集中すること ・五感で得られた感覚、知覚をありのままにインプットする機能 ・瞬間の状況に応じて適切に体を調整したり運動するアウトプット機能 ・外界の刺激、環境に対して即時対応できる様
スポーツの上達や楽器演奏の習熟、巧緻な手作業には、Se機能の発達やSeを十分に用いることがカギとなると言われています。
私はこのSeを上手く扱うことができません。 初等教育は、Se(体験型学習)からFe(社会機能維持のための集団行動)Te(論理的思考)への展開を教育の柱としているため、Seをコントロールできないということは、当然、幼稚園入園のっけからつまづくことになります。
具体例を挙げれば、園服のボタンをかけられない(園服は、入園希望者を募ることが目的であるためデザイン重視となり、Se劣等幼児が着脱するにはおよそハイレベルな装いとなる)、紐が結べない、折り紙を線に沿って折れない、砂団子が作れない、リズムに合わせて踊れない等々、やることなすことすべて不出来、不能な自分を直視せざるを得ず、私は入園前の全能感を早々に打ち砕かれ、悲しいかな、周囲との差異を認識し、自身のダメさ加減を洞察するメタ認知能力だけが養われたのでした。
更に、Se劣等であったとして、その状況に対するアプローチの仕方もまたその後の人格形成に影響を及ぼしました。
例えば、私が正攻法で、不出来と対峙し、練習をして、苦手を克服できれば、もしかすると早々にINTJ‐Aというタイプになったかもしれません。はたまた、私に幼稚園の先生や親に出来ない自分を打ち明けたり、泣きつくことができる自己開示、外向性さえあれば、ひょっとするとENTJ者になっていたかもしれません。
ですが、私は生まれついての内向型で、勿論そんなこともできず、幼少の身で取った戦略は、徹底的にSe的アクティビティを避けるという超消極的な戦術でした。
工作、折り紙、あやとり、粘土細工といった手先を用いる作業には、幼稚園や学校の強制プログラム以外、自ら軽率には手を付けない、得意な子にさりげなくパスをする等の策を練り、恥の上塗りは決してしませんでした。
そして、その代わりに手先を全く使わない、Niアクティビティ(想像、ごっご遊び、文字言語を用いた抽象的な遊び)を多用することで、全くもってパッとしない日々に対して自分なりの楽しみに興じていたのでした…。
というように、ざっくり振り返ってみたところ、私のINTJのタイプ形成は、劣等機能Seに伴う現実世界の不全感が前提にあり、その不全感を払拭するために正反対であるNiを用いたことにあるのではないか、そのことで主機能Niの発達が促され、紆余曲折しながら現在に至ったのではないかとまとめることにしました。
そして同様に、その他の補助機能Te外的思考や第三機能Fi内的感情も、同様に相互作用の結果として、長い経過のなかで表れてくるのであろうと考えています。
では、私のメインテーマがSe劣等にあるとして、INTJ話から少々脱線するかもしれませんが、手先が器用な人と不器用な人…と何故分かれるのか、私が左ききであることや感覚過敏傾向があったことで、これらの機能とどのように関連していったのか等についても以降、考察をしてゆきたいと思います。