見出し画像

INTJ Se劣等機能と不器用に関する考察

〈私がINTJに至った要因や背景を自分勝手にあれこれ考えてみた その3〉

「内的直観機能Niが外的感覚機能Seを阻害する」

手先が器用な人間と不器用な人間、世界はなぜ2種類の人間を生んだのか…。なんて大げさですが、不器用側にいるばっかりに私は小さな頃から肩身の狭い思いを勝手にしていました。今回はこの不器用さに関して個人的考察をしてみたいと思います。

[手先が不器用とはどのようなことか]

まず、手先が不器用であるということは、科学的には、脳や身体機能が関連するところであり、脳から運動を指示する神経伝達と、体を動かすための運動機能、またその運動から得られた感覚刺激を脳へ送り返すための神経伝達、これら一連の働きにおけるアンバランスさや非効率さ、コントロール不良な状態であると定義付けできると言えます。

[手先の不器用さを決定づける因子を自分勝手にあれこれ挙げてみた]

心理タイプの決定に遺伝と環境の双方が関わるという説を勝手に借用するならば、手先が不器用であることの決定には、遺伝と環境の双方が関与しているとも言えるのではないかと思います。その因子について更に具体的に探ってみました。

①遺伝因子                               小学校に上がる際、母親のお手製の音楽袋の仕上がりを見て子供ながらに密かに落胆した。彫刻刀でリコーダーの裏に名前を彫ってもらったときも「母に頼まなきゃ良かった」と思った。しかし、子供心に申し訳なくて言えなかった。母親に三つ編みやポニーテールといった可愛いらしい髪型にしてもらった記憶もない…。ああ、そっかあ。                                        でも、そのかわり、私が不器用であることを、母はなじることも、馬鹿にすることも無かったし、問題視している風もなかった。

②体質による因子                                  ・体質とでもいうのだろうか、とにかく私は幼い頃からひどく体が硬かった。前屈をしても床に手が全く届かず、バレエ教室も体が異様に硬いため2回目でギブアップした。また私は普段から筋緊張が高く、無意識に体に力を入れており、気が付くと両肩が上がっていたり手を結んでいることが多かった。おそらくは、周囲の環境に対する過敏さからくる緊張だったのではないかと推測するが、確かに、これでは指先など体の各部位を柔軟に動かし、器用に工作や手芸をすることは難しかろう。いまでもストレッチ動画で全身の力を抜くよう言われても、力の抜き方がどうもよくわからない。

・感覚過敏の傾向もよくよく考えると不器用を助長させていたかもしれない。例えば、工作で水のりが指につくときのベトベト感が嫌だったり、手に油粘土の油のにおいがつくことを極端に嫌ったり、折り紙の指に伝わるサラツル感が妙に気になるなど、今となれば感覚過敏のために手作業そのものを嫌悪する状況が発生していたとも考えられる。特に触覚、嗅覚、味覚に対するこだわり、偏向が強かった。まじないじみた行為もよくしていた。食器棚のにおいのついたお箸が嫌いで食事前には必ず水で洗っていたし…。さすがに親も引き気味だったことを覚えている。

③環境による因子                                 左ききであることもきっと影響したでろう。何故なら、世間はおおかた右きき用に出来ており、まわりは右きき者ばかりであるため、箸や鉛筆の持ち方を見様見真似で覚えようにも、左右が反転しており、イメージがつかず習得に苦労した。その中でも、紐結びが本当に苦手であった。紐をどちらから通すかなど感覚が全く身に付かず早々にあきらめた。未だにきれいなリボン結びが出来ず何故か縦結びになってしまう。       

④内的直観機能Niによる外的感覚機能Seの阻害                  もう1つ、不器用さに関する因子がこの内的直観機能である。これまでも、NiとSeは相互に関係していると述べてきたが、手先の不器用さも少なからずこのNiが関わっていると私は踏んでいる。とはいっても、これは、直観機能に関する様々な記述を読みかじり、それこそ勝手に、自分なりに咀嚼した見解である。その考えに至った意図、理由はまた別の機会に記したい。

・内的直観にしろ、外的直観にしろ、直観機能の根底には未来から想起される「不安」が必ず内在している。そのため、Niが強いと、予期不安や失敗恐怖を感じやすく、かつその失敗の風景をありありと想像し、エンドレスに反芻をしてしまう。そのため、失敗や不安を回避するために苦手な手先の作業を避ける。結果、細かい作業がいつまでたっても一向に上達しない。     

・直観機能は、時間の概念、時間感覚がとにかく強い。何をやるにも、無意識に制限時間や目標タイムを想定してしまう。そのため、じっくり丁寧に作業に取り組むことが出来ない。「まだ、出来ていない。早くやらないと。」と自分に叱咤して、質よりスピードを重視してしまう。当然、作業は雑になり、仕上がりは不出来となる。

・直観機能は、周囲の様々な情報を集め、それらを関連付けて考えたり、洞察する機能である。常にアンテナを張っているといえば聞こえは良いが、注意が分散しがちであるため、作業中においても「今、ここ、目の前、手元のこと」に全く集中ができない。よって、作業の工程が覚えられないし、満足いく成果はあげられない。職人さんのようなコツコツと丹念に作業を進めるといった価値観とは全くもって対極なのである。

以上、「手先の不器用さを決定づける因子」を雑駁ですが自分の思いのつく限りいろいろと挙げてみました。

私は、自身の経験から、内的直観機能Niの発達には、外的感覚機能Seが劣等であることが必要だと考えました。しかし、このSe劣等であることも同様にNiや上記に挙げた因子が関与しているという考察の結果に至りました。

ギリシャ神話でしたっけ、1匹の蛇が自身の長い尾をかじり、1つの輪になって無限ループに陥るといったそんなお話…。なんだか、自分でも何を書いているのか、何が始まりで何が結論だかだんだんよくわからなくなってしまいました。

長くはなりましたが、とにかく全てのことがあらゆるものと関わりあってINTJの自分が形成された、ということだけはまずまず外れていないのではないかなと思っています。

この厄介なNi主機能とSe劣等機能とは、ときに圧倒されたり、反目したり、リスペクトをしながら、自身に内在するオリジナリティと捉え、長年大事に付き合ってきました。

自己規定的ではありますが自分自身を構造的に理解することで、いつか、どこかで、何かに活かしてゆけることがきっとあるような気がして今日もいろいろ考えている次第です。                          (それにしても自己、自分、自身…INTJってやっぱり自分本位ですね)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?