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INTJとHSP②(二つの概念の共存)        

タイトル画像にダリアの写真をお借りしました。先日、植物園に行きダリアを鑑賞しました。ダリアはキク科の花で品種も豊富。改良を重ねて花弁が多く形の大きい種類も。色も鮮やかでダイナミックな印象です。反面、花が大きすぎて茎だけでは支え切れず四方を添木に囲まれていたりします。このアンバランスさも含めダリアの魅力なのかもしれません。INTJとHSPという正反対に映る概念も合わさるとこんな風に見えるものなのでしょうか。                           

前回の記事で、MBTI×パーソナリティーというサイトのコラムからINタイプの感覚刺激や知覚情報に対する過敏性やHSP傾向の可能性に関する記述を紹介いたしました。                                  

さて、今回はその所感です。まずIN型と過敏性・HSP傾向との関係性ですが、おそらくは内向的な心理機能(Fi、Ti)と直観機能(NiもしくはNe)との相互作用によるところなのかと思われます。しかし、これらを語るには私は他タイプに対する洞察が働かず認識不足です。よって自認するINTJというか私個人にあてはめて書き進めてゆくことにします。

一般的な印象として、INTJとHSPを並べたとき正反対のイメージを持たれることが多いのではないでしょうか。INTJは客観冷静、タフで強いイメージ。他方、HSPは些細な事にも反応する繊細さ、感情豊かで何事にも気遣いするイメージなど。明らかに相反する二つの概念ですが個人のなかでこれらは両立するのか、するならばその根拠を私なりに考えてみたいと思います。

まず、直観(N)とは見えないもの、そこに無いものを知覚する働きです。直観(≠直感)という言葉から超能力や霊的なイメージを想起しやすいですが、心理機能でいう直観とは抽象概念や少し先の未来なども含めた見えないもの全般を見ようとする働き、見通しをつける働きだと言えます。

そして、直観の始まりを突き詰めると人類の未知の事柄に対する恐怖、怯えといった感情に行き着き、つまりは不安という感情の起源まで直観は遡るのではないかと私は推測しています。なので、不安と直観は常にセットでありサイトの説明のように直観型の人が不安傾向と親和性が高いのはむしろ当然といえるのかもしれません。

その一方で、人類は不安から克服する手段、見えないものへの対抗手段として直観を外向と内向の2方向に振り分け、拡散(Ne)と収束(Ni)という真逆の対処法を開発しました。Neは不安を内界から締め出し外界へ放出する不安を外部に対する強い興味、好奇心に置き換え、拡散という形をとって対処をする。逆にNiは不安と対峙し自我との統合(抽象度の次元を上げる)を図り、別の事物、概念へと変容、昇華させる。私は外向と内向とで直観の処し方が正反対であることを面白く感じます。人類は生存戦略、種の保存を目的として無意識のうちに2種類の対処方法を生み出し、その時々でいずれかを選択しながら不安という観念を巧みに取り扱い、結果的に人類の飛躍的な発達的進化を遂げることが出来た。そのようなビジョンが浮びます。

そのため直観機能が内向きに強く働くINFJ、INTJ(主機能がNi)においては、特に不安から派生する諸問題に対してある種の解決や対峙を図ろうとする傾向が強い印象を受けます。             

また、MBTIは情報をどう知覚し、どう判断するかの2点をもってタイプ分類をしています。ということは、仮に感覚過敏や複雑な感情を有していたとしても、その判断において思考を用いれば、それは思考タイプにあたることになります。INTJでHSP傾向の私は、過剰な感情や感覚過敏を自覚する故それらに左右されぬよう、判断においては筋が通っているか、理に適っているか、他者の立場に成り代わってどうか、情理を尽くしたのか…という具合に理性と感情を考慮するよう心掛けています。要約すれば自身の認知傾向(バイアス)に自覚的であれ、ということです。

念のためネットの辞書で調べると、共存とは次のように記されています。「共存は、二つ以上のものが互いに損なうことなく、うまく折り合いをつけて同時に存在すること」とあります。なるほど、対極にあるようなINTJとHSPとの共存の鍵はうまく折り合いをつけることにあるのですね。この折り合いというのが私にとっては自分のバイアスに気を付けろということであり、そのバイアスとは過去の経験から学習した固有の認知パターン、クセ、歪みといったものにあたります。このバイアスの影響により私の思考や認知は対極から対極へ、とかく右往左往しやすいため双方のバランス、落としどころを念頭に置くようにしています。

私はこれまでINTJの各心理機能をあれこれ深掘りしたり、自分とINTJとの類似性や関係性についてnoteで記し、INTJに依って立つ自分像を通じ自身の特性や性格の傾向を捉えることができました。姿形の無いものを捉えるためには、いったん「鋳型」に流し込み、そこから派生する凹凸を眺めるという作業が有用であることもわかりました。

そして、これからはより自分の内奥に据えてあるもの、長らく避けてきたHSP的側面やより個人的な事象から自分自身を捉えたいと考えています。何故、物心ついた時から些末なことで悶々と気を病むのか、早朝覚醒とかあちこちの体のコリとか。そうゆうことも全部引っくるめて自分の思考のクセやバイアスに対するカタをつけたい。そのクセやバイアスこそ「私」そのものであり自分を更に前へ進めてゆくためにはその理解がどうしても欠かせないのです。   

もうこれは一種のライフワークと化しているところですが、私はどうしても自身の内的世界の奥深いところまで潜り詰め子供の頃から現在の自分に至るその心の有り様や変容を捉えたい。そんな願望に未だに駆られ続けています。結局、こちらの記事も根拠薄弱な自説で終始してしまいました。こんな調子なので独りよがりで風変わりな記事が益々増えそうではありますが何卒ご容赦をいただけますと幸いです。                                  


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