学会遠征編 4日目 淡路島観光と明石市
概要
徳島のあれやこれやを楽しんだ3日目。4日目は四国を離れ、次のバンコクの学会に参加するため、体制を整えなおす1日となる。
起床
朝起きて、朝食をとるところまでは3日連続同じ流れだ。もはや実家だ。ゆっくり食べる僕の隣に座る若い2人は、観光客だろうか。昨日1日で写真を50枚くらい撮ったと見せ合っていた。僕のアルバムは、近々整理した方がいいだろう。容量はまだ大丈夫そうだが、写真を見返すのに時間がかかりそうだ。さて、今日の予定はある程度決めてきた。9:15の高速バスで徳島から脱出し、日中は淡路島を観光、夕方に明石に行き、21時前後に関西空港に到着するという算段だ。大忙しだが、移動時間も多いので、昨日よりは休める時間が多いのだろう。
さらば徳島
荷物をまとめてチェックアウト手続きをした。ホテルに物を忘れて諦めるというようなミスは度々やらかしてきた人生なので、冷蔵庫の中やベッドの下など入念にチェックはしてきた。そして外に出た瞬間にふと思う。これからバンコクか…暑さ対策してないなと。あるとき、研究室のメンバーがタイ旅行に行ってきたようで、当時は日本が冬の時期であるにもかかわらず、「半袖でいい」くらいに暑かったと聞いていた。半袖の服なら持ってきておいたのだが、日焼け止めは持っていない。これでは焦げ死ぬと思い、進行方向逆側にあるコンビニで買うことにした。ついでに、paypayに5,000円だけチャージしておいた。今回はもう慣れているので大通りではなく最短ルートで行くことにした。その道を選んで曲がった瞬間、闊歩するねこさんに出くわす。僕の判断は間違っていなかったようだ。とてもうれしかった。意気揚々とスーツケースを転がしていたらすぐに徳島駅にまで着いてしまった。徳島駅を拝むのはかれこれ8回目だ。さすがに勝手がわかってきた。しかし、慣れ親しんだところで別れがやってくるものだ。さらば徳島、さらば四国。
バスに乗ろうと思ったところで、乗り場がわからないという致命的な問題に直面した。ここかな、とじっとしていたが、一向に来る気配はない。なんなら、周りに人がいないので、どうしたものかとあたりを確認してみたら、ここは降り場だと書かれていた。大恥ではないか。何事もなかったかのようにすました顔で戻ってくるが、スーツケースを引いているので無知な観光客だと思われたかもしれない。気にしないことにして、本物のバスターミナルへ向かった。案内所があったので聞いてみると、正しい乗り場を教えてくれた。9:15のバスになら乗れそうですよ!と教えてくれたので意気揚々とそのバスを待ち、乗り込もうとしてみたが、運転手が名簿を持っていることに不審に思った。もしや、名前がないと乗れないのか?事前に登録しろってこと?その通りだった。この高速バスは完全予約制なのである。こんな初見殺しに捕まるとは思っていなかった。駄々をこねても結果は変わらないので、みすみすこの便を逃すこととなってしまった。こうなれば、予約を取らないことには四国を脱出できない。がんばってネット検索をし、予約のサイトを開いたが、自分の乗ろうとしている「大磯号」の予約フォームにたどり着けない。駅近のコンビニのマルチコピー機ならなんとかできるのではと駆け込んだが、そもそも支払う前の段階で躓いているので何も解決できない。駅内の観光案内所はどうだろうか。9時台はまだ空いていなかった。困ったなともう一度サイトを凝視すると、小さい字で「大磯号はネット予約できない」と書いてあった。先に言えよと思いながらも待合室に入った。チケットの取り方がわからないので窓口に問い合わせたら、「この便はうちではない。隣のバス会社だ。」と言われ、またもや択を外した気分になった。隣に聞いてみたら、よくわからないという感じでとぼけられて、なんじゃこりゃと言わんばかりに呆れてしまった。こちらの伝え方が悪かったのかもしれない、もう少し自分で頑張ってみようと思い、近くにあった券売機らしきものを触ってみることにした。仕組みがややこしかったが、調べたバスの便と同じ時刻が示されていたので、多分これが成功法なのだろう。9:30で予約しようかと奮闘してみたが、世間はそれほど優しくなかった。もう満席で撮れないのだ。仕方がないので次の10:30で予約を取り、チケットを発券した。そう、1時間以上ここに拘束されるのである。暇ができてしまったと駅周りをうろちょろしてみるが、もう見飽きた景色である。ここまでくるとさっさと四国を脱出したい気分の方が勝っていた。駅の中は、まだ早い時間だからかあまり店が営業していない。
次に四国に来ることがあれば、自分の車で行きたいと思った。淡路島や瀬戸大橋などから走って通行するか、フェリーで運搬してもらうなど方法は何でもいいが、交通の便に振り回されることなく、自分のペースで色々見て回りたいと思った。僕の地元もそうだが、車が前提の生活をしている文化圏なので、このような形になってしまうのも仕方がない。車で乗りいれた後輩がなんだかんだでいちばん正解に近かったのかもしれない。
淡路島へ
結局、数十分は待合室でじっとすることにした。とはいっても、持ってきた本は昨日の時点で読了してしまっている。まさか、2冊目が本当に必要になるなんてと思いながら、その2冊目を少し読んだところで約束の時間がやってきた。今度は自分の名前が名簿に書いてある。券を買うときに支払いも済んでいるので、スーツケースをはらわたに詰めて指定された席へ乗り込んだ。通路側で、隣は寝ぼけたおじさん。ここが始発ではないので既に何人も乗っていたということだ。ひとまずは安心だ。これでやっと移動ができる。この高速バスは約80分後の舞子で降りる予定だ。つまり、一度本州に上陸するということである。淡路島では降りないようなので仕方がないだろう。そこから逆向きの各停バスに乗り換えて目的地に着くという作戦だ。少しばかり非合理に見えるが、最初から各停に乗ると3時間ぐらいかかりそうなので意外とこれが早いのである。こうして、一度淡路島を通過することにした。その道のりはさぞかしきれいだったことだろうが、眠っていたので記憶がない。それに通路側の席では写真に残すのも難しい。大人しく舞子で降ろしてもらった。ここまで忘れ物は何もしていない。優秀だ。高速バスの乗り換えのために、舞子駅は立体的な構造になっている。下にJRが走っており、上の階で高速バスの乗り降りができるのである。また反対方向に向かうので一度下に降り、反対方向の乗り場でバスを待った。停留所の番号は1番と2番だけなので、その二つを確認すれば間違えることはない。自分の他に外国人の親子もバスを待っていた。意外と淡路島も海外受けがいいのだろうか。こうして半ばヤケクソで淡路島へと向かうことになった。
バスを降りたのは淡路夢舞台。ここは、高校の友達クゥちゃんが以前におすすめしてくれた場所である。きれいな場所だから是非見てみてほしいとのことだった。おりたすぐそばの建物に入ってみたら、びっくりするほどきれいなホテルで、とても出張のついでに観光する半端者が入っていいようなところではなかった。
「チェックインですか?」
「いえ、見てるだけです。」
というよくよく考えてみれば意味の分からないやり取りを済ませ、そのホテルの内装を見て回った。2Fの広いスペースで食事を提供しているようだが、お昼時の営業はなさそうだった。ピアノも置いてあり、とめどない清さが滲みだしていた。その他の料理店は、淡路島特産の牛やサクラマス、黒毛和牛などを使った豪華なコース料理の店であり、とても学生には手を出せるようなものではなかった。持たざる者は門前払いということで、悔しみを背負うこととなったが、何年後かの成長した自分にこの敵を討っていただきたいと託し、いったん外に出た。外に出て、何となく察しがついてしまった。国際会議場があったので、ビジネス利用する人を対象にしているのである。それなら、会社にツケてしまえるので高くても構わない。むしろ、高い方が積極的に消費してくれるかもしれない。ここでは観光地と見せかけて企業相手に商売しているのだろう。
外に出て少し歩いてみよう。車道しかなく、本当に歩いていいのかわからないが、看板の指示通りに向かってみたら夢の舞台が広がっていた。一面に咲き誇る花々と幾何的にに整備された建築。歩きやすさと見やすさを兼ね備えた舞台であった。スーツケースをころころ転がしている自分にとってはすごくありがたい。たいていの観光客はそこのホテルにチェックインをしているだろうから荷物なんてないのだろうが、僕は通りすがりの一般人なので荷物が多い。階段を上るときは赤子のようにスーツケースを抱えた。建物の2階に上がって、施設のマップを見てみた。13時半を過ぎたので、そろそろお腹が空いてきたのでお手頃な飲食店を探すことにしたのだ。どうやら飲食店が2店舗入っている。一つはお高い飲食店、もう一つがカウンターで先に注文する方式の店となっていた。予算を考えて後者にしたが、やはりそこは並んでいた。少し気力が無かったのですぐ近くのお土産コーナーを見て回ることにした。サングラスが売っている。これからタイに行くなら、あった方がいいのだろうか。それなら帽子も必要だ。しかし、そんなものを買ったところで家で使わないものが増えてしまうだけである。先のことを考えれば必要だが、もっと先を考えると不要。どうすればいいのだろうか。悩んだ挙句、とりあえずご飯を食べることにした。オムライスが気になったのだ。列では少し待ったが、カウンターではまず「提供が遅くなる」と言われた。だいたい40分くらいだ。僕としては15時過ぎには出ていきたいので、あまりここでグダグダしたくない。かといって、何も食わずでは生きて行けそうにもない。ソフトクリームだけは提供が早いと言われたが、それでも食べたいものは食べたい。デミグラスソースのオムライスを注文し、4番の呼び鈴を受け取った。お土産店内やそとの席くらいの距離なら音は鳴るということだそうだが、どうせ40分も待つならと遠くへ足を伸ばした。
目的地はできるだけ高いところ、この建物なら5階だ。とはいえ、エレベーターでは4階までしか登れなかったので、それ以上は外に出て上ることにした。緩やかな高低差を利用して、水の流れと花壇を作る。そこに舗装された会談が格子状に張り巡らされており、右へ上へ左へ上へと上っていく。頂上の5階に到達したときに感じた。見たかった景色はこれだ。クゥちゃんが教えてくれた景色と同じだったので、すかさず報告することにした。これには僕の赤ちゃん、しましまもご機嫌である。ここまでスーツケースを抱きかかえてきて来るようには設計されていないが、この見応えなら重労働にも及ばない。頂上直通のエレベーターがあったが、乗ろうと思ったらファミリー層が乗ろうとしていて狭くなりそうだったので、来た道を戻ることにした。乗ったところでどこに通じているのかわからないので、知っている道でいい。まだ40分も経っていないが、あまりここで長く過ごすと店員に怒られそうなので戻ることにした。少し時間が余ったのでソフトクリームをかじった。もうそんなに列はなかったのだ。席も空いていたのでそこで少しゆっくりしていたが、一向にベルが鳴らない。40分、いや50分経ってもだ。仕方がないので店員に聞いてみたら、「4番さんは何度も呼んだんですけど、来なかったんですよ。」と言われた。なんだ、もう出来上がっていたのか。ということですぐに用意してもらい、オムライスにありつくことができた。たぶん、淡路島産の玉ねぎなどを使っているのだろう。とろける甘味。デザートの後にメインなのは変かもしれないが、それでもおいしく食べることができた。普段、たまに自分でもオムライスを作ることはあるが、デミグラスソースまでは作らない。ケチャップブシャーで満足するからだ。こうして食べ終わったのは14時過ぎごろ。まだ時間はある。もう少しだけ奥の方へ行ってみることにした。
悪あがき
クゥちゃんから返信がきた。やはりここは写真だけでも興奮するらしい。植物園も見どころだとのことだったので、そこまで行ってみることにした。たしかに、その室内は生い茂っているようだ。気になったので中に行ってみたら、もちろんだが入館料がいることが判明した。もちろん安くない金額である。どれくらいの時間で見て回れるのか聞いてみたら、だいたい40分くらいと言っていた。確かに、見てみたい。大ボリュームなコンテンツになりそうだ。しかし、自由に使える時間はあと20分くらい。敢無く断念することとなった。いつかまたリベンジだ。ここに来る言い訳ができたと思えばいい。中には入れなくても、外に少し植物の展示が漏れ出しているので充分だ。くらしのみどり。枯れている。他にもどこの地方の植物なのかわからない生態系を覗くことができ、これで満足することにした。バス停への帰り道でももう少し楽しみたいという気持ちは抑えられなかった。時間と欲望との戦いである。域とは違ったルートで戻ったが、そこにはそこで新しい景色が構えていた。やはりこの幾何的な設計はけっこうそそられる。水の流れがより一層清く見えた。行きで見た広場の様子も、ここからなら確認できてしまう。こうして2階を練り歩いていると、建物が現れた。そこに入ってみたら、なんとびっくり。最初に来たあのお高いホテルではないか。そう、わざわざ外に出て道を探す必要なんてなかったのだ。今更気づいても遅いが、これで少し時間が浮いた。何かできるほど余っているわけではないので、またそのホテルをうろちょろしていたら、また「チェックインですか?」と訊かれた。なんというサービス精神だ。まるで高級店ではないか。
こうしてまたバスに乗ることになった。本来は16時に明石に到着する予定だったが、バスが数分遅れたので乗る電車も少し遅れそうだ。予約なし、しかもSuicaで乗れるのがどれだけありがたいことか。この4日間でここまでじっくり味合わされることになるとは当初思わなかった。地元の高速バスもつい最近交通系カードが対応するようになったのだが、やはり乗りやすさは全然違う。人はけっこう乗っていて、何人かは補助席に座っていた。この道中、島内に保育園があることに驚いた。もちろん、人が住んでいるので、保育園が自然発生することくらいおかしな話ではない。中学校もあったが同様だ。それでも、これらが存在するということは、短期ではなく長期で生活していることになる。こんなところにも人が住んでいるんだ、というのが正直な感想だった。四国の時もそうだ。これはけっして悪い意味ではない。自分の知らなかった世界に、社会というものが存在していたのだという、ある意味で革命というか、思考の中でビッグバンが起きている気がしたのだ。自分もそう思われる側の地域に住んでいたので、受け入れるのは苦ではなった。およそ2時間の淡路島滞在で、できることは少なかったが、多くのことを考えるいい機会になった。こうして再度舞子でバスを降りた。今度はJRに乗るため下まで降りる。4日ぶりに本州の地上に足を踏み込んだ。ここでも日本語が使われているようだ。どこに乗り場があるのか。北へ歩いたり、近くの施設に入ってみたりしたが全然見つからなかった。スーツケースのタイヤがすり減るので早く見つけたいところだ。気づきにくかったが、乗り場を見つけることができたので電車に乗った。西向きの電車で、明石へ。こんなにたくさん電車が来ることに改めて感動してしまった。ここは本州である。関西の都市圏である。少しの区間電車に揺られて、明石駅で降りた。
正しい時刻
こうして正しい時刻の町、明石へ辿り着いた。到着直前に科学館っぽい建物を見かけたが、あれはおそらく日本の標準時子午線について取り扱っているのだろう。改札を出てすぐのところで父親が待っていた。白い上着を着ていて、目立つ格好ではないがすぐに合流出来た。僕は徳島や淡路の名残で涼しいかっくおをしてただけに寒くないかと聞かれた。上着は持ち歩いているので問題ない。合流出来たことを母に報告するために写真を撮りたいと言われ、顔ハメの写真スポットまで行った。看板の隣に立って1枚。上手く撮れたようだ。駅を出て町の概観を見た。北にある広い土地が明石城らしい。ここからは立派に見えるが、見えているだけで終わりのハリボテらしい。「行かないよ?」と言われ、引き返した。あそこはキャッチボールをするところらしい。駅近くの花壇に腰かけ、スーツケースを解錠する。徳島のお土産は預けることにした。家族用のお菓子と、バイト先へもっていくお菓子だ。どちらも箱に入っているものなので、それなりに大きい。それと、読み終わった本とスーツのジャケットも預けた。常時30℃を超えるような場所でジャケットなど逆にTPOに反しているからだ。この後のタイでもいろいろ買うと思うので、できるだけ空間は残しておくことにした。昨日ドイツ館で買ったカヌレのもう一つはここで父親にあげた。自分で持っていても腐るだけだ。これでひととおり預けるものは預けた。
これらの荷物を置いておくために、車のある所まで移動した。今は車検に出していて、そろそろ終わる時刻だということで、回収もかねての車である。ここで乗っている車は会社の物である。やや大きい車体に、会社のロゴが見やすく描かれてあった。仕事で使う道具がいろいろと積まれている。荷物を載せ、すぐ近くの駐車場に車を移動させた。これからほんの少しの観光と夕食をとるため、スーツケースも一時的に載せておいた。歩きながら、明石という町の特徴について教えてもらった。ここはビジネス街ではなく住宅街だというのがまず一つ。地形的には、1kmも先には海があり、そのギリギリまで山なので平野部が狭い。そのため、マンションのような集合住宅がほとんどで、僕の見渡す限りは一軒家は見つけられなかった。逆に、ビジネスのにおいがするような高層ビルもなかった。ここは住むための町という役割だそうだ。京都にも簡単に行ける。ただし、山からの吹きおろしや海風などの風は強いらしい。それ以外は何も問題がないところだ。確かに、今回の旅行で滞在してきた都市の中ではずば抜けて住みやすそうな町だ。駅も、名古屋や難波ほどではないにしろ活発に利用されている。
夕食は明石焼きだ。事前に何を食べたいのか聞かれ、せっかく証に行くならと明石焼きを要望したからだ。本当は父は西明石に住んでいるが、明石の方が飲食店が多いということでこちらになったのだ。まだ17時前後だが、早めの夕食にした。この辺りはすぐに店が閉まってしまうらしい。店の多い商店街に足を運んだ。ただただ親子で歩いているだけなのに、懐かしいような、童心に帰ったような気がした。近所にこのような商店街はなかったから、こういうところを歩くのは年に一度の家族旅行くらいである。どこに旅行行ったっけな。シャッター街ではなくまだ活気づいている通りだということもあって、よりいっそう一昔前の時代に戻った気分になった。明石焼きは店によって味付けが違うらしいので、父のおすすめの店にした。イートイン可能なところだ。お客さんはそんなに入っていなかったので、好きな席に座ることができた。一人15ヶの明石焼きを2人前と、鯛の刺身を注文した。その待ち時間は、徳島の学会についてゆっくり話した。学会は上手にできたと聞いて、父はほっとしているようだった。先に鯛がやってきた。徳島に続きまた食べられるなんてなんと嬉しいことか。もう少しして明石焼きもそれぞれやってきた。父がお店の人に食べ方を聞いていた。付属のお出汁や卓上の調味料などを使って、15個飽きずに食べられるみたいだ。こうして久々の親子の食事となった。「明石焼きは、上品な味なんだ。たこ焼きと同じ扱いをされると怒られるよ。」確かにその言葉通りの味だった。我々の入った店は白出しベースの卵焼きで包まれたような味だった。市民の民度が出ていると言ったらどちらかから反感を食らうかもしれないが、確かにたこ焼きとはタコ以外の共通点はあまりないように思えた。出汁にワサビに醤油など、いろいろ試したので最後まで真新しさを堪能できた。お店に出るとき、既に父がお会計を済ませてくれていた。小さい時なら何も思わなかっただろうが、せめて自分の分くらい払おうと思っていたのは何かしら大きな心境の変化を体験していたということだろう。よくよく考えてみれば一緒にいたのは父親である。多分自分に子供がいたとしたら同じようにしていたことだろう。個人的にはチップを出してもいいくらい美味しかった。店を出るころにはお客さんの数がいい感じに増えていた。これくらいの時間が市民の夕飯時なのだろうか。
予定としては19時くらいにここを出るつもりだったが、まだまだ時間は1時間以上ある。暇なのでやっぱり明石城を見ることにした。あくまでも住宅街なので、これくらいしか見るものがないのだ。敷地内に踏みこんでみたら、あの言葉通りだった。キャッチボールが盛んに行われていた。あとはせいぜいジョギングと犬の散歩だ。広くて歩きやすい土地というだけの、何もない広場だ。とはいえ石垣の上が気になるのでそちらを見てみることにしたが、やはり何もなかった。その代わり、南を向けば街を一望できる。夜景の綺麗な神戸とは違う、穏やかな集合住宅地という感じだ。もう少し時代が進めば高齢者だらけになるかもしれない。確かに平野部は狭く、すぐそこに海があった。ということはあの奥にある島は…淡路島で合っていた。高速バスで橋を渡るときもそんなに時間がかからなかったことからも距離の近さはわかっていたが、いざ実際に見てみると、こことあそこは生活の利便性が全然違うので、異国のように思えてしまう。ちなみに淡路島のお土産は何もない。
駅に戻る道で何かいるものはないかと聞いてきた。親としてできることがあるならしてあげたいという気持ちはありがたいが、荷物を預かってくれたことや明石焼きをご馳走してくれただけで、何ならここで会ってくれただけで十分だと思っていた。とはいえよくよく考えてみたら、虫除けスプレーはいるだろう。調べてみたら、マラリア、デング熱…シャレにならない。逆になんで今まで気が付かなかったんだというくらいの重要アイテムだ。飛行機に持ち込めるか心配だったが大丈夫そうだったので、携帯できるよう小さいものを買ってもらった。他にはないかと聞かれ、強いて言うなら容量の少ないお茶ももらった。空港で手荷物検査をするまでの飲み物だ。これにて明石でのミッションは完了。ここまでの冒険はきちんとセーブできたようだ。時間は少し早いが18:30頃に父親とは解散した。駅の改札を通過し、手を振った。ホームへと向かう僕が見えなくなるまで見送っていた。少し昔のことを思い出しながら、どんどん小さくなっていく親の影を確認した。高校時代はあまり親とは仲良くなかったな、高校の送り迎えをしてくれているときはほとんどしゃべらなかったなと。あれから時が経って、自分も成長したのだろうか。それとも時間とともに悪い部分だけ風化したのだろうか。もしくはお互い物理的な距離を取ったことで心理的距離が逆に安定したのだろうか。怒りっぽかった父親も、穏やかな性格になっていたのは安心した。これが自立というものだろうか。こうした思いをはせながら、次なる戦場へと向かった。ここからはまた孤独の戦いとなる。もう一勝負、バンコクへ。
移動中の出来事
現在地明石から関西空港までは、在来線で行くとざっと見積もって2時間くらいかかるようである。行き方は何通りかあるようだが、その中でも安いものを使うことにした。僕の調べた中では1,800円で空港まで行けるようだったが、他の高いルートがあると言っても300円程度である。時間的な余裕に関しては気にすることはないので、落ち着いて乗ることにした。JRで三ノ宮まで行き、私鉄の阪神本線に乗り替えだ。とはいえ阪神本線が見当たらない。決め打ちでこれだと潜った改札は行ける駅が違うようだった。どうしたものかとよくよく案内を見ると神戸本線であることが判明した。仕方がないので改札の駅員さんに話してここから出て、本物の阪神本線へと向かった。
その阪神本線での出来事だ。乗客率はそこそこで、長椅子の席に腰かけていた時のことだった。隣に座っている男女がかなり特徴的だったので少しの間観察しておくことにしたのだ。女性側は若い学生だが、男性側は若くは見えなかった。頑張って若作りした30台といったところだろうか。カップルというには少し年齢差があるように思えた。その会話の中身としては、主にその若い女性に対して男性側が問い詰めるといった形だった。その会話から、女性は
① 勉強のやる気はあまりないためそこそこの実力で行ける私立に合格、現在(3月時点)ではそこの大学生。
② 高校から大学へストレートで進学かつ留年は無し。→22歳
③ 4月からとある企業に勤める。
④ 本来は3月に卒業式のはずだが、単位がひとつ足りていないことが判明して卒業できなかった。そのため、今年の9月までは1単位取るために大学に通いながら会社にも出勤してよい(と会社側から許可された)。
⑤ 大学ではサークル等は入っていない。友達もあまりいない。
⑥ 一人暮らし。
という情報をつかめた。夜の時点でこの会話をしているということは、この2人は昼からではなく夜から、何なら会ったばかりという可能性が高い。1回目のご対面だろう。対して男性側はこのような踏み込んだ話に気遣いなくヅカヅカと踏み込み、さらには大学の卒業式に参加できなかったという点に対して「友達が少なくてよかったな。」と言う始末であった。確かに、その世代ならちょうどコロナで色々潰れたから仕方がないのだろうが、「あの時はテレビを観るくらいしか娯楽が無かった」だとか「今の若い子は…」だとか発言の節々からおじさん臭さが抜け切れていなかった。そのおじさんは自分の発現のターンでは必ずと言っていいほど腕を組んでおり、似合っていないワックスの髪形と仰々しいスーツに革靴と、その女性に対して無意識のうちから尊大な態度をとっているように見受けられた。女性は常に距離感を感じさせるような丁寧語で話していた。カバンを男性との間に置いていたのは無意識に男性から距離を取りたいと思っているからなのかもしれない。こちらが勝手に決めつけるのはよくないが、あれはおそらくパパ活であろう。女性のカバンも服装も、決して安そうには見えない。女性はマスクを外すことはなく、その上男性に対して微笑みかけるときも第三者目線からは不自然に思えた。交わることのない性欲と金銭欲、深まることのない愛情か友情を真横で観察する分には面白くて仕方がなかった。僕が横から槍を飛ばすのは野暮なので終始観察するだけではあったが、乗り換えの大阪難波では彼らも降りることになっていたようだった。本来、男性はもっと前で降りて海苔かっる必要があったらしいが、会話が盛り上がりすぎて(露骨な建て前)難波まで来てしまったらしいのだ。女性は若干戸惑いながら、電車を一緒に降りてしばらく歩いていた。やっぱり横槍を入れた方がよかったのだろうか。下半身の脳みそで動いているようにしか見えなかった。とはいえ、これが本当にパパ活なら、女性側はうまい立ち回り方を知っているのだろう。それを信じ彼らを見送らないことにした。
しれっと書いたが、今は大阪難波駅にいる。初日に近鉄から降りた駅だ。本旅行二度目の登場である。南海線に乗り換えるのだが、これも初日にりんごと乗った線である。そういえば確かに和歌山まで行くときの電車で、関西空港を通過したなと思い出した。一度経験しているので臆することはない。南海線まで向かうことにした。同じ難波でも、その改札までは少し歩く必要があることを思い出した。直後に来る便には乗れそうにないが、到着時点で乗れそうな便には漕ぎつけることができた。ここ出発点なので、電車の出入り口が空きっぱなしで出発時刻まで停車している。よく目を凝らし、座れる場所を探してゆっくりした。それなりに人が乗っていたのだ。ようやく落ち着けたところで疲れがやってくる。結局あのパパ活コンビの行く末はどうなったのだろうか。この電車に乗ったばかりのときは気になっていたが、次々と駅に停まる度にどうでもよくなっていった。この後は人生初の国際便に乗る。JALで予約したので快適さには不安はないが、エコノミークラスなので窮屈ではあるのだろう。果たして、機内では休めるのだろうか。その点に関しては不安だったのでここでは休んでおくことにした。荷物を取られないように抱えながら目を瞑る。隣にはギャルが座っているが、こちらに危害を加えてくるようなタイプではないだろう。各駅停車なので頻繁に停まったり進んだりしているが、今の睡魔には差し支えるものではなかった。こうして貝塚を過ぎたあたりからどんどん人が少なくなっていった。気が付けばあのギャルもいなくなっていた。最後の2駅くらいは長椅子を大きく使って横になることもできただろうが、座って落ち着く程度にしておいた。
出国に向けて
いろいろあったが無事関西空港に到着することができた。三ノ宮での迷いもあったので予定時刻の21時よりは遅れてしまったが、フライトは翌0:45なのでまだまだ3時間もある。焦る必要などないのだ。ちなみに、タイの学会には研究室から僕とCRAZYの2人が参加する。CRAZYはケニアの留学生で、現在は博士(ドクター)だ。彼はまだ日本語が完璧ではなく、普段は僕が日常の生活において言語的な補助をしているので、仲はいい。僕は今回初めての海外渡航だったので英語に強い味方を備えておきたいと思い誘ったのだ。CRAZYは英語を母国語の一つとしているのでこの点は問題ない。この後半のたびにおける最強の助っ人だと信じて呼んだのだ。とはいえ、彼は論文執筆はおろか、学会へのエントリー手続きやホテル・飛行機の予約をギリギリまで放置していたため、それのサポートにはかなりてこずらされた。もちろん予約というのは直前であるほど取りにくく、かつ金額も跳ね上がるものだができる限り安いものがいいともめていた。支払いのためにクレジットカードが必要だが彼は持っていなかったので3月の頭に急いで作らせたりもした。ケニア人はビザも必要だということで東京まで行ってこいとも指示した。挙句の果てには、飛行機が関空から直接スワンナプームまで行くのではなく、一度羽田まで行って羽田から関西を経由してスワンナプームへ向かうという意味の分からない便を予約していたのだ。彼も名古屋に住んでいるので、中部国際からの便が無ければ、陸路で関空まで来た方が安くなると誰もが思うところだが、全然そんなことはないと予約のサイトも言っていたのはにわかに信じがたい出来事であった。学会出発前からCRAZYはCRAZYであったのだ。そんな彼は今日、新幹線で東京まで行き、羽田から関空まで飛んできたのである。22時に着陸するらしいので23時に集合することにした。とりあえず僕はチェックインや手荷物検査等を済ませておくことにした。空港ではひとまず荷物の確認をした。僕の親戚は昔バンコクに行ったときに預けていた荷物が手違いで違うところに飛ばされたと言っていたことを思い出し、念の為パソコンは機内に持ち込めるようリュックに移し替えた。国際便と書かれた案内板を辿れば間違いないだろうということで、自我もなくただ導かれるがままに歩いた。入り口っぽいところがあったので受付をしようとしたら、「ANAの便しか乗れない」と言われたので引き返した。これはハズレのようだ。気を取り直して正解ルートへ。手順はよくわからなかったが荷物検査までは国内便とそう変わらないだろうと考え、順番にことを進めた。今はまだ日本語が通じるので、わからないなら聞けばいい。そこまで難しい手続きはないので問題なく通過することができた。もちろんパスポートも持っている。これはなくしてはいけないということで、手荷物預かり証とともに袋に入れておいた。ここでいったんスーツケースとはお別れだ。再会するのは空の向こう側である。そのときは"しましま"が僕を呼んでくれることだろう。税関に気にすることなく出国審査へ。パスポートをかざして顔認証・指紋認証を済ませた。この手順はタイでも最後にやるだろうから忘れないでおきたい。この時点でまだ22:30ぐらいなのでまだまだ暇は長い。とはいえ空港は空港で広いので待合室のギリギリまでは行くつもりだ。道中、色鮮やかなワインショップやSUSHIと書かれた飲食店など、暇を忘れるには申し分のない施設が多数備わっていた。特に日本食の店が多く、日本に名残惜しい外国人観光客を最後までもてなし尽くす作戦が感じ取れてしまった。お腹は空いていないのでスルーだ。ここで買い物するつもりもない。少し進んで、ターミナルに通ずるシャトルバスに乗った。この乗り物は無人で感情のない乗り物に思えた。一緒に乗った老夫婦は何人なのだろうか。当たり前だが、空港に来てから外国人率が多くなっていた。こうして指定のターミナルまでは来ることができた。後はおとなしく搭乗案内を待つのみである。少ししてCRAZYから連絡がきた。今こちらへ向かっているとのことだった。関空から同じ便に乗るのでターミナルも同じはずだということで、シャトルバスを降りたところで待っていたら、合流することができた※1。一言目が"How are you?" のCRAZY。今日も満面の笑みをもっての登場だ。彼は僕や教授にかけた迷惑を自覚しているのだろうか。本当に羽田経由で来たらしい。スーツケースを引いていたので預けないのかと聞いたが、小さいから持ち込めるとのことだった。確かに僕のスーツケースより二回りくらい小さい。ここからは2人で飛行機を待った。ラウンジは利用しないので雑多な庶民椅子に腰かけて待つことにした。その間僕もCRAZYもスマホを充電するので、盗まれないように見張っておくことにした。一方CRAZYは自前のパソコンを開いていた。電源を入れた瞬間、ヴォーンとファンが激しく荒れ狂っている。だいぶ熱を持った古いパソコンのようだ。壊れたのか、どうすればいいんだと困っていたので再起動するよう指示したが、再起動してもけたたましかった。それでもどうしてもパソコンを開かなければいけない。まだタイでの発表資料が完成していないからだ。今の今まで彼は何をしていたのだろうか。徳島に行っていない分僕よりも時間はあったはずである。そんなこと言っても仕方がないので時間の許す限り黙々と作業することにしたらしい。僕は資料ができているので問題なしだ。あとは発表本番で機材トラブルが起きても対応できるようにしておくくらいだろうか。今は休む時間だということで、入念にストレッチした。寝ると充電中のスマホが心配なので、起きていて急速になるのはやはりストレッチである。向かい側に座っている男性はあまり気にしていなさそうだった。すると突然CRAZYがその男性に話しかける。もちろんHow are you? からだ。彼はアジア系の顔をしているが、どこの国出身なのだろうか。英語で雑談をすることになった。彼は大阪に住んでいて、出張でタイに行くのだと言う。これで3度目のタイ出張で、観光地についてよく知っていそうだったので彼におすすめの場所を聞くことにした。何を隠そう、僕もCRAZYも向こうでの旅行計画は一切立てていなかったのである。ワットプラケオとアイコンサイアムを教えてくれた。面白そうなので是非行ってみたいと思った。先ほど気にせずモブだと思って目の前で柔軟していたのが嘘だと思えるほどの重要人物だったのだ。ちなみに、その観光地を彼のスマホから見せてもらったが、英語で調べていたようだった。東南アジア系の人なのだろうか。自分たちは名古屋から来たと言ったが、それは大阪ではないところ?と聞き返してきたので純粋な日本育ちというわけでもなさそうだった。なんでもいい。ここで人一人と仲良くできたのはいいイベントだったのだろう。そんなこんなでついに飛行機に搭乗する時刻となった。3人とも席が違うのでここで分かれ、スマホを回収し、列に並んで飛行機へと入った。
~学会遠征編 前半の部 終幕~
次回以降は後半の部、激熱の土地タイでの冒険が繰り広げられます。ぜひ楽しみにしていてください。
まだ前日の記録を確認していないという方は、こちらの1日目~3日目も読んでみてください。一緒に僕の冒険を楽しんでくれると嬉しいです。
1日目:学会遠征編 1日目|シナモンパン (note.com)
2日目:学会遠征編 2日目|シナモンパン (note.com)
3日目:学会遠征編 3日目|シナモンパン (note.com)
※1 以降、CRAZYとの会話はすべて英語で行ったが、ここでは内容を日本語で載せておく。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?