学会遠征編 前日譚 留学生の世話も楽じゃない!
初の学会執筆、そして初の海外旅行。自分一人で乗り切れるのか。たぶんできるが、それでも味方がいると心強い。そう思って最強の助っ人に声をかけた。
CRAZY、学会に行けるのか
学会遠征編から少し時を遡って、2023年12月末。僕はこの時点でタイと徳島の学会に出すための結果が出そろうところだった。この結果をもとに論文を執筆しようというところである。そして、3か月前の時点からいろいろと準備を始めるのが吉だろう。そう思い、年末の実家帰省のついでにパスポートの申請手続きを行った。一人暮らしをしているものの本籍地は実家のままなので、こちらで行わないといけないのだ。必要書類を記入し、役所に提出した。更新ではなく新規なので、「初めての海外渡航なんですね。」と職員に言われた。そんな小規模な雑談を交えつつ、ひとつ気になることがあった。この職員、もしかして同じ高校の同期ではないのか、と。そうだとしても、クラスも部活もその他行事でも一度も関わらなかった人なので、他人と言えば他人である。あえてその話題は持ち出さなかった。もしかしたら無効には気づかれたかもしれない。僕の個人情報は(提出書類に書いてあるため)あると思うが、あちらも僕に対してこれ以上探りを入れてくることはなかった。それくらいの距離感で十分ということだ。引き続き仕事を頑張ってほしい。実家で親と相談しながら飛行機とホテルを予約した。大学からお金が出ると言っても、先に払うのは自分たちなので学会が終わるまでは一時的な出費となる。そのため、支払いが可能な金額で予定を立てなければいけない。その点は早めの予約ということで問題なくこなすことができた。ちょうどいい時間の飛行機と会場に近いホテル。この便なら徳島から無理なく飛行機でタイに飛べる。タイのホテルはなんとジムとプールもついている。これでも意外に安く、日本円で1泊あたり1万円かからないくらいだった。宿泊費は1泊あたり最大で12,000円ほどまで大学から出るらしいので、十分計画通りである。
話は戻って味方召喚の儀。英語の面で役に立つ人がいい。学会が3月なので、修論発表の終わった先輩たちは学会になんて行きたがらないだろう。かといってやっとの思いで卒論を書き上げた後輩を連れ出そうとしても、そこまで発表できるようなネタがあるとは思えない。それなら同期はどうか。同期の過半数が徳島の学会に出すことで精いっぱいで、それどころではなさそうだ。自分も徳島を出すのでわかるが、これは明らかにオーバーワークである。残りの同期は別の友達と既にタイ旅行を済ませていたり、そもそも海外モチベーションが無かったりと応援を呼ぶことができなかった。こうなったら最後の切り札を切るしかない。CRAZYの召喚だ。
CRAZYなら海外出張も苦ではない。それに英語も母国語なので喋ることができる。タイの学会を提案したら、最初は嫌そうにしていたが、知らないうちに出すことを決定していたようだった。これで100人力だ!まずは手続きだ。元日の大地震の影響あってかエントリー締切日が1週間延びていた。CRAZYがタイに行くと言い始めたのはその延長したエントリー最終日当日である。今更かよとも思いながら、急いで手続きを済ませた。申込ページでは筆者の情報の他に論文のアブストも書かないといけないが、そんなものはでっち上げである。この時点で学会用の研究結果など無いようだったので、アブストは即ち預言書となった。ここに書いた通りの結果が得られますようにと願いもこもっている。こうしてCRAZYも論文執筆とそのための研究が始まった。
時は少し経って2月半ばごろ。タイの学会の本部の人からメールが届いた。今一度参加するかを確認したいという要件だった。実際のタイ現地に赴くのか、それともオンラインでつなぐのか選べるので、僕もCRAZYも現地で返答した。僕は予約するもの・支払うものはすべて手続きを済ませてあるので問題ない。頭を抱えるべきはCRAZYの方だ。学会まで残り1か月ほどというところでまだ飛行機も宿もとっていなかったのだ。さすがにもう自分で終わらせたと思っていた。しかし現実はそう都合良く考えていいものではない。大至急予約させることにした。
僕は留学生チューターというバイトもしている。これは、日本での生活に慣れない外国人留学生のために、生活の支援など含めてもろもろ世話をするという業務で、形式上大学との契約によってとり行われている。つまり、こういう時は僕が手伝ってあげないといけないのだ。僕はJALで飛行機を予約したのでそのことをCRAZYに伝えたら、彼もJALで取ろうとし始めた。僕はJAL会員なので予約しやすかったものの、彼は会員ではないのでひと手間二手間かかるのだ。そこまで無理しなくても、乗りなれた航空会社を使ったらどうかというものの、頑なに己の意思を曲げる様子はなかった。そのせいでだれが苦しんでるんだよと言いたいところだが、僕の英語力はまだまだ実力不足のようだった。ちょうどいい便を見つけたが、1月半前よりも値段が4~5万円ほど上がっている。当たり前だが、これはCRAZYにとって大きな問題だった。僕のときと同じく後から振り込まれる形なので、一時的にでもお金を用意する必要がある。しかし、彼は日本で学生をやっている間の収入はない。僕以上にギリギリな生活を送っているのだ。そんな彼に20万近い金額を払うのは不可能だ。そのうえ、支払い方法としてはクレジットカードを要求してくる。彼はそんなこじゃれたものは装備していない。いったいどうしたらいいものか。
「オカネガアリマセン」
例の決め台詞はこうして生まれた。しかしそんなこと言っても、直前にもなって飛行機代を安くするのは至難の業である。続け様に彼はこう言う。
"What should I do?"
知るかボケ!!
僕はどうすればいいのか。とりあえずチューターの報酬金は最大額まで絞り出そうと考えた。そう思えばお金をもらいながら英会話の練習ができると割り切ることができる。そうしないとこの37歳児の面倒は見ていられない。一旦飛行機は保留だ。宿を探そう。ホテルも彼のパソコンで調べさせたが、どうしても空きがないか高くなっているかのどちらかであった。
「オカネガアリマセン」
そんなこと言われても仕方がないではないか。それに、クレカがない以上コンビニ支払いか現地清算になるが、それも条件に加えるとさらに選択肢は厳しいものとなる。どうすればいいのか。
"What should I do?"
そんなこと僕に聞かないでくれ。
苦労はしたが、なんとか宿は妥協点を見つけることができた。少々高いが、これで満足してほしい。そう思いながら僕はCRAZYを後押ししたが、彼は秘書さんに一つ尋ねていた。1泊当たりいくらまで出してもらえるのかということだ。残念ながら、1,000程オーバーしていた。結果マイナスとはいえ、こんな遅い時期になっても宿がとれたならもうそれでいいじゃないかと思った。素敵なリゾートホテルにたったの1,000円で止まれたら安いものだと思わないか。しかし彼は納得いっていなかったようだった。予約を取り消し、また振り出しから出直していた。勘弁してほしい。こちらは何時間君の面倒を見ていると思っているのだ。時には大学のイベントで立食パーティーがあったりしたが、僕はそのパーティー後も研究室に戻ってCRAZYの予約の面倒を見ていたりもしたのだ。さらにその日は21時を過ぎるや否や先にCRAZYが遅いから帰ると帰ってしまったときは腹が立って仕方が無かった。せめて解決してから帰れよとは思うのだが、それも全部残業代が出ると思って納得していた。それがすべて水の泡だ。なんで取り消したんだ。
会場から2kmのところにあるホテルなら安かった。ここはどうかと聞いてみたら、歩く距離が長すぎると却下していた。今の君にそんな苦言を呈する余裕も権利もあるのだろうか。また、飛行機に関しては再度僕と同じ便に乗るのを提案したが、金額の関係でどうも納得いっていなかった。それでも諦めず、他の時間帯や羽田発・成田発も含めてサイトをあちこち探しまわった。時にはサイトにエラーを吐かれ、沼に落ちたような気分で場を立て直したりもした。検索と驚愕を繰り返し、彼の辿り着いた結果がこちらだ。
学会2日前(3月16日):名古屋出発、新幹線で東京へ
飛行機で羽田→関西
乗り換え
関西→バンコク
聞き直した。正気かと。このイラストの通りだ。
なぜ黒のルートを選んだのか。紫(直接関西へ行くルート)の方が時間もお金もかからないはずではないか。しかし、この方が安く済むのだとCRAZYは主張する。そんなわけないと思いながら、料金を見てみたら本当に黒ルートの方が安かった。ついに自分の目も悪くなってしまったかと心配になってしまうほどだった。それか僕の認知機能が腐ってしまったのかもしれない。念の為他の研究室メンバーに確認してもらったが、やっぱり黒の方が安かった。これを受け入れてあげるしかないのだ。もちろん教授や秘書さんたちにはさんざん言われた。予定もないのに東京を経由する必要があるのかと。そちらの方が安いという言い訳は、本当だがしばらくは信じてもらえてなかった。それでもCRAZYはこの便を予約していた。彼にとって16日は長旅になりそうだ。これで最安値でタイに行けるぞと言わんばかりに彼は満足げだった。いやちょっと待て。新幹線代、その他鉄道料金を含めるとやっぱり東京経由の方が高くなるのでは?
…何も言わないことにした。これでまた予約を取り消してイチからやり直すとなると、くたばるのは僕の方だ。宿の方も、2km歩くのを受け入れて予約していた。
無事予約はできたが、まだあとCRAZYには問題が4つもある。それは、
① クレジットカードの作成
② ビザの取得
③ 論文の執筆
④ 発表資料の作成
つまるところ、何も終わっていないのだ。そういう僕も、3月上旬時点で徳島・タイ両方の発表資料が完成していなかったので急がなければいけないが、CRAZYはそれ以上に状況が深刻だった。③論文はもういい。締め切り日の当日までヒィヒィ言いながら書き上げることができたようだった。その点はさすがドクターだ。研究に関しては超優秀なのだろう。④もとりあえず後回しにするとして、明確に積んでしまうのは①と②だ。まず、クレカについて、そもそも日本国籍でない人がクレカの審査を通過するのかが心配でならなかった。厳格なものは難しいだろう。少々僕は諦めかけていたが、楽天なら通るかもということでそちらを勧めてみた。日頃のCRAZYによる疲れで少しの期間僕は休みを取ったが、その間にモドキが説得してCRAZYにクレカの申請を行わせてあげたらしい。とてもありがたかった。
そして残るはビザだ。ケニア国籍であるため、タイへの入国にはビザが必要である。名古屋の栄にも大使館があるようなので行かせたが、残念ながらそこではビザの申請ができないと突き返されていた。東京か大阪に行けということである。CRAZYが選んだのは東京だった。前にも東京に入ったことがあるようなので、慣れているということだろう。ちなみに、東京に行くにはもちろん交通費がかかるが、それらのお金は「学会参加に必要な費用」として、大学から賄われることになるが、それでも後から支給されるので、一時的にはお金が必要である。…ってあれ!?CRAZYってお金が無いんじゃないの?もう彼の言っていることは信用ならない。出発まで2週間を切り、無事ビザを取得できるか怪しいところではあるが、なんとか出発前に手に入れることができたようだった。本当にギリギリだ。CRAZYは徳島にはいかない分、僕より出発が3日遅いが、これはつまり、出発直前日は僕が手を貸してあげられないという意味でもある。さらには教授たちも徳島にいるので、研究室にはほぼCRAZYを手伝ってあげられる人が残っていない。先輩たちもこの時期は卒業旅行やら新生活の入居手続きやらで忙しいはずである。まったく、世話のかかる息子を家に置いてきたかのような気分で僕は徳島へ向かうこととなったのだ。とはいえ、それでも僕にとっては初四国なので、一度CRAZYのことは忘れ、思う存分楽しんでくることにした。
3月13日、いざ徳島へ出発!!
その3日後、16日の23時頃、2人は長い旅を一つ終え、合流することとなる。
おまけ CRAZY史概略
2024年1月中旬 学会エントリー締め切り当日に、CRAZYも参加表明
<謎の空白期間>
2月下旬 飛行機・宿泊予約断念
2月末 論文提出締切日に論文完成
3月上旬 飛行機・宿泊予約完了、クレカ申請、ビザ取得のため出張
3月12日 各種手続き完了、クレカもビザも入手、残るは発表資料のみ
3月13日 自分は徳島へ出発
3月16日 名古屋→東京→大阪の謎旅後、僕と合流
ちなみに、帰りの飛行機は認知していなかったが、僕とは違う便で帰っていった。僕と同じ航空会社を選んで、一緒に旅をしたいのかと思いきや、そういうわけでもなかったということだ。なんじゃこりゃ。
~完~
本編未読の方はこちらもどうぞ
学会遠征編 1日目 徳島への移動日|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 2日目 徳島の学会と鳴門の渦|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 3日目 徳島観光|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 4日目 淡路島観光と明石市|シナモンパン (note.com)
↑僕とCRAZYが合流した日
学会遠征編 5日目 バンコク上陸|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 6日目 タイの学会|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 7日目 敗走|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 8日目(終) 帰国|シナモンパン (note.com)