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学会遠征編 3日目 徳島観光

概要

 学会という試練を乗り越え、美食と絶景を堪能した後に待ち受けるのは混沌の夜だった。これを乗り越えた3日目・15日は、「徳島らしさ」を追求する1日になることを願って動き回ることにした。

リスポーン地点

 夜が明けるころには、頭痛も胃のむかつきもなくなっていた。二日酔いにならなくて本当に良かった。そして起き上がった時刻は午前6時半。ホテルの朝食サービスが始まる時刻だ。昨日はすべてをさらけ出してしまったので、再度栄養を蓄えておく必要がある。朝食がビュッフェ形式なことにはまたもや感謝することになった。とりあえず、並んでいるものはすべて一口分ずつ取り分けていけば、バランスの良い食事にはなるだろう。キャベツは多めにとっておいた。ビタミン至上主義だ。この時間に起きて朝食をとったのには理由がある。8:26に徳島駅出発の電車に乗るためだ。余裕をもって8時にはホテルを出たい。逆算するとこの時間になるというわけだ。事前にこの日はどこに行こうか考えていた。もしかしたら、猫島に行けるのではないか?香川に行けちゃう?と内心ウキウキしていたが、電車の本数があまりにも少なく、夜に帰ってこれそうになかったので断念した。その代わり、午前は大塚国際美術館、午後はドイツ館に行くというプランにした。すべてを見て回るには時間があまりにも厳しい。そのため、ほぼ開館時間と同時に到着する便で行くためにこの時間に出る必要があるのだ。モドキ、黒、サンタさんのへっぽこトリオも午前から同じく美術館に行くようだが、彼らはのんびり9時過ぎに出発するらしいので、自分のペースで一人で行く。

田舎に住むとは

 徳島駅から大塚国際美術館までのアクセスは、車を使わない場合は2つある。ひとつはバスで行くルート、もう一つは電車で鳴門駅まで行き、バスに乗り換えるルートだ。どちらも合計金額は同じだが、バスの方が十数分早く出発する。どのみち最後はバスに乗らなければいけないとはいえ、個人的にはあまりバスに乗るのが好きではないのと、徳島の電車に一度乗っておきたかったという2点から、電車ルートを採用した。ちなみに、電車電車と言っているが、厳密にはディーゼル車なのでどちらかというと汽車に近い※1。電車というのは常に電気を供給しながら走るので、自動車のように燃料補充(もしくは充電)するための時間を確保する必要がなく、数分に一回のペースでも走らせることができる。しかし、当然のことながら電力の確保のためにはその分のコストや労力を割かなければいけないうえ、できる限り平面を走る必要がある。その反面、ディーゼル車はそのような地理的・電気的制約に縛られないため、このような場所では合理的なのだ。そもそも都心部ほど人もいないので、数十分に1本程度でも成り立つのである。僕の地元もおそらく同じような理由でディーゼル車しか走っていないので、実質地元に帰ってきたようなものだ。(以降は便宜上「電車」と呼ぶことにする)なんとSuicaが対応していないので、小銭で切符を買う必要がある。面倒くさい。なんとか乗車できたので、鳴門駅まで出発だ。乗り換えはない。ちなみに、僕の地元でもそうだが、(とりわけ朝の8時台は)高校生が多い。確かに、車社会とはいえ高校生はまだ運転ができないので、利用せざるを得ないというのは納得できる。僕も、高校へ通うために、毎朝早い時刻の電車に乗るか、10km自転車を漕ぐかしないといけなかった。もっと交通の便をよくしてくれと悲願した延長上に、大学は都会で一人暮らししたいと思うようになった話は別でするとして、彼らももしかしたら同じことを考えているのかもしれない。こうして若い人材はどんどん都会に吸収され、地元を捨てられないものだけがそこに残る。鉄道会社も赤字が苦しくなって、ダイヤルや金額を見直すと、更に反感を食らってしまう。誰かが悪いわけでは決してないのだが、世の中の人口密度に関する社会問題がここには詰まっていると考えさせられることになった。赤字なら、Suicaを導入する投資もできないのかもしれない。一観光客の要望をかなえられるほど余裕がないことは受け入れてあげるしかない。道中列車が大きく左右に傾くこともあり、乗り心地はいいとは言えなかったが、これも大きな心で見てあげるのがいいのだろう。そんな街に人が住んでいるのか、と思うこともあったが、かつて、そこそこ街中に住む友達に自分の住む村を見せたら、ドン引きされたことがあるので、自分の出身地もそう言われる側の地域であるのだろう。
 こうしていたら、電車は終点の鳴門駅に到着し、バス停へと足を運んだ。バスは、予定の時間になってもなかなかやってこない。こういう乗り物だから仕方がないと思いつつも、慣れない土地だと少し不安になる。何度もいろんなバスなら来るが、行先の表示が違うのでスルーする。おそらくここで待っている人たちの大半は僕と同じく美術館に行きたいのだろう。そのうちの一人が、やってきたバスの運転手にこのバスは美術館行きかどうかと尋ねていた。その運転手が言うには鳴門公園行きに乗れとのことだったので、この時点でスルーしたバスはどれもそこには行かないものだったと安心できた。こうして本物のバスがやってきたときに、そこで待つほとんどの人が乗ることになった。やはり目的は一つのようだ。今回もpaypayが使えるか気になったが、QRコードを見つけられなかったので、降りる直前まで小銭を握りしめていた。実は前日鳴門公園に行く道中でこの美術館を通過したのだが、今見てもその外観は圧倒的だ。いったいいくつの国旗が掲げられているのだろうか。グローバル化の権化である。

美術館 午前

 外でチケットを買い、入場することができた。学生証をもっていけば、学生料金2,200円で入ることができる。建物にはいったら、まずは巨大なエスカレーターが待ち構えていた。どうやら、入口は山の中にあるということになっており、エスカレーターの上った先の、地下3Fから見て回るという構造である。そこには西洋を思わせる巨大な大聖堂が形作られていた。ちょうど解説の人が熱弁していたところだった。世界史には詳しくないので、ああこれか!とならないのは惜しかったが、後から調べてみたら、これはシスティーナ礼拝堂を模擬したものらしい。実際の作品は完成に3年かかったと解説でされていたような気がするが、こちらの美術館のものは完成にどれくらいかけたのだろうか。このあたりで、モドキから「今から出発する」との連絡が入った。もうすでに僕は館内にいるのでその写真を1枚だけ送り付けておいた。もしかしたら合流できるかもしれないが、彼らは午後から渦潮の遊覧船に乗るようなので、どのみち長い時間の付き合いにはならないだろう。壁際を歩くと、ほかにもいろいろな作品があることに興奮した。中には、あの米津さんのレモンの絵もあった。ハッピーで埋め尽くされた。展示場は、古代から中世、近世、そして現代のように、時系列順に作品が並んでいる。どれも見ごたえのある作品ばかりで、歴史の知識が中学校までで止まっている自分でも知っているような有名作品に出くわすことが多かった。作品の一つ一つに解説がついているのだが、それらをすべて熟読しようとすると、とても回り切れそうにない。気になったものだけ写真に撮っておき、後で読み返せるようにしようと思った。どの道空港の待ち時間など何もすることがないだろう、そう踏み込んでの作戦である。作品の写真も、ある程度限定することにした。写真を撮ることばかりに気がいくと、本来の楽しさを味わえないような気がするからである。実際、近所のねこさんを触るときも、ある程度写真を撮ったら、あとは触ることに全力を注ぐようにしている。ちょんちょんもそうだ。写真以上の思い出がある。
 話を戻し、地下3F。パンフレットによれば、おすすめの巡回経路があるようだが、そんなものは当てにしない。己の感性を研ぎ澄まし、気の向くままに見て回ることを最重視して歩いた。歩くルートにいちゃもんを付けられないのは一人旅の一番のメリットだ。連れ添いへの配慮というのを気にしなくていいだけ気が楽だ。中でも、ヨーロッパにおいては最も重要であろう某氏の磔の絵は記録を欠かさなかった。特に信者というわけではないが、無視できる歴史でないことは客観的に考えても明らかだからだ。この磔の写真たちを選別して彼女に送ってみたら、ニッカウヰスキーでお馴染みのあのおじさんを冷蔵庫にはりつけている写真を返してきた。僕の写真の意図を汲み取る優秀さに感心するのと同時に、業の深さに戦慄を覚えた。作品は額縁に入った絵だけでなく、壁画のような、空間ごと作品になっているところも多く、なんなら挙式も挙げられるそうだった。モドキの彼女は偽物ではあるが、万が一うまくいってしまった場合、その彼女はクリスチャンなので、最適な場所かもしれない。山の中なので、地形の都合上、一部分は外になっていて、突如として青天井になるゾーンがある。深い歴史の奥底から、一瞬だけ現代の自然に解き放たれるような感覚だ。その景色は昨日に訪れた鳴門公園と変わらない。青い海に清々しく晴れた空。青色というのはきれいな色なのだ、と自然の美しさに上機嫌になった。再び建物の暗いところに入る。作品をしっかり見られるよう、眼鏡をかけることにした。B3Fにお土産店もあるようだが、これは引き返す道で見ていくことにしよう。
 そう思い、B2Fへと上った。上がってまず迎えてくれたのはピンク色の綺麗なお花たちだった。真ん中に座るところがあったので、写真スポットなのだろう。その時点では、小さい女の子がパパに写真を撮ってもらっているところだった。その次は若い女子二人組だ。人が映り込んでしまうので僕は写真を撮れなかったが、連れがいたら写真を撮れたのだろうか。一人旅の歯がゆいところである。もしモドキたちに合流出来たら写真を撮ろうかなと考え、他を見て回ることにした。中世のコーナーは、やたらと裸体が多かった。それも、男女関係なく全裸であり、肉付きも妙にリアルである。これがルネサンスの賜物なのか。この部屋でなら全裸でじっとしていても他の人にばれない気がする。あくまで作品として鑑賞することにしたが、このあたりを歩いていた時だけやましい写真ばかりとなってしまった。また、殉教者の絵はなかなかに刺激的だった。もはや拷問にしか見えない。現代でこのような絵を投稿したものなら、瞬く間に年齢制限がついてしまうことだろう。その他には、この階からもシスティーナは見れた。相変わらずの圧巻だ。
 時刻は11時を過ぎたころ。本来の予定では、ここまでお金を使いすぎたことを反省して、昼飯を自制し、りんごがかってくれたコンビニのおにぎりを食べてやり過ごすつもりでいたが、この時点で空腹感が十分に来ていた。おそらく、昨日の夜に胃の中身をリセットしてしまったことと、朝が早かったことが原因となっているのだろう。カフェっぽい店があったのでそこで休憩することにした。少しでも節約するため、おしゃれな飲み物は✕だ。お茶なら店内で汲み放題なので、それを飲むことにした。食べ物は、「最後の晩餐カレー」という謎のカレーライスにした。他には海鮮丼もあったが、毎日食べられるものではない。たまには軽いものも食べたいのだ。このとき、昨日の仲介人の言葉を思い出した。今は優しさを取り戻したいのだ。カレーは軽いかと言われたら困るところだが、辛すぎるものではなかったので親しみやすさは充分だろう。その具材にはレンコンに茹でエビ、ヤングコーンなど個性派が勢ぞろいで、軽いと高をくくっていたことに申し訳なさを感じた。胃もたれはしないものの、食べ応えがっておいしい。ラッキョウもついていた。これが優しさなのだ。座っている席は外の景色が見える暖かい席。風通しもよくて素敵だ。こうして満足な昼食をとったところで眠気が来る。そうだった。昨晩はよいと頭痛でまともな睡眠をとれていなかったのだ。まだ12時前で混んでいないので少しだけ休もう、そう思って目を瞑った。時間のたたないうちに、店内のお客さんの数は増えていく。飯時なので当たり前だが、これ以上は場所を取っていてはいけないと思い、その場を去ることにした。歩けば目も覚めるだろう。

美術館 午後

 B1Fに上陸。まだまだ歴史の古い作品が並んでいる。そして、この会に限ったことではないが、いたるところにソファが用意されていることを知覚し始めた。最初は観賞のためにあるのだろうと深く考えていなかったが、次第に寝心地の良さなどを考えるようになってしまった。ここはライトが明るいから眩しいだとか、ビニール製は蒸れそうだとかだ。幸い、ソファへの着席を巡った争いも行列もなかったので、20分ほど休むことにした。スピードコースなので時間を浪費するのはあまりよろしくないが、眠たい頭で作品を見ても仕方がないと思っての判断だ。これで少し回復できたので、再び動き回ることにした。世界各地の名画たち。歴史にも美術にも詳しくない僕にはうまく言語化できないものが多いので、これを読んでくださる方々にはぜひ一度自分の目で確かめてほしい。ここで時計を見たら、もうそんなに時間が残っていないことに気付いた。本当は12:30頃に出ようかと思っていたが、全然足りないので13:30に出ることにした。とにかく急がないとすべては回れない。
 地上1Fに行こうと思ったが、エスカレーターが見当たらなかった。仕方がないのでエレベーターを使った。この階からは現代アート。手始めにゲルニカがお迎えしてくれた。中には10年前の美大生が造り上げた立体作品など、最新のものまであったが、あまり人は多くなかった。アクセスの悪さゆえだろうか。ゆっくりと観ることができる。地上なだけあって、外のスペースは広かった。寝転がれるベンチには様々な男性達がくたばっている。まるでデパートで彼女か妻に振り回されて休憩しているおじさんたちのようだった。大きめのブランコも設置されていたが、あいにくそれを楽しめるだけの時間はなかった。
 時刻は午後1時。地上2Fへは階段で上った。ここにきて、この美術館のイメージキャラクターと初めてご対面した。ペガっちというらしい。あまり周りの子どもには懐かれていなかった。見て回るのは15分くらいまでにしようと焦り気味だったが、怖い絵のコーナーは見入ってしまった。解説動画のリンクもあったので、いつでも開けるように高評価しておいた。こうして何とか全部見て回れたので地下まで戻ることにした。その下りのエレベーターで、たまたま入ってきたおじいさんと少し喋ったが、その内容は覚えていないので、あまり感情を揺すぶられるような会話でも重要情報でもなかったことだろう。せいぜい、たくさんありすぎてみて回るの大変でしたね、くらいのものだ。お土産コーナーは5分くらい時間を使える。そのラインナップは、ゴッホのひまわりや、モナ・リザ、ムンクなど誰でも知っている代表格ばかりが商品化されていた。なるほど、マイナーキャラはグッズ化も許されないということか。確かに、自分の分ならまだしも、知らない絵のカードを渡されてももらう側は困るだけだ。あの殉教者の絵なんてもってのほかだ。脱出するときも最初に使った巨大エスカレーターを降りるのだが、入れ違いで団体客が入場しようとしているところだった。ここは17時に閉まるのに、ちゃんと全部見て回れるのだろうか。僕でさえ(昼食と昼寝込みで)4時間かかったので、彼らは終始競歩を強いられることだろう。
 また鳴門駅へ向かうバスを待った。バスの多い地域なのと、先ほどの団体客のツアーバスもあるのでどれが本物か見分けつきにくかったが、運転手に尋ねたので乗り場は間違えなかった。無事にバスに乗ることができ、鳴門駅で降りた。
 ここでまた電車に乗り、今度はドイツ館に向かうため坂東駅まで向かう。先に指定金額の切符を買っておけば、何も問題はない。やはり乗り心地も線路のむなしさも地元の鉄道と同じ空気がする。途中で学生が駅で友達数人と別れて1人で乗ってきたが、カーブでその友達が見えなくなるまで名残惜しそうに手を振っていた。電車の本数も少ない分、実際の距離以上に心理的距離を感じてしまうのかもしれない。暇だったのでおにぎりを食べた。海苔や米がこぼれないように食べるのは少し難しかった。池谷駅でいったん乗り換え。乗り換えという概念があるだけで、僕の地元よりはランクが高いことを受け入れなければならない。間が20分くらい空くようなので、持っていた本を読んで待った。外の駅にあるやや風化したプラスチックの椅子。全然人がいないので遠慮なく座らせてもらった。

大麻町

 坂東駅を降りて少し歩いたところにドイツ館がある。どういう建物なのかはわからなかったが、行けそうだと思ったので行ってみることにしたのだ。だいたい駅から北西の方角にあるので、道は厳格にならず、気の赴くままに歩いてみた。駅から、ずっと男女数人の大学生ぐらいのグループが自分の後ろを歩いている。彼らは自分には関係ないし、僕のことを意識している気配は全然なかったが、なんとなく後ろにいられるのが嫌だったので、あえて誰も通らなさそうな細い道を通ってうまく撒くことにした。車すら通れない細い道。隣には温かい柑橘畑の景色が広がっている。すだちの実もたくさんなっていたが、僕は野生動物ではないので勝手に取ったり荒らしたりすることはない。のどかな村は、まるで地元を歩いているかのようだ。もしかして知らないうちに帰省していたのだろうか。何食わぬ顔して田舎町を歩く人間が、まさか観光客だとはだれも思わないだろう。こうしてマップのナビを無視しながら歩いていると謎の寺院、霊山寺があった。趣があって気になったが、ドイツ館の閉館時間も迫るので後で訪れることにした。その他にも、長く続く鳥居の道も気になったが、これもパスだ。ちなみに、天気は澄み渡るほどきれいな晴で、暖かく、来ていた上着もいらないほどだった。太陽の圧勝だ。さぞかし花粉も飛んでいるのだろうが、そのあたりの対策は怠っていない。数週間前から薬を飲んでいるので、どこにも異常は出なかった。それもあって散歩には最適の環境だ。ドイツ橋と名前が付いた、かわいらしい橋を渡ると、遠くに建物がいくつか並んでいるのを見つけた。南側から順に、賀川豊彦記念館、道の駅、そしてドイツ館だ。道の駅に少し寄ってみることにした。もちろんお土産になりそうなものがたくさん並んでいるが、お酒は今の自分には荷が重かった。ここで性懲りなく飲んでいては、またもや歴史が繰り返されるかもしれないからだ。深く深く反省している。何も買わずに外へ出て、ドイツ館の中へ入った。
 ここまで歩く道が完全な孤独だったのでもしやと思ったが、やはり中にはほとんど人がいなかった。1Fは受付と売店、2Fが資料館となっている。とりあえず入場料は払うことにした。そこでは、単純にここに入場する分以外に、鳴門公園の橋の入場券とセットになったプランもあった。これは昨日言ったところなのでもう行かないが、知らなかったので少し損をした気になった。まずは2Fへ。ここからは写真撮影には許可がいるとのことだったのでスマホはしまっておくことにした。展示物としては、戦時中にドイツの捕虜が使っていたものや、その捕虜たちについての待遇が書かれた板などがあった。市営の公民館くらいの規模である。そして、ここに来て、なぜこの場所にドイツに関する資料館が存在するのかというそもそもの疑問に解決していないことに気が付いた。どうやら、戦時中はこの大麻町に多くのドイツ兵捕虜がいたこと、そしてベートーヴェンの第9交響曲が日本国内で初めて演奏されたという事実を残すためのようだ。つまり、この地域は思っていたよりグローバルだったということだ。30分に一度、人形たちの演奏会(一定の動作をするだけで、音源は他にある)が始まったので、観に行ってみたら、その第9交響曲の一部始終を披露してくれた。誰もが効いたことのあるであろう、有名な曲だ。僕はエヴァQで記憶している。YouTubeのプレイリストに入れるくらいには好きな曲だったので、少し嬉しくなった。一周にはそれほど時間を要さなかった。午前の急ぎ足とは逆に、ゆっくりとした時間が流れた。気前よくアンケートにも答えておいた。そして、ご意見番のノートにも何か書こうと筆を執った。こういうのを見かけると遊ばずにはいられないたちなのである。その執筆者を見るに、教育者がプライベートで来て、子供たちに話したいという感じのものが多かった。中には今回の学会で来た、別の大学の研究室御一行も来ていたらしい。今日の日付が書かれていたので、午前にでも来たのだろう。まじめに感想を書いている人が多い中、ふざけるのは至難の業だ。とりあえず僕からは、人類の最終目標、ちょんちょんの絵を差し上げた。感謝の気持ちも忘れずに述べておいた。スタンプもあったので記念に押しておいた。1Fに降りて展示物や商品をいろいろ見ていた。楽譜があったので、写真に残しておいた※2。またしてもビール… 確かにドイツはビールが有名であるのだが、先述の通り今日は飲まない。他にはかわいらしいグッズが多数そろっていたが、いちばん安い150円のカヌレを2個買った。

帰りの寄り道


 外へ出て早速1個は食べた。もう一つはうまいこと保管して、誰かしらにあげようか。外には、来たときは無視していたがベートーヴェンの像がある。撮影スポットなのだろうが、一人での参上なので僕は被写体にならなかった。喉が渇いたのでもう一度道の駅店内に入った。何かノンアルコールの飲み物…と探していると見つけたのはすだちジュースのカンである。ショート缶か、炭酸入りのロング缶。より徳島らしさを追求するなら、すだちの骨の髄までしゃぶれる長い方に決まる。当然ながらふたを閉められるものではないので、缶を片手にしばらく歩くことにした。来た道を素直に戻れない性格なので、方角以外は気にせず我が道を往くのだが、道中曲がれるポイントがないことに気づいてしまった。これでは駅までいけない。そう思って少しマップを見た。タイヤの通れない道を歩くこともあったが、田舎出身の僕にとっては大した課題ではない。小学校の帰り道なんて、よく家の畑をショートカットしたものだ。こうしてあの鳥居が並ぶ道まで戻ってこれた。この先には何があるのか。完全な興味本位でしばらく歩いてみたが、途中できりがないと勘づき引き返すことにした。まだ日は落ちない。今ならまだ例の霊山寺を楽しめそうだ。そう思ってまた目指すことにした。ローソンで飲み終わった缶を捨て、新しくお茶を買った。ただただ道を歩いているだけでも面白い発見はある。まずは鶏卵の自販機だ。スーパーで買うよりも安い金額で売っていたうえに、当日にとれたものしか入っていないと自負していた。これが地元なら迷わず買っていただろう。しかし、ここは旅先。ホテルに戻っても調理は難しそうだ。それに、これを土産にすると、カバンから強烈な硫黄の香りをお届けすることになりかねない。残念ではあるが見過ごすことにした。さらに進むとお米の自動販売。こちらは24時間年中無休と看板が掲げられているので期待を大にして売り場を見たら、「現在故障中」と手書きの張り紙が張られていた。オチが早すぎる。いつ故障したのかはわからないが、これは今後も長らく放置され、地域の腫物にされるのであろう。「誰か、もうあの建物壊したら?」「そんなこと言っても、持ち主がここにいないんだからどうにもできないだろ!」脳内再生が余裕だった。
 こうしてまたもや辿り着いてしまったお寺。厳密には、最初通りかかった時とは違う入り口にいる。入ったすぐそこには、不気味にほほ笑む干からびた等身大の人形がいくつか立っていた。昭和中期のような笑い方である。敷地の中は、鯉の池や地蔵の整列など、ある程度のものはそろっていた。使い道のわからないパンダの座る奴もあった。よく公園の余ったスペースに置かれているのを見かけるアイツである。当然のことながら汚かった。それとは対照的に建物の中はお線香の香りがしてきれいな空間だった。小さな子どもが父親と一緒に火を分け与えていり、お経を唱えている人がいたりと、ここは今も活発に利用されているお寺だとわかった。
 もう満足だろうか。そろそろ帰るかと思い、電車の時刻を確認したら、40分後に来るようだった。まあそんなものだろう、今更驚くことではないと思いながらも、やはり暇なものは暇である。旅なんて思い切って動いた方がいいと思ったので、一つとなりの池谷駅まで歩いてみることにした。マップを確認した位置からは2km強。歩いてもまだまだ10分くらいはあまりそうである。これが何もない田舎町での楽しみ方だ。ちなみに、1駅分省略しても徳島駅までの運賃は変わらない。歩きたいから以外の理由なんてないのだ。道は多少くねったりもしているが、基本は線路に沿って歩けば問題ない。日も傾き、ただでさえ大人しい町はさらに静寂さを増すかのようであった。通り過ぎた喫茶店は、調べたところもう閉店時刻を過ぎたようで、店員さんが店じまいをしていたようだったが、偶然目が合った時に少しにらまれた。たしかに、こんなところを一人で歩く人間などまずいないであろう。地元住民でさえそんなことはしない。この時ばかりは自分が不振である自覚はあった。とはいえこんな土地狂った観光客もいれば、そこに慣れ親しんで生活している人もいる。少し広い庭で姉妹で遊ぶ子どももいて、ここは人の住む世界なのだと改めて実感した。駅が近づくにつれてマップを開く頻度が上がっていく。あと何mか。疲れもたまってきたようだ。キャベツ畑に春を感じ、疲労感に年を感じた。いや、まだまだ若い。旅もまだまだ続くのだ。そう気合を入れなおして池谷駅まで歩き切った。後悔はしていない。

夜の徳島

 池谷駅は乗り換えができるので他の駅よりやや広いのだが、それでも無人の駅であり、僕の後に男子高校生が一人やってきたくらいだった。時間には余裕があるので読書の続きでもして待っていたら、電車の時刻になっていた。本に夢中ではあったが、音で電車が来たことが分かる。向かいのホームにだ。焦っていたので確認していないが、多分あれに乗らなければと思い、急いで歩道橋を渡った。さすが田舎の電車。見込み客がいれば若干待ってくれる親切さを持ち合わせている。これは地元の電車でもそうだった。利便性の代わりに、少しの温情があるのだ。都会のせわしない電車にはありえないことだろう。東京の電車なんか、逆に乗客が多すぎて駅員さんが無理やり降ろすことさえあり得るのに、ここはその点では気が楽だ。乗った電車は正解だった。これでまた徳島駅に帰れる。夕暮れ時なのでおそらく下校中の高校生も多かった。ちなみに、池谷駅から徳島駅までは12kmくらい。歩いていけるかも…と思ってしまった自分にはそろそろリミッターをかけようと思った。
 乗車した駅が無人駅だったので、改札を出るためには窓口で支払う必要がある。田舎といえど中心部の駅には行列というものだった見られる。少し時間がかかったが、駅を出ることができた。朝とは打って変わって暗くなってしまった街並みだが、まだまだ中心街は明るい。今回は少し違うルートを歩いてみることにした。商店街というよりかは住宅街に見える通り。本屋さんを見つけてしまったので、発作的に入店してしまった。僕には、本屋を見かけると無意識的に中に吸い込まれるという習性があるのだが、今日も例外ではなかった。入ってすぐに店員さんに用件を聞かれるが、そんなものはない。見ているだけである。自分が入店した少し後に、車から女子数人が降りてきて、発注した教科書を回収していた。そんなことはあまり気にせず本棚を見てみると、脳神経外科のノウハウや、看護食、精神病の解説など、どこを見ても医療系の本ばかりであった。それも、一般人向けではなく、かなり専門的で踏み込んだ内容である。そこでは何も買わずに外へ出た。去り際にお店の看板をよく見てみると、医療・看護系専門書と書いてあった。いろいろと納得した。僕が踏み込むべき場所ではないということだったが、それでも本が並んだ空間は個人的には好きである。行きとは違う橋を渡ったのだが、こちらはライトアップがきれいであった。船で川下りでもすれば映え映えなこと間違いなしだ。その川沿いに面白そうな店を見つけたので見てみようかと思ったが、ロープが張られて近づけなかった。門前払いのようだ。

徳島ラーメン


 夕食はもう決めてある。徳島ラーメンだ。モドキ率いる先遣隊4人は既に徳島ラーメンを食べたようで、あまり美味しくないと言っていたが、それはおそらく外れくじをつかまされたのであろう。僕は偶然にも徳島の東大ラーメンの本店を見つけてしまったので、そこに行ってみることにした。いつ見つけたのかというと、昨日、夕食の会場へ行こうとして逆方向に歩いてしまったときに見つけたのである。昨日はそのラーメン屋に見覚えがなく、マップを確認してみたら逆方向だった気づいたのだが、今日になってその失敗を活かすことができたのである。この「東大」というのはおそらく地名だ。ちょうど泊っているホテルも東大と名前の付く店舗である。そういえば、高校生のとき、京都大学のオープンキャンパスに行った帰りに、京都駅の10階で東大ラーメンを食べたのを思い出した。京大なのか東大なのかはっきりしろというのはさておき、その店は生卵割り放題の醤油豚骨ベースだったことを思い出した。あれはすごくおいしかったので、マズいという感想は信じていなかったが、ネットでは意見が二分しているようだった。実際はどうだろうか。店は外の食券販売機で購入してから入るという方式で、幸い昨日ほどには混んでいなかったのですぐに入ることができた。店に入って紹介された席はカウンターのいちばん右端。地面が歪んでいて椅子がガタついていたが、あまり気にしない方針で行くことにした。注文したものがやってきた。ラーメンの通常サイズと、念のため餃子も付けておいた。お米ももらえた。この店も京都駅の店と同じく、各席に生卵の入った籠が置かれており、自由に割ってよいとなっていた。せっかくなので1つ割ってみた。徳島ラーメンは、卵を割ってこそ完成するのである。黄色い丸を残しながら食べた方が見栄えはよいのだろうが、個人的にはあまり好きではないのですぐに溶いてぐちゃぐちゃにした。味はすごくおいしいと思った。僕はちゃんとあたりを引いたのだ。そもそも、本店なので間違いはないはずである。食べている途中で、店に電話がかかってきて、店員さんが応対していた。「はい、当店は毎日午前4じまで、年中無休で営業しております。」と答えていた。お店に入る前に看板にそう書かれてあるのを見たので知っていたが、改めて営業時間の甚だしさに驚いた。きっとその電話をしたご新規さんも、まさかと思って電話で確認したのだろう。徳島らしい食べ物を食べたと言えるので大満足だ。
 食後はホテルへ一直線に戻ってもよかったのだが、もう少しだけふらつくことにした。一昨日寄ったバーの横にあった酒屋さんだ。買うわけではないが、知っている銘柄を見ると妙に興奮する。おしゃれなボトルもたくさんあるのでこういう店にもついつい入ってしまうのだ。この日はたまたまワインのセールを行っていた。そろそろワインについてもいろいろ学んでおきたいと思うようになった。

ホテルに戻って

 ホテルに帰る道で、別のバーを見つけた。いや、さすがに寄らない。鍋屋もあったが、お腹いっぱいだ。帰ってきたのは21時より少し前。まだまだ早いと言えば確かにそうだが、22時から彼女と電話する約束をしていたのでもうお風呂に入ることにした。その前に洗濯でもしようかと一度1Fに降りたが、すべて使用中だった。ホテルの向かいに銭湯もあったが、今回は行かないことにした。ホテルのユニットバス、通称ユニバで十分だ。少しでも疲れをとるために湯船につかることにした。出た後に風呂掃除をしなくていいというのは気が楽である。とはいえ、できる限り雑なホテルの使い方はしないように心掛けた。僕にだって最低限の良識くらいはある。お風呂を上がり、備え付けの浴衣を着て再度洗濯機へ。幸い一つ空いていたので、使用権を得る。こうして22時になったので電話をかけた。彼女は、僕と同じタイミングで実家の札幌に帰っていた。そのため、今僕のいる徳島と違ってかなり寒いところにいるということである。実際どれくらいなのかと聞いてみたら、全然寒くないと言っていたので、気温はどれくらいなのか尋ねてみたら、3℃だった。道民をなめていた。確かに、彼女は普段から10℃の外ではマフラーひとつしないくらいには丈夫なので、氷点下を下回らなければ問題ないという認識なのだろう。電話の途中で洗濯物の回収などもしながら、お互いのここまでの道のりについて語り合った。向こうは近日中に地元の友達と会ったりするらしく、春休みを満喫していそうである。楽譜が読めるそうなのでドイツ館で撮った楽譜を見せてみたら、だいたいわかったという。タイトルが見えていたからかもしれないが、本格的な楽器の経験がない僕にとっては読めるだけですごいと思う。こうして2時間くらい喋ったところで、明日に備えて寝ることにした。明日も早起きするからだ。明日は、夕方に明石に行くことは確定している。そこで父親が単身赴任しているのだが、いったんそこで荷物を預かってもらうためだ。16時に会うとしたら、それまで何をしようか。香川方面に行くと遠回りになりすぎて時間が間に合わない。早めに本州についたとしても、姫路まで行くのも行き過ぎである。さて、どうしたものか。4日目に続く。

おまけ

13日の近鉄で、りんごは15日に学会主催の施設見学会と懇親会に行くと言っていた。直属の先輩から研究の引継ぎを行うためについて回るのだという。その先輩は3月をもって卒業となるのでチャンスはこの時しかないとは言うが、先輩からすればいい迷惑だろう。その僕は先輩との面識もあるので会う機会を設けてもよかったが、イベントが1日拘束されそうなので申し込まなかった。後日感想を聞いたら、懇親会ではありとあらゆる先生たちが踊り狂っていたと言っていた。確かに、ここは阿呆になる土地である。


※1 このような理由から、徳島に「電車」は存在しない。上記の通り、交通系ICにも対応していないので、利用する際は現金を持っておくことを注意しておきたい。
※2 1Fに撮影禁止の表記は無かった。


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