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人生を情熱的に

僕は大学生の時にサッカーの練習中に膵臓が破裂し命を落としかけました。
その経験があっての今があります

大学サッカー部の紅白戦でゴール前の空中戦で味方キーパーと接触しお腹に膝が入った状態で地面に叩きつけられました

めちゃくちゃ痛かったけどみずおちに食らった感覚の少しつ強いくらいだったので1度出たけどもう1度ピッチに戻ろうとしたらコーチに止められてしばらくすると痛みが徐々に強くなりおかしいとコーチに病院に連れて行ってもらいました

診察を終え特に問題はないかなと点滴をして帰りました

コーチに送ってもらい1度部屋に帰りました

そこから痛みがだんだんと強くなり 風呂も入らず(入れず)
寝たら治るだろうと目を閉じていたが痛みは治まるどころか増すばかりでした
死ぬほど痛いとはこのことかと思う程の痛みになり

最初に診察してもらった病院に自ら電話してみたら救急車に連絡がこちらで出来ないため連絡してこちらに来てほしいと言われて

救急車に電話しました

よく咄嗟になるとテンパるとはよく聞いていたが
まさにテンパりました 一瞬 110? 112? 119
無事に電話できて住所を説明してきてもらいました

待ってる間も痛みは増すばかりで意識が朦朧としてきて
部屋にあるものをぐちゃぐちゃになるくらい暴れていました

後に部屋に行った母親から部屋がえらいことになってたでと

救急車が到着して運んでもらえると思ったら部屋にストレッチャーが入らずで痛みを我慢して自分で乗り込みました

病院に到着して色んな検査をしている間に安心なのか痛みに限界が来たのか痛み止めを投与してくれたかわからないが気を失ったいました

そこからどれだけ時間がたっていたかはわからなかったが
目を開けると
いるはずのない両親やサッカー部関係者(大御所)が目の前にのぞき込んでいた
何故かわからないが母親はめちゃくちゃ泣いている

後に聞いたら最初の病院で検査したら腹の奥に影が見えるとなりここでは見れないからと別の病院に異動して緊急手術になった
その際最初に付き添ってもらったコーチに病院が電話してくれて
両親にも電話していたらしく駆けつけてくれたようです

電話は深夜だったらしかったけど直ぐに準備して7時間くらいかけてきてくれたみたい
深夜にもかかわらずコーチがサッカー部関係者に伝えてくれたみたでした
すんません

話しは戻って
泣いてる親を見てなぜ泣いているのかこの時まだ自分がどうゆう状況なのかも分かっていなかった

完全に麻酔が切れて目を覚ますとたくさんと管に繋がれて 自分の周りはよくわからん機械がたくさんあって動くことができなくて気を失ってから大ごとな手術をしたんだなとわかりました

そこからは術後の痛みとの闘い

意識がはっきりしてから主治医と親からなにがあったにかと今の状況と今後のことについて説明された

先にも言ったように病院を移動してさらに詳しく検査したところ膵臓が破裂していることがわかった そこから緊急手術が始まり10時間程の手術だったそうです

手術直後に主治医から親に説明で 
すごく危ない状況でまだ山は越えていないと説明されたらしく
目を開けた時に泣いていたのはそうようことだったのかと理解した

主治医より本人に説明では
まず医者からはなぜ内臓の中でも奥にある膵臓だけが損傷して
他の臓器が無傷なのか不思議でめちゃくちゃレアケースだったようです

あと数時間遅かったら膵液が他の内臓を溶かし命を落としていたよと言われました
それくらい危険なことだったと

ただ、今は山は越えて今は比較的安定しているけど油断はできないとのこと
しばらくはバルーンと言われる管がつくし
膵臓の損傷部の数パーセントを切除して2つに分けて1つはそのまま縫い
もう片方は腸につけた

そう僕の膵臓はふつうは1つのとこを2つある特殊人間になっていたのです

そんな特殊な手術だったためうまく今後機能するかも経過次第なのと
いつ合併症が起きるかもわからないためこれからが大切だと

いろいろ危険で経過が大切なのはわかったけど
俺はサッカーができるのか
戻れるのか

そこだけが心配で主治医に強めの口調で問いかけた
母親は今何言ってるの 命が助かったばっかりだと怒られたが

俺にはめちゃくちゃ大切なことでこれまでサッカー中心でサッカーで生きてきたから

医者から返ってきたのは
競技復帰は難しいだろう
一生デスクワークになる可能性もあると言われた
それほどの手術だったんだよと

到底受け入れがたく、今までの自分の行いや言動を後悔し、神を恨みました。
何も叶えていないし、何もできていないのに。
今までのやっておけばよかったなどの後悔していることも浮かんだ
その時は助かった喜びもありがたみも感じず、恨みが強かったと思います。

そこからはもちろん術後の痛みや治療と闘いでしたが
自分のメンタルとの闘いで
手術の時から泊まり込みで看病してくれている母親に相当あたっていた
到底受け入れることが出来ず
すぐに筋トレをしていて見つかってめちゃくちゃ怒られました

そんな俺にずっと前向きに声をかけ看病をしてくれた母親のおかげで
なんとか普通な気持ちを取り戻しました

自分が前向きになれたきっかけは
もちろん両親 兄のお陰
寄り添ってくれた看護師さん 担当医の先生 仲間 コーチ
わざわざ遠くから見舞いにきてくれた方々
感謝!!!

あとは
同じ病棟にいたお爺さん
その人はがんを患い手術をして入院をしていました
その人はすごく面倒見がよく
僕の事を気にかけてくれていた
自分がもうサッカーやいろいろ今までのようにいかないかもしれない事情を聴いて

まずは生きてるだけでラッキーでしょと
あとはかもしれないで落ち込む必要ないよと
一つ一つクリアして今を受け止めて新しい自分になればいいと

こんなかっこよくは言っていないけどそう解釈した

響いてはいたが実際に生きている喜びを感じたのは
入院時1カ月ほど点滴生活で
許されたのは口を潤すくらい

食事に時間のみんなが食べるにおいを
食に飢えていた

最初に許されたのが 飴をなめること

その時舐めた飴の味は今でも鮮明に覚えている
涙が出るくらい嬉しくて母親と喜んだ

カンロ飴やったかな

食べるありがたさ 食べられるありがたさ
生きてることに幸せを感じ
生きていてよかったと感じました

食事はおもゆから始まり ステップアップしていき腸閉塞になりまたゼロからになり時間をかけて普通食まで行けました

目標はかつ丼でした
かつ丼をモチベーションに

どんどん前向きに治療リハビリをクリアして
奇跡かは大袈裟ですが
無事退院し退院後も母親のサポートもあり
(感謝はあるが毎日のようにケンカしていました 笑) 

その後、もう大丈夫のところまで復帰し
数か月で競技にも戻れることが出来ました

そんな経験のお陰で
もちろんこんな経験をする必要はないけど

命のありがたみ 生きていることの凄さ
を感じることが出来た

だから生きている限り 人生に情熱を注ぎ熱量もってハッピーでいようと覚悟しました

チャンスがあれば何でもチャレンジして
やらない後悔よりやって後悔しようと

今を大切にする意味を知ったからこそ

そんな経験した人間でも 普通に日々を過ごしてしまうと
慣れてしまうこともあります
今が当たり前で当然明日も来ると

だからその都度思い出すように今でも言い聞かせることもあります
今は当たり前じゃない!お前はあの経験をわすれたのか!今を大切にし、未来のために今に情熱を持って生きろ!と。
もちろん僕以外はこんな経験はする必要ないし ない方がいいに決まっています。
だからこんな経験をして気づくではなく
無限にない命を生きる事を楽しんで
目標をもって色んなことや夢中になってもらいたい
生きてることチャレンジしてもらいたい
早いに越したことはないけど今からでも決して遅くないから
僕ももう38歳 まだまだチャレンジします
今に全力で生きて幸せでハッピーな人生を!
と自分にも改めて言いました

ENVIDA=人生を情熱的に
EN=炎 縁 エネルギー 輪 
VIDA=人生

一つ後悔は入院前に借りていたアダルトビデオが延滞して母親に返却してもらったことだ
しっかり期日を守って返し、出来るときにやろうと 誓いました。


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