【短編小説】春夏秋
―春
薄暗いオフィスの中で1人スポットライトを浴びて液晶に向き合う。残業もそこそこに、その日は会社のビルの管理人に追い出されて帰ることにした。
職場から駅まで徒歩14分かかるところを10分で帰ることができる近道がある。中央公園の中を横切ると見事にショートカットできるのだ。今の季節は桜が咲き、夜にはライトアップもされる。僕は、こんな時間になってもブルーシートの上で騒いだり意識を手放したりしている、浮かれたやつらの間をずかずかと歩いていたが、立ち止まり、彼女から目が離せなくなってしまった。桜の木の下で俯いている女性。どこかで見たことがあるような。すると、女性はふっと桜を見上げた。影になって見えなかった彼女の表情が、ライトアップされた桜に照らされ浮かび上がる。
彼女は会社の後輩、橋本さんだった。
―夏
その日は午後から出張で昼休みから会社を離れることになっていた。ビルを出たところで午前中出張だった橋本さんとばったり会った。
「お疲れ様です。これから出張ですか?」
とハンカチで首元の汗をトントンと抑えながら爽やかな笑顔を僕に向ける。会話はしているものの僕の脳内は別世界にいた。
「―じゃ、また。これからお昼なので」
会話が終わろうとしていることに気づき慌てた僕は、思わず橋本さんを引き留めた。驚いた顔をしている。なぜだか嬉しかった。
こんな暑い日に外に出たがる馬鹿などいないことを僕は好機だと思った。僕らは道中コンビニで適当に昼食を調達し、中央公園の木陰のベンチに座った。
「春にここで会いましたよね、そういえば」
すっかり緑を纏った桜の木を見て、あの日の光景が頭に鮮明に思い浮かんだ。あの日、目が離せなかった橋本さんの姿。目が離せないということは、無意識に見ていたいと強く思っているということだ。見ていたいと強く思う、ということは。そんなことより僕は、なぜあの日橋本さんがここにいたのかが気になった。
「あぁ、なんとなくです。」
あっさりした回答に、ふぅんと返しながらアイスコーヒーのストローを啄む。
「桜って一瞬で散っちゃうじゃないですか。私、散ったあとの花びらがなんか好きで。お花見行っても地面ばっか見ちゃうんですよね。夜桜だと星も綺麗だから、あの日も地面と星を見てました、あはは」
わからない。僕は、桜は満開に咲いているのが美しいと思うし、僕が見とれた彼女は桜ではなく星を見ていた。アイスコーヒーに伸ばした手が滑り、地面に液体が広がる。あぁあぁ、と言いながら橋本さんがカップを拾おうと僕の前にしゃがんだ。白いシャツブラウスにさくら色の下着が透けている。橋本さんの気持ちも下着のように透けてわかればいいのに。わかりたい。
「私も冷たいものが飲みたいな、自販機で何か買ってきますね。」
気が付くと僕は、橋本さんの唇に僕の唇を重ねていた。
蝉がアイスコーヒーを飲んでいる。
―秋
中央公園は赤、黄、茶にまだらに色づき、あまり通らないようにしていた近道を久しぶりに歩く。後ろから僕の名を呼ぶ声が聞こえた。
あれ以来橋本さんと話すのは初めてだ。いい機会だし伝えておこうと思った。来月から僕は異動になる。急にあんなことをしたセクハラ野郎と離れられて安心だろう。
「へぇ、そうなんですね…」
ほら、関わらなくなる奴なんかには気を遣う労力ももったいないのだ。
「がんばってください」
さっきから全く目が合わない。もうさっさと俺のことなんか忘れたいんだろう。
そうして僕は別れを告げた。魔が差した一瞬の衝動は後悔となりフライパンの焦げ跡のように脳裏にこびりついて、思い出しては死にたくなる。
冬を待たずして、僕はこの恋を終わらせようと決めた。
(追記 : このお話は、チャットモンチーの「春夏秋」という楽曲から着想を得ました。楽曲は女性視点で、その相手の物語です。素敵な楽曲なので是非みなさん聴いてください。)
作者: 雪田
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