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恋愛SF小説『ブルー・ギャラクシー ミオ編』9

ミオ編9 24章 探春たんしゅん

「結果的にだけれど、〝元締め〟が片付いて、よかったわね」

ホテルへ戻る途中の街路で、わたしは紅泉こうせんの腕にすがっていた。街はもう黄昏に包まれていて、深い藍色の空には星が光りだしている。秋は大好き。空気が澄んで、人恋しくなる季節だから。

「まあね。生かして逮捕できてたら、もっとよかったけど」

「仕方ないわ。あなたも重傷だったんですもの」

紅泉がミオをかばったから、不利な戦いを強いられたのだ。もちろん、紅泉はそんなことは一言も言わないけれど。

それにしても、運の強い子だわ。生き延びて、回復して。

「夕ごはん、何を食べようか」

紅泉はわたしの心など知らず、笑って言う。人がいいのも馬鹿のうち。

でも、わたしには、そのお馬鹿さんが全て。生きるのも死ぬのも、紅泉次第。

紅泉が恋愛知らずなのは、性格として、そういう耽溺ができないからだろう。あくまでも、公平で客観的なのだ。

ミカエルに夢中だった時でさえ、婚約破棄から、すぐに立ち直った。離れていても、心が通じていれば十分だと、見切りをつけて。

そういう心の持ちようが、真の豪傑の在り方なのだとわたしは思う。だからわたしは、豪傑にはなれない。なれなくていい。

「和食がいいわ」

「わかった、歩きながら探そう」

ちょうど、個室で食べられる料理屋があった。中庭に面したお座敷で、新鮮なお寿司や貝の吸い物を楽しむ。

紅泉はそれに加えて、大根と豚肉の煮物、菜の花のサラダ、胡麻豆腐、野菜と白身魚の天麩羅と、次々に平らげていく。お供は、ほどよく冷やした日本酒。とろりと甘くて、飲みやすい。

紅泉は何度も冗談を飛ばし、わたしを笑わせようとするけれど、本当はお互い、肝心の問題に触れるのを避けている。

デザートの抹茶アイスに取りかかってから、わたしはようやく言った。

「明日は、ミオのお見舞い、あなた一人で行きたい?」

「えーと、どっちでもいいんだけど……ヴァイオレットは、行きたくないのかな」

店の警備システムを用心しての態度。病院では、記録をオフにする措置をとっていたから、何でも話せたけれど。

「ミオが退院する時は、どうするのかしらと思って。ご両親のいる家に帰るのかしら。それとも、わたしたちのホテルに来るの?」

紅泉は眉根を寄せ、真正直に悩んでいる。迷ってくれるだけ、ましなのかもしれない。もしも迷いなく、ミオを引き取ると言われたら、わたしにはどうしようもない。

「わかってるんだ。連れ歩くのは、無理があるって。でも、しばらく大目に見てやってくれない? あの子もいつまでも、あたしにしがみついてるわけじゃない。殺伐たる現実を見たら、家へ帰りたくなるよ」

だといいけれど。

本当は今日、あの子が泣いて、紅泉にさようならを言うかと思った。あんな怖いことが何度も起こるなら、自分は到底ついていけないと。

でも、両親が来合わせたために、そこまでの話にはならなかった。

明日はどうかしら。わたしが紅泉の後ろに張りついているのと、紅泉と二人きりで話をさせるのと、どちらがいい結果になるかしら。

翌日、わたしはナギを連れて司法局ビルに行き、支局長やワン捜査官から、事件の後始末や、ベイカー捜査官の遺族の様子、タケルの回復度合いなどを聞いた。その間、紅泉は一人でミオの病院へ行っている。

距離は遠くないけれど、わたしは病院へは寄らず、まっすぐホテルに帰った。今は、司法局がこのホテルの警備システムに介入しているし、目立たないようにアンドロイド兵も配置しているから、安全度は前より高い。他のホテルへ移っても、どうせ同じこと。

ホテルのオーナーと支配人には、口止め料の代わりとして、〝リリス〟の直筆サインを贈ってある。後日、マニアに売れば高値がつくはず。それとも、家宝にするかしら。

ニュース番組を聞きながら刺繍の続きをしていると、紅泉が帰ってきた。何と、パジャマ姿のミオを自分の上着でくるみ、大事そうに抱き上げて。

頭にボブの黒髪のかつらをかぶっていると、ミオは少女のようだった。わたしは笑顔で出迎えたけれど、心からは笑えない。

「まだ何日かは、病院にいるはずじゃ?」

「うん、そうなんだけど、一人で病室にいるのは辛いって言うんでね」

この、甘ったれ娘。わたしが見ていなかったら、とことん紅泉に甘えるのね。

「医師団の許可は取ってきたよ。薬を飲んで安静にしていれば、退院してもいいって。ご両親には、あたしが責任持って預かると断ってきたから」

わたしには、一言の相談もなく。

紅泉はミオを壊れ物のようにソファに降ろしてから、わたしに言う。

「隣に部屋を借りたから、ミオはそっちで寝るよ。でも、食事は一緒にしようね」

わたしはショックで、すぐには口もきけない。紅泉はこれから毎日、ミオと一緒に寝起きするつもりなのだ。そして、わたしとは、食事の時にしか会わないと。ミオは遠慮がちな顔で(遠慮など、する気はないくせに)、わたしに言う。

「お邪魔して、すみません。でも、サンドラがいいと言ってくれたので……」

この、小娘。

「命の危険は、覚悟の上なのね」

わたしはつい、きつい口調で言ってしまった。ミオだけでなく、紅泉もびっくりしている。紅泉の前で、こんな夜叉のような顔は見せたくなかったのに。

でも、もう止まらない。冷たく宣言するしかない。

「こういうことが、毎月とは言わないけれど、年に数回はあるわ。わたしたちと一緒にいるなら、戦う覚悟が必要よ。少なくとも、軍人並みの訓練が必要ね」

ミオは顔をこわばらせたが、赤い唇を、きっと結んでから言う。

「はい、わかってます。できるだけの努力はします」

黒い瞳で、挑むようにみつめ返してくる。そうなの。わたしに負けないつもりなのね。しぶとい娘だこと。

「そう。それなら、わたしに異存はありません」

紅泉はほっと息をついて、ナギにミオの荷物を運ぶよう命じている。別荘行きの前に持ってきていた荷物が、そのまま紅泉の寝室に置いてあったから。

「足りないものは、あたしにでも、ナギにでも言えばいいからね。毛布持ってくる? ココアでも飲む? 一緒に映画でも見ようか」

あれこれと、優しく世話を焼いている。

紅泉の馬鹿。鈍感。三流プレイボーイ。

これじゃ、わたしはただの意地悪女になるしかないじゃない。いつか本当に、わたしがミオを殺してしまうわよ。少なくとも、ミオの命が危ない時、助けてあげないかも。

***

その晩は、苛々してなかなか眠れなかった。紅泉が、隣に借りたミオの部屋に行っているから。

あの子を抱いて眠っているの。まさか、本当のキスをしたりしないでしょうね。わたしにだって、頬や額にしかしてくれないのに。

でも、それはわたしが要求しないから、ともいえる。ミオはきっと、必死で紅泉にすがりつくだろうから。

泣いて頼まれたら、紅泉はキス以上のことでもするかもしれない。別に減るもんじゃなし、くらいに軽く思って。

あんなに可愛い子なんだもの。いくらその趣味がなくたって、慕われて悪い気はしないはず。

こんなことで悩むのは、贅沢だとわかっている。あの山の中で、片腕片足を失って立っている紅泉を見た時、恐怖で息が止まりそうだった。いま、生きていてくれるだけで、感謝するべきなのだ。

それが英雄なのだと、わかっている。誰にでも優しくて、弱い者を放っておけない。だから、わたしにも優しい。ミオにも優しい。わたしが独占できる存在ではない。

でも。

わたしは英雄じゃないもの。ただの女なんだもの。

夜中になってからノックの音があり、紅泉がわたしの寝室に入ってきた。わたしはベッドで横になっていたけれど、まだ寝入っていなかったので、身を起こす。

「まだ起きてる? ちょっといいかな」

つんけんしたかったけれど、嫌われたくない、という思いが先に立ってしまう。ミオに気を遣い、わたしに気を遣い、紅泉はだいぶ苦労しているはずだから。

「ミオはもう眠ったの?」

と優しい声を出してしまった。我ながら、卑しい。

「うん、ぐっすり。目を覚まして寂しがるといけないので、またあっちへ戻るけど」

まあ、優しいこと。

でも、その優しさがあるから、わたしのこともこうして大事にしてくれる。

紅泉はわたしのベッドに腰を下ろし、暗がりでわたしの髪を撫でてくれた。

「ごめん、こんなことになってしまって」

「いいの、わかってる。あなたは、ミオの王子さまなんですものね」

紅泉は苦笑した。

「どうも、そういうことになってるらしい。早いとこ、本当の王子さまが現れてくれるといいんだけどね」

わたしはぎゅっと、紅泉にしがみついた。

「わたし、心が狭いの。あなたをミオに取られるみたいで、心細いわ」

正直に言うと、紅泉は笑った。

「探春がそんなこと言うの? びっくりするね。あたしこそ、探春がいないと生きていけないの、知ってるでしょ」

まあ。

「あたしのパートナーは、他の誰にも務まらないよ」

そう言いながら、優しく髪を撫でてくれる。

もう、うまいんだから。

でも、わたしはそれで、いい気分になれる。

本当はこのまま、一緒に寝てほしいけれど、我慢する。ミオは、したたかに傷ついたばかりなんですものね。弟まで、道具にされて。

紅泉はしばらくわたしを抱きしめ、額にキスをしてから、ミオの部屋に戻っていった。わたしは再びベッドに潜り、目を閉じる。

誰が来ようと、紅泉にとって、わたしは特別なのよ。あんな小娘には、入り込めない歴史があるのだから。

***

ミオはみるみる、元気になった。若さのおかげと、紅泉が優しく世話をしているせい。タケルの病院の方に詰めているミオのご両親も、時々様子を見にやってきて、あれこれと気を遣う。

「娘が甘えしまって、申し訳ありません。貴重なお休みでしょうに」

わたしたちのことは、事件解決に関係した捜査官と信じたまま。パーシスが捜査情報を知ろうとして、わたしたちを襲い、返り討ちに遭ったと話してある。今回は事件の報道も、被害者保護のため、かなり抑えられているので、そういう体裁を繕うことができたのだ。

ご両親は、ミオが事件のせいで男嫌いになり、強い女性の側にいて安心するもの、と信じている。ミオには学生時代にボーイフレンドがいたので、女同士でそんな関係になっているとは、夢にも思わないのだろう。

あるいは、薄々察していても、ミオが救われるなら、と気づかないふりをしているのかしら。

紅泉は繕った顔をして、

「せっかく友達になりましたので」

とか何とか、苦しい言い訳をしている。この先、いつまで演技が続くか、見物だわ。

ミオが外出できるようになると、疲れないようにと配慮しながらも、紅泉は街歩きやドライブにわたしたちを連れていく。そしてある午後、繁華街でわたしに言った。

「あのさ、ミオに着物を見立ててやってくれない? きっと、赤い振袖が似合うと思うんだ」

ミオは驚いた顔をして、まだ赤いまだらになっている頬を染めた。本人は外出時、メイクで隠したがるけれど、紅泉が、皮膚呼吸を邪魔するものは塗らないようにさせている。

「わたし、小さい頃、お祖母さまに浴衣を着せてもらったことがあるけど、それきりよ。着物なんて、よくわからないわ」

すると、紅泉は気楽に請け合う。

「大丈夫、ヴァイオレットが詳しいから。ミオは黒髪だから、ぜったい似合う」

赤い振袖、ですって。それは確かに、よく似合うでしょうね。それこそ本当に、若い娘でなければ着られない晴れ着だもの。

わたしには、もう無理だった。若い姿をしてはいても、顔に戦いの歴史が刻まれてしまっている。笑ったところで、屈託のない笑顔にはなりようがないのだ。振袖の晴れやかさには、もはや気持ちがそぐわない。

「そうね、それはいい考えだわ。着物は元々、黒髪の女性のためにあるんですもの」

と、わたしはにっこりする。もちろん紅泉は、ミオが笑顔になることなら、何でもしてやろうと思っているのだ。悪気がないだけ、まったくたちが悪い。

わたしたちは繁華街の呉服店に入り、ミオのために、深い赤地に金の短冊と百花の模様の絹地を選んだ。それに合う金糸の帯と、小道具も一式揃える。長襦袢は、白と朱鷺色のぼかし。紅泉が期待の顔で見守っているのだから、最高の品を見立ててやらなくてはならなかった。

それにまた、嫉妬を引っ込めておけば、選ぶ甲斐があるともいえる。ミオは元々美しい娘だし、すらりとした肢体をしているから、背丈の足りないわたしより、はるかに見栄えがする。いずれ髪が伸び、肌が元通りになったら、まさに完璧。

若いということは、まったく、素晴らしいことだわ……気がついた時には失せている宝だから、余計にそう。

「これを着て、どこへ行けばいいの?」

豪華な反物を肩にかけたミオは、ためらいながらも嬉しさを隠せない。

「そうだね。今夜、いい店に食事に行こう。その後、ホテルのバーにでも回って、周囲の男どもに見せびらかす」

店には優秀な縫製システムがあるから、仕立てはすぐだ。紅泉はもちろん、わたしにも一枚、華やかな友禅を買ってくれた。淡い緑の地に、白と紫の菖蒲が優雅に描かれている。赤い振袖の隣では、もちろんだいぶ地味になるけれど。

「いやあ、着物姿の美女を二人も連れて歩いたら、街中の男が悔しがるだろうなあ」

紅泉は呑気なことを言って、あははと笑う。それを、うっとりと見上げるミオ。

「サンドラは着ないの?」

「あたし? ちょっと無理があるな」

「どうして? きっと似合うわ。かっこいいわよ。渋い紬なんかだったら」

わたしだったら、黒の着流し、と言うところだわ。

「ま、そうかもしれないけど、いつでも動ける格好でないとね」

ミオははっとしたようで、急いで言う。

「ごめんなさい。わたし、足手まといなのに。何も考えなくて」

声をひそめたのは、買い物をまとめている店員に聞こえないよう配慮したから。それはよい心掛け。

「ま、あんなことは滅多にないよ。あたしがいるから、安心して着物を楽しんで。探春だって、いつも着てるんだから」

紅泉の馬鹿。わたしの本当の名前を口走ったのに、気づいていない。きっと、ミオの耳にも残ったわ。ミオはうまく、気がつかないふりをしているけれど。

こうやって少しずつ、深みにはまっていくのよ。あれもこれも知られてしまって、いずれ、ミオを家へ帰そうとしても無理、ということになってしまうんだから。

ミオ編9 25章 紅泉

なんだか、自分が悪質な詐欺師になった気がする。女を二人抱えて、どちらに対しても、きみが一番だよ、と言うような。

表面上、ミオと探春は穏やかに共存していた。

あたしも二人に、等分に優しくするように心がけている。衣装を褒め、買い物に付き合い(片方に何か買う時は、必ず他方にも同等のものを買う)、お茶を運んでもらって礼を言い、他愛ない冗談で笑わせる。

つまり、前の二倍の疲労度だ。

いや、あたしの体力からすれば、疲労というほどのものでもないが、常に二人の顔色を気にするというのは神経を使う。

まったく、柄でもない。

外から見れば『両手に花』だろうけど、大変なものだ。昔、イスラム教では妻は四人まで認められていたというけれど(身寄りのない女性の救済措置という意味があったらしい)、四人も公平に愛するなんて、まず不可能ではないだろうか。

こうなると、次の仕事が待ち遠しい。あたしが任務に没頭すれば、探春やミオも自然、助手に徹してくれるだろうし。

と思っていたら、じきにパウル・ミン司法局長から、直々の依頼が来た。いつもは特捜部の本部長か、ハンター管理課の課長から連絡があるのだけれど、それだけ重要な案件らしい。

「すまんが、辺境へ飛んでくれるか」

と下手に出て言う。二十年前は、つやつやした顔の張りきり青年だったが、今では黒髪に白いものが混じり、目の回りに心労を示す皺ができている。ただの若僧だった頃より、今の顔の方が味があって、あたしは好きだけど。

「すまないなんて、思ってないでしょ」

「いや、ははは。まあ、そうだが」

冷徹な印象で君臨していたミギワ・クローデルが引退した後は、温厚なミン局長の時代になった。といっても、有能なことは間違いない。でなければ、彼女の下で特捜部の本部長は務められなかった。

違法都市《ヴァンダル》の公開市場で、最近誘拐された科学者たちが(田舎航路で、調査船ごと拉致されたのだ。だから、大規模な護衛艦隊をつけろと言うのに)、競りにかけられるという情報が入ったという。うまく競り落とすか(認められた予算の範囲内ですめば)、でなければ、競り落とした組織からさらって来てくれ、というのだ。

「しかし、その金額じゃ、精々二人しか買えないよ」

拉致された者たちは、二十名近いのに。

「わかっている。優先順のリストを作った。なるべく上位者を救ってくれ」

命に優劣をつけるなど、被害者の家族たちが聞いたら怒るだろうが、いったん拉致された者が、一部でも救出できるだけで、たいしたことなのだ。一箇所に閉じ込められていればともかく、大抵は、商品価値に応じて、あちこちに振り分けられていくのだから。

「現地の駐在員からの情報だが、誤りだという可能性もある。あとは、きみが現場で判断してくれればいい」

全員の救出など、はなから無理だとお互いわかっている。一人でも二人でも、救えるだけでいいということだ。横に来ている探春に目をやり、頷いてくれたことを確認してから、引き受けた。

「ま、行ってみるけどね」

甘い期待はしないでよ、という含みを持たせたつもり。

それでも司法局としては、あたしたちに依頼するのが一番確実なのだ。こういう仕事は、法でがんじがらめの軍にはできない。情報部には大きな戦力はないし、特殊部隊は細かい細工が苦手ときている。そのくせ、互いに協力するのは下手くそ。

まして、違法都市に潜伏して、細々と情報集めをしている司法局員では、市街戦や艦隊戦の指揮など、シミュレーション以外にはしたこともない。辺境で生まれ育ち、私有艦隊を持ち、違法都市に詳しいハンターでなければ、まずできないことだ。

あたしは別室にいたミオを呼び、仕事の依頼を受けたことを話した。

「すぐに、違法都市へ行くことになる。怖かったら、家に戻って待っていればいい。仕事がすんだら、また迎えに来るから」

ミオはやや顔をこわばらせたが、もはや覚悟はついているようだ。

「一緒に連れていって。役に立てることがあったら、何でもします」

まあ、どうなるものか、一度連れていってみるか。

気が咎めるのは、ミオの両親に本当のことを言えないからだ。気晴らしに旅行に連れていきます、ということにしたけれど、すっかり信用されているのが申し訳ない。父親は端正な紳士(妻にぴったり寄り添っているのでなければ、口説きたいタイプだ)、母親はミオによく似た優しげな美人だけれど、二人は恐縮していて、

「サンドラさんが優しくしてくれるからといって、あまり甘えてはだめですよ」

とミオに言ったりする。あたしがほとんど毎晩、ミオを抱いて寝ていると知ったら(何かするのは、三日に一遍くらいだけれど)、卒倒するかもなあ。あたしが男ならまだ、正常な関係といえるかもしれないけれど。

女同士で深い関係になっても、当事者がそれで満足ならいいが、この場合は違う。あたしはやっぱり、男性と恋愛したいのだ。ミカエルを知った今となっては、他の男性の魅力が、大幅に薄れたことは確かだけれど。

***

あたしたちの私有船が《ベルグラード》を離れ、中央の外れへ向かうにつれ、ミオは不安が増してきたようだった。主要航路をはずれると、もはやすれ違う船もない。パトロール艦すらいない。

「本当に中央を出るのね、すごい」

と手を握りしめている。あたしたちには慣れた往来であるが、ミオには大冒険だろう。まともな市民は一生、無法の辺境などに縁なく過ごすものなのだ。運悪く、違法組織がらみの事件に巻き込まれたりしない限り。

「この船で、違法都市に乗り込むの?」

「ううん、これは民間船として登録してあるからね。途中で、他の船に乗り換えるよ」

しかし、この《エスメラルダ》もまた、うちの一族の工場で仕立てた高速戦闘艦である。軍が知ったら、サンプルとして欲しがるだろう。辺境の技術の方が上だということは、違法艦船を追った軍人ならば知っている。中央での発明・発見はいずれ辺境に流れるが、逆はあまりないからだ。

「他の船もあるの? 映画みたいな戦闘艦隊? 本当に核ミサイルを撃つの? 細菌兵器や反物質なんて、使うことある?」

ミオはあれこれ、大まじめに聞いてくる。やれやれ。

あたしだって別に、好きで核兵器を使うわけではないけれど(探春なら、あなたいつも楽しそうに発射命令を出しているわよ、と言うかも)、宇宙空間での戦闘では、他に敵の防備を破る方法がないのだから仕方ない。

その他、必要ならどんな武器でも使う。たまには誰か、悪党どもを震え上がらせる存在がいた方がいいのだ。

もしかしたら、一度、あたしが冷酷なハンターであることを、ミオに見せつけた方がいいのかもしれない。ミオはまだ、あたしのごく一部しか見ていないから、いい方に誤解しているのだ、たぶん。

あたしはもちろん、『正義の味方』であろうとしている。しかし、誰が正義を決められるのだ。いま、あたしが正しいと信じていることも、百年か千年経てば、

『何という野蛮と独善』

と言われるかもしれないだろう。いや、百年待たずとも、ベイカー捜査官の家族は、あたしを冷酷な殺し屋だと感じているに違いない。

中央のはずれに出ると、呼んでおいた艦隊が待っていた。高速偵察艦、中型戦闘艦、補給艦などの混じった三十隻ばかりの編成である。

辺境のあちこちに伏せてある、無人艦隊の一つだった。これまでに潰した違法組織の何割かを、そのまま残して《ナギ》の管理下で活動させ(むろん、悪質な商売からは撤退させる)、あたしたちの艦隊の補給基地や隠蓑として使っているのだ。

ミオと探春を連れ、荷物と美青年人形を《エスメラルダ》残したまま、そちらの指揮艦に移乗した。

「また戻ってくるし、必要なものは、どの船にも置いてあるからね」

と話しながら、1G居住区に降り立つ。

「お帰りなさいませ」

新たな船で出迎えた黒髪の美青年を見て、ミオはあたしを振り向いた。

「これもナギなの?」

「そう。あたしたちの船はみんな、《ナギ》っていう統合管理システムの制御下にあるんでね」

中年男の姿や、若い女の姿をした人形も多く作ってある。必要に応じて、他組織に潜らせたり、偵察仕事をさせたりするのだ。普段から彼らを全ての違法都市に潜伏させてあり、必要な情報はそこから得られるようになっている。

ミオに船室を一つ与えて、着替えや日用品などをナギに揃えさせた。あたしと探春には、既にそれぞれの部屋がある。

「どう、何か困ることは?」

と部屋に様子を見に行ったら、ミオは整えられたベッドに座って、戸惑う顔をしている。

「何も困らないけど……あの、サンドラたちって、お金持ちなの?」

あたしは笑った。普通の市民の感覚では、遊覧用のクルーザー以上の航宙船は、軍隊や会社組織が持つものなのだ。

「さあ、どうだか。貧乏ではないけど、稼ぎはあらかた、艦隊や装備に注ぎ込んでるからね。一回ドンパチをやると、かなり消耗するし」

船や武器や食料などは、ほとんど実家の所有する工場群から買っているので(保安上、そうでなければ安心できない)、実費で済むからおおいに助かっている。もちろん、ヴェーラお祖母さまは、孫娘からもしっかり金を取る。

金持ちなのは、実家である。三百年以上の歴史を持つ、老舗の違法組織。あたしが好きに暴れ回ってこられたのも、実家の後ろ盾という面が大きい。直接の援助を求めることはそうないけれど、何かの時にはあてにできる。

ミオはじっとあたしを見ている。不思議そうというよりは、悲しそうな顔だ。

「どうしたの?」

「いえ……」

ためらってから、おずおずと言う。

「わたし、もしかしたら、すごい人についてきたんだなあと思って……」

笑ってしまった。

「それはどうも、ありがとう」

するとミオは、むきになる。

「だって〝伝説のハンター〟でしょ。違法組織を、何百、何千と潰してきたんでしょ。辺境中から恐れられているんでしょ」

照れるではないか。

「それはね、半分かた、司法局の誇大広告だよ」

と謙虚に言っておく。

「実際には失敗もあるし、この間みたいに怪我をすることもあるし。本当に無敵だったら、誰も苦労しないよ。たまたま、勝てる相手としか戦ってこなかっただけ」

すると、ボブのかつらのミオは、あたしにしがみついてきた。

「わたし、これから勉強して、サンドラの役に立てるようになるから。どうしたらいいのか、教えて。銃が撃てるようになればいいの? 爆弾や毒薬の種類がわかるようになればいいの? わたし、大学では、農業や牧畜関係の勉強ばかりだったから」

こんなことなら、工学や戦闘方面の勉強をしておくのだったとミオは悔やむ。

「そうだね。まあ、そういうことも、知らないよりは知ってるほうがいいけど」

ミオに危ない真似をさせるつもりはない。探春が、軍人並みの訓練が必要だと言ったのは、脅しに近い。普通人であるミオに、無理をさせることはないのだ。

「ハンターの仕事はあたしと探……ヴァイオレットがするから、ミオはまあ、お茶の支度をしてくれるとか、楽しい話をしてくれるとかして、あたしの憩いの場所になってくれるといいな」

するとミオはまた、真剣な黒い瞳であたしをみつめる。そろそろまずいかな。あたしはつい、探春のことを探春と呼んでしまうのだ。いい加減、本名を教えろと言われるかも。

けれど、ミオは表面的ににっこりした。

「ええ、雑用はします。でも、戦うための勉強もするから、わからない所は教えてね」

うーむ、女の子というのはわからない。本当に、ずっとあたしについてくるつもりなのだろうか。

あたしも昔は女の子だったけれど、どうも、標準的な女の子ではなかったからなあ。

そもそも『誰かについていく』という発想はなかった。自分一人でどんどん勝手に、世界を広げていったものだ。

何しろ、銃とバイクと日本刀が好きだった。チンピラに喧嘩を売って、叩きのめすのが趣味。ミカエルがあたしとの婚約を破棄したのも、探春のことは口実で、あたしの野蛮さに恐れをなしたせいかも……

だとしたら、いっそ本当に、ミオを恋人にしてもいいのかもしれない。相手が男か女か、こだわることが間違いなのかもしれないだろう。

***
 
「あのね、わたし、小さい頃から、何度も嫌な目に遭ってきたの」

薄暗がりの中、ベッドであたしに寄り添って、ミオは色々な打ち明け話をする。

「ちょっと油断すると、すぐ男の子につきまとわれてね」

それは、うらやましいことに聞こえるが。

「一つ一つは、たいしたことじゃないのよ。手を握られたり、肩を抱かれたり、キスされたりとか。でも、男の子って、それをすぐ友達に自慢するのよ。やってやった、みたいにね。それって、わたしを馬鹿にしてるってことでしょ? 人を獲物か品物みたいに思ってるのよ」

いいなあ。なんて華やかな日々。そんなにしばしば、男たちに言い寄られるなんて。

でも、そんなことを言ったらミオが傷つくだろうから、あたしは真面目くさって同意する。

「そうだね。ミオの気持ちを考えないのは、間違いだ」

寝間着にしているスリップドレス一枚のミオは、あたしの腕にしがみつき、安心したように言う。

「サンドラに会えてよかった。もう二度と、あんな連中と付き合わなくていいんだもの」

いやいや、付き合う方が健康だけどなあ。

「モデルをしている時も、よく変な誘いを受けたの。仕事がなくなるのは困るから、我慢して穏やかに断っていたけど、本当に悔しかったわ。愛人になれとか、ポルノみたいな写真を撮らせろとか。ギャラを上積みすれば、何でも言いなりになるなんて、どうして思うのかしらね」

やれやれ。探春もそうだが、なまじ綺麗に生まれると、苦労が多いらしい。家族以外で唯一信頼していたパーシスにも裏切られて、ますます強固な男性不信だ。

といって、あたしが男を弁護したら、ミオは行き場がないだろうし。

「よしよし、あたしの船は男子禁制だから。裸で暮らしても大丈夫だよ」

と慰めた。本当は、あたしも、愛人になれなんて言われてみたいけど。大抵の男は、あたしを怖れて遠回りするからなあ。

「うふふ」

ミオは嬉しそうに、あたしの肩に頭をもたせかける。あたしの腕がミオの胸の谷間にはまりこんでいて、くすぐったいやら、恥ずかしいやら。

つくづく、ミオの立場がうらやましい。船室の防音は完璧だから、あたしの下で好きなだけ声をあげ、のけぞって、満足してぐったりできる。

でも、あたしは中途半端に興奮するだけで、満足どころではない。本当の男だったら、どれだけ楽しいだろうかと思うだけ。

あたしがして欲しいと思うことを、そっくりミオにしているだけだものね。

ま、でも、本当は男もそうなのかもしれない。男の鎧を脱いで、女に甘えたいというのが本音かもしれないのだ。その本音を受け止めてくれる相手に巡り会えれば幸せだろうが、そうでなかったら辛いだろうなあ。

「ミオ、明日は違法都市に上陸するから、あんたは船で留守番しておいで。仕事が片付いたら都市内を見せてあげるけど、不愉快なものにぶつかる覚悟はしておくこと」

「はい、大丈夫です」

ミオは真剣に答えた。映画や資料をあれこれ見たおかげで、違法都市の恐ろしさを、かなり理解するようになっている。

繁華街で、バイオロイドの娼婦が客引きしているだけではない。公園や緑地で、違法ポルノの撮影をしていることもある。五年の生存期限のきたバイオロイドの女たちが、〝兎狩り〟の獲物にされ、やはりバイオロイドの新兵たちに追い回されることもある。実際に生きた獲物を殺すのが、新兵たちの訓練の仕上げでもあるからだ。

その新兵たちも五年後には用済みとなり、培養されたばかりの新兵たちの訓練台にされるという無限地獄。

そういう世界では、本物の人間も殺伐としてくる。逃げるバイオロイドをボウガンの的にしたり、車で轢き殺したりするのが趣味、という人間の男も少なくないのだ。

また、そのくらいの神経でなければ、違法都市で勝ち残れない、ということもある。

安定した大組織の一員になれば、のんびり暮らすこともできるだろうが、そこに届かない中堅以下の組織では、互いに食い合って勢力を広げるしか、やりようがない。

「よし、いい子だ」

ミオの頭を、軽く撫でた。まだつんつんの坊主頭だが(あたしも同様)、皮膚はだいぶ回復してきた。半年もすれば、元通りの美しさを取り戻すだろう。あたしと比較すれば、じれったいほどの回復の遅さだが、治るとわかっているだけで安心だ。

「じゃあ、おやすみ」

ミオの額にキスをして、静かに横になる。ミオはすぐ眠ったが、あたしは闇の中で考えていた。

強く生まれてあらゆる責任を引き受けるのと、弱く生まれて庇護されるのとでは、どちらがいいのだろうか。

もちろん、強い方がいいに決まっている。

弱くて、しかも庇護されない者の悲劇を、いやというほど見てきたのだから。

あたしが救って、従兄弟のシレールに託したバイオロイドたちはいい。あるいは、中央の施設に預けた難民たちも。彼らはちゃんと再教育を受けて、自立できるよう援助してもらえる。

でも、五年で使い捨てられていく、圧倒的多数のバイオロイドたちは。

ミオだって、あたしたちが強引に病院へ連れていかなければ、一人でくよくよ悩むだけで、また次の被害を受けていたかもしれない。

ハンターとして戦い始めて、もう半世紀以上。世の中、少しはいい方に変わっているのだと思いたいけれど。

そっと起き出して、探春の船室を訪ねてみた。寛いだ部屋着姿ではあるけれど、まだ起きている。あたしを見ると、刺繍の道具を下に置いてにっこりした。

「一杯、付き合わない?」

と誘うと、安堵したようだ。

「ええ、いいわね」

あたしたちの部屋にはウィスキーやジン、レモンジュースや炭酸水、リキュール類が置いてある。探春はいそいそ氷とグラスを用意し、即席のカクテルを作ってくれた。まさしく、妻そのもの。

本当は、あたしの私生活には、探春以外、誰も必要ないのかもしれない。ただ、それでは飽き足らない自分が、欲張りという病なのかも。

「明日はよろしく」

と言うと、慣れていることなので、

「ええ、あなたこそ、気をつけて」

とゆったり答えてくれる。《ナギ》が制御するスパイ人形たちの偽装、オークション会場周辺の武装車の配置、予備の戦闘艦の待機位置、全て綿密に打ち合わせ済み。

「ほんと、探春がいるから、今までやってこられたよ。あたしの命綱だな」

と言うと、白い頬にいくらか赤みがさす。アルコールのせいではないだろう。あたしたちは、飲んでもほとんど酔わない。

「ミオが来てから、とみにご機嫌とりがうまくなったわ」

「そうかな。前と同じにしてるつもりだけど」

「あら、やっぱり、ご機嫌とりなのね」

「いや、そうじゃなくて」

でも、探春はくすくす笑う。

「いいのよ、あなたにちやほやしてもらうの、好きだから。どうぞおだててちょうだい」

いい感じだ。

「別に、心にもないお世辞を言ってるわけじゃないよ」

「半分くらいお世辞?」

「百パーセント本気。でも、お世辞が聞きたいなら、いくらでも言ってあげるよ。花より綺麗。蜂蜜より甘い。たまに、蜜蜂みたいに刺す」

「どこがお世辞?」

探春が遊びたがっているのを感じたので、あたしはいきなり細い躰を抱え上げ、ベッドに落とした。そして、上からのしかかって押さえ込み、脇の下をくすぐる。

「ほーら、そっちこそ、あたしにお世辞を言わないと、許してあげないよ」

探春はくすぐったがってきゃあきゃあ騒ぎ、笑い転げた。

「だめ、許して、世界で一番かっこいいわ」

「そりゃ事実で、お世辞じゃないでしょ」

「世界で一番美人」

「うーん、それなら多少はお世辞かも。あたしは精々、三番目か四番目だな。一番はもちろん、この誰かさん」

これは別に追従ではない。探春は子供の頃から、あたしの憧れの美少女だった。もしもあたしがこんな風に、上品に優美に生まれていたらと、羨望のため息をついたものである。

それでも結局、あたしは戦闘的で図太い自分が、自分で気に入っているのだけれど。

「さあ、もっと何か言わないと、足の裏くすぐっちゃうよ」

「やっ、だめ、そこはだめ、助けて」

しばらくそうしてもつれ合ってふざけ、頃合いをみて、上気している探春の額におやすみのキスをする。

「また明日ね。おやすみ」

「おやすみなさい……」

一瞬だけ、探春が何か続けて言いたそうな目をしたが、言わずに目を伏せた。多分、聞いても無駄なことだ。

ミオを家へ帰せと言われても、今は応じられない。探春に、あたしにいたわられる権利があるなら、ミオにもあるではないか。

あたしはミオの部屋に戻り、寝息をたてている娘の隣に、そっと潜った。愛人と正妻の間を行き来している男は、さぞ疲れるだろうな。どちらも大事で、可愛いとしたら。

   ミオ編10に続く

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