恋愛SF小説『レディランサー アグライア編』5
10章 ジュン
カティさんがアレンと共に去った後で、気がついた。アンヌ・マリーは、心の底でわかっていたのではないだろうか。自分が今回は、姉に勝てないことが。
もしかしたら、遠い未来で勝てない予感があったからこそ、子供の頃から突っ張っていたのかもしれない。
それでもアレンと共にここまで来たのは、もはや逃げられないと覚悟していたからだし、アレンを信じてもいたからだろう。アレンがどう判断しても、自分はそれを受け入れるしかないという覚悟。
だとしたら、表面の言動から受ける印象よりも、はるかに女らしくて愛情深い人なのかもしれない……少なくとも、好きな男を引き留めるために手首を切るなんて、あたしには真似できない。彼を姉から引き離すために、辺境に出るなんてことも。
恋愛が人生の中核になるなんて……そんな博打みたいなこと、あたしには考えられない。
でも、そういうことなら、あの三人は結局のところ、うまくいくのではないだろうか。何年後かに妹を起こす時、カティさんはきっと、妹に負けないくらい強くなっている。新しい平衡状態を作れるくらいに。
既にアレンの愛情でだいぶ安定しているし、必要なら、あたしにも手助けができるだろう。あたしの方が、先に失敗していなければ。
《アグライア》では、メリッサが昇格して、名実共に首席秘書になった。まあ、それが順当だろう。
「ジュンさま、本日の予定はこれでいいか、ご確認を」
メリッサは毎日張り切って、スタイリストのナディーンと一緒にあたしの衣装を選んだり、あたしの予定を組んだり、新人職員の研修を受け持ったり、各部署とまめに連絡を取り合ったりしている。
メリッサにとって、あたしの秘書という業務は、やりがいのある大仕事らしいのだ。メリュジーヌの元では何人も先任者がいて、監督される立場だったので、ここに回されたことは〝栄転〟という意味になるらしい。
彼女が誇りを持って働いてくれるなら、あたしも嬉しい。そういう部下が増えていけば、あたしの地位もそれなりに安定するだろう。
あたしは毎日、ユージンに教えを受けながら、実地で都市経営を学んでいた。まず、《アグライア》に拠点を持つ、有力組織の幹部たちとの会合。メリッサのお膳立てで、派手なパーティもこなした。個別の会食もした。
彼らはまだ、あたしとどう付き合ったらいいのかわからず、手探りしている様子――最高幹部会がどのくらい本気であたしの後ろ盾になっているのか、計りかねている。
そんなこと、あたしにだってわからない。付き合っていくうちに、少しずつお互いが見えてくるだろう。
それから、彼らの組織運営の調査研究。強みはどこか、弱みはどこか。独立しようとしている幹部はいないか。合併や乗っ取りの動きはないか。それによって、こちらの対応も変わってくる。
そして、あたしの所属する《キュクロプス》の直営事業の実態調査。歴史の長い大組織であるから、《キュクロプス》は各星区に幾つもの都市や研究所や工場群を置き、商業ビルやオフィスビル、大規模な輸送船団や護衛艦隊を稼働させている。
それぞれに責任者がいるので、頼み込んでネット経由で見学させてもらったり、話を聞いたりする。近場では、実際に足を運んでみたり。無駄足の場合もあるが、うろうろしているうちに、少しは実務というものが見えてくる。
それに加えて大事なのは、徒歩で街を歩いて人々を眺めたり、他組織の店で買い物したり、食事したり(六大組織の直営店なら、飲み食いしても危険はないとわかってきた)、そこに来ている人々と話したり、バーで噂話を拾い集めたり、という実体験だった。
あたしにはまだ、辺境の違法都市というものが、本当にはわかっていない。幾度も驚き、立ち尽くすことがあった。
見た目は市民社会の小惑星都市そっくりだけれど、底流にある思想が違う。道ですれ違うのも、車を停めるのも、レストランを利用するのも、おのずと地位が高い方が優先される。
どちらが格上の組織に属しているか。また、そこでどのような地位にあるか。
むろん、素顔や地位を宣伝して歩くわけではないが、連れの人数や護衛兵の装備などで、かなり見分けがつくものらしい。慣れない者が不相応な振る舞いをすれば、痛い目に遭って思い知らされる。
何より街には、老人は一人もいなかった。護衛兵を連れて歩いているのは、壮年の男女ばかり。あるいは、中央から出てきたばかりで、おっかなびっくり、きょときょと、うろうろしている若者たち。
みな整形したり、不老処置を受けたりしているから、美男美女がほとんどだ。ただ、美的感覚の違いがあるので、全員が同じタイプの顔にはなっていない。インパクトを重視しているのか、あえてファニーフェイスを選んでいる者もいる。
たまに子供がいるのは、人間の主人に従うバイオロイドの侍女や小姓たちだ。彼らは工場で培養され、最低限の教育だけを施され、五年以内に使い捨てにされる。
それだけは、放置しておいていいことではない。絶対に、何とかしてやる。できないはずはない、と思う。
アレンもユージンも、自分たちの組織では、バイオロイドを殺していないと話してくれた。長く生かして勉強を続けさせ、資質に応じて責任のある地位に就け、週に一度は休日も与えていると。
それで何も、困っていないという。ただ、それは最高幹部会の指針に反することだから、公にはしていないというだけ。過去に起きた大規模なバイオロイドの反乱のおかげで、最高幹部会はすっかり用心深くなっているらしい。
でも、それはバイオロイドの高い潜在能力を示すものだ……改変された遺伝子から注意深く培養される彼らは、本当は、元になった人間よりも優秀なのだから!!
彼らに反乱を起こされたのは、人間たちが、あまりにも冷酷な扱いをしていたからだ。正当に扱うのなら(給与、休日、思想と行動の自由!!)、彼らが命がけの反乱を起こす必要はない。
「正当に扱うのなら、バイオロイドを使う利点はなくなるな」
とユージンは言うけれど、そうなったら、世界からバイオロイドという商品がなくなるだけだ。新たな製造はせず、既に誕生した者は自由の身にする。それでいいではないか。
他組織にも少しずつ、『バイオロイドの人権尊重』を広めることはできるはずだ。辺境に法はないはずなのに、『五年で処分』という不文律だけ横並びで守っているなんて、おかしい。長く生かして活躍させる方が、経済的にもよほど有益なはず。
ただ、新しい常識を広めるには、あたし自身の足元が定まっていないといけない。あたしがまず、誰からも認められる(つまり、恐れられる)立派な総督になることだろう。
それには、この《アグライア》が住みよい都市と認められ、多くの人間を吸い寄せることが絶対条件だ。辺境の住民だけでなく、市民社会からの〝観光客〟も招きたい。彼らが違法都市を見物して回り、無事に市民社会に戻ることができれば、その話が周囲に伝わり、
(自分も行ってみようか)
と思う、正の循環が始まるはずだ。
とりあえず、中央の学者やジャーナリストたちには、案内状を送ることにした。違法アクセスだけれど、その手法はギデオンが教えてくれた。個人の船で、どのあたりまで来てくれれば、こちらの艦船が、軍に邪魔されず出迎えられるかも。
もちろん、すぐに行きますという反応はなかったけれど、興味があるという応答はぽつぽつあったので、気長に待とう。
軍も司法局も、その試みをよく思ってはいないだろうが、こちらはもう〝法の外〟に出てしまった。だから、市民社会の正論がいかに吠えようと、気にしなければそれで済む。
まあ、連日のように、
「ジュン・ヤザキは〝連合〟に洗脳された」
「不老処置に誘惑されて、悪の世界に転落した」
「最高幹部会の操り人形になっている」
などと報道されては、親父は胃に穴が開く思いだろうけど。
個人的な通話はしていない。口先で何と言っても、親父を安心させることはできないだろう。ただ、あたしのやることを、遠くから見ていてくれればいい。一般の市民たちにも、いずれ伝わるはずだ。あたしが本気で、辺境の改革に乗り出しているのだと。
***
あたしは都市の業務を端から調べ、現場を点検して回っていた。物資の生産現場。流通システム。リサイクル施設。気候・植生管理。道路や公園、川や湖水の管理。
何か不合理な点はないか。改革できる部分はないか。また、働く者たちには、どんな不満があるのか。問題のある職員がいて、周囲を困らせていないか。
都市運営に関わる職員はおよそ千名いて、人間が六割、バイオロイドが四割だった。上級の管理職は人間が占め、それぞれがバイオロイドの部下を使っている。
バイオロイドを五年で処分していないと知って、まずほっとした。ギデオンの説明では、
「事務職や警備職として使っているだけなので、心身の消耗は少ないのです。長い者では三十年以上、生きています。総督が心配なさる方面では、個人的な関係はあるかもしれませんが、組織的な強要はありません」
ということだ。実際にバイオロイドの職員たちと面会して、それを確かめた。人間ほどの自由度は認められていないが(自由な外出とか、他組織への移籍とか)、ちゃんと個室や休日があり、まあまあの待遇になっている。長く働いた経験があることで、それなりの判断力もあるようだ。
おおむね、今の境遇で満足しているらしい。もっとも、もっと出世したいとか、市民社会へ逃げたいとか、深い本音まで聞き出すことはできなかったけれど。
下手にそんな考えを引き出したら、あたしより上からの命令で、処刑されてしまうかもしれないもの。
「五年で処分というのが、辺境の常識なのかと思っていたけど」
とギデオンに聞いてみた。
「それは娼館などで、性的奴隷として使う場合です。中小組織では、事務職を性的に搾取したりもするので、長く生かすことは、やはりできていないようですね。うちのような大組織では、だいたい規律を保っていますから、バイオロイドが早く損耗することは少ないのです」
そうだったのか。職種とか、組織の大きさによるんだ。
「もちろん、バイオロイドを長く使うことは、外部には宣伝などしていませんよ。冷酷なイメージが損なわれるのは、困りますから」
冷酷なイメージだって。
「イメージ操作のために、わざと……五年で殺すって外部には思わせてるの!?」
ギデオンは肩をすくめてみせた。
「せっかく経験を積ませたバイオロイドを、五年しか使わないのは経済的ではありません。市民社会では、辺境を混沌とした魔境として想像しているようですがね。大きな組織になれば、それなりの秩序が保たれているものですよ。でなければ、たちまち崩壊して分裂するでしょう」
混沌として、危険度が高いのは、中小組織だけなのか。
少し、気が抜けた。
まあ、あたしには、あたしの見える範囲のことしかわからない。いずれそのうち、全体が見えてくるかもしれない。長くこの世界で生きられれば。
あたしはまた、新しい収益源になる事業は起こせないか、ということも考えた。たとえば、違法都市には遊園地がない。市民社会には、必ずあるのに。遊ぶ子供がいないから、採算がとれないのか。大人だって、遊園地は楽しめるだろうに。
そもそも、立派な広場や公園があっても、利用者があまりいない。狙撃や誘拐、盗撮などを心配するからだという。それは、大勢が安心して過ごせる公共空間がないということだ。
他の都市ならともかく、この《アグライア》ならば、狙撃や毒殺や誘拐や爆弾騒ぎを警戒せず、街歩きを楽しめる、という風にできないものか。
それともそんなことは、組織同士の抗争が当たり前の世界では、不可能なのか。
繁華街の店も、片端から見て回った。上品な店も、いかがわしい店も。総督であると知られてはまずい場合は、変装した。時には、ユージンの侍女のふりをしたりして。
ストリップを見せるバーも、ポルノショップも視察した。人間の快楽のために考案された、驚くような商品を見て、メリッサと顔を見合わせることもあった。
「わたしもさすがに、こういう店は利用したことがありませんでした」
とメリッサは言い、あたし以上に貪欲に、商品を調べていた。幾つか欲しそうな様子だったから、後で取り寄せたかもしれない。あたしとしては……人間の貪欲さに、いささか食傷したかも。
しかし、生きているかのような人形群に、感嘆したのは確かだ。子供タイプから、美女タイプ、美青年、美中年まで、豊富に揃っている。こういう人形があるのなら、バイオロイドの代用になるではないか。
生きたバイオロイドに、苦痛を強いる必要はないのだ。心のない人形なら、殴ろうが蹴ろうが首を絞めようが、好きにすればいい。
あたしはそこで働く者たちに、あれこれ質問した。どんな客が来るのか。トラブルはないのか。どんな商品が売れているのか。
彼らは最初、どこまで正直に答えていいのか、ためらっていたようだけれど。あたしが訪問を繰り返せば、いずれ口はなめらかになるだろう。
自分の足場となるセンタービルの中も、くまなく回った。他組織のオフィスビルも、可能な限り見学させてもらった。もちろん、ど素人なので、とんちんかんな質問をしたり、担当者に苦笑されたり、反発されたりするけれど、しつこく勉強していけば、少しはわかるようになるはず。
オフィスで報告書を読むだけより(そのつもりになったら、発狂しそうな情報量に埋もれることになる)、じかに現場で話を聞いた方が、理解が早い。
その合間に、他組織の幹部たちと会って(あたしとの面会を希望する人物は、常に数百人いる。これから先、どこまで増えるかわからない)、お茶をしたり、食事をしたり。
こちらもまた、その人物に関する調書を読むだけより、短い時間でも同席する方が、はるかに〝人となり〟がわかる。あたしを懐柔しようとする者、頭から馬鹿にしている者、真剣な興味を持ってくれる者、さまざまだ。
中には本気で、
「辺境が、このままでいいはずがない。改革は必要だ」
と言ってくれる人物もいる。本気かどうかは、表情や態度、些細な事柄への対応でわかる。あるいは、わかると思えた。そこまで完璧に演技することなど、普通の人間にはとてもできない。超一流の俳優とか、超越体だったら、また別かもしれないけれど。
「ジュンさま、たまには丸一日、お休みになったら」
とメリッサに言われても、ごろごろしているより、飛び回る方が気持ちが楽だった。朝、目を覚ました時から、頭の中に色々な考えが渦巻いている。あれを確認しないと。これを調べないと。躰が幾つあっても足りない。時間も足りない。
「あのな、きみが細部を全て把握する必要はないんだ。現場を把握している管理職が、各部門にいればいいんだよ。きみは、彼らとお茶でもすればいい」
ユージンからはそう忠告されたけれど、あたしにはまだ世間智がないから、あれもこれも全部自分で確かめないと、気が済まない。こうやっていれば、いずれ、どこを他人に任せていいか、どこを自分で確認しなければならないか、その匙加減が体得できると思うから。
幸い、一日も早く市民権を取るためにガリ勉した記憶と、《エオス》でしごかれた記憶が染みついているので、学ぶこと、働くことは苦にならない。
朝早く起きて、軽い運動もしている。考えすぎて頭が疲れた時は、躰を動かすとすっきりするのだ。さすがに、本格的な空手の稽古をする余力はないけれど、いつでも自在に動く肉体を維持できていると思う。
毎晩、ぐったり疲れてベッドに入ると、
(みんなが到着するまで、あと何日)
と指折り数えた。その希望があるから、今の激務に耐えられる。
エディが来てくれたら、メリッサと並ぶ秘書になってくれるだろう。あたしの気が回らない部分にも注意してくれ、正しい忠告をしてくれるに違いない。
ルークは技術部門を掌握してくれるだろうし、ジェイクは情報分析や他組織との折衝を引き受けてくれるだろう。エイジは警備部門の責任者になってくれるはず。適材適所の、素晴らしい陣容だ。
そうしたら、あたしも少しは気を抜いて大丈夫だ。世間からは、
『忠臣に囲まれたお姫さまだな』
と笑われるかもしれないけれど。
何とでも言えばいい。あたしには、信頼できる側近が必要だ。ユージンはいずれ自分の組織に戻るか、他の任務でどこかへ行ってしまうかだろうし、メリッサの本当の主人はメリュジーヌだもの。
もちろん、だからといって、いつまでもジェイクたちに甘えられない。何年かしたら、彼らは市民社会に帰らなくては。そして結婚して、子供を育てて、普通の幸せを掴んでくれなくては。
だけど、数年でいい。あたしがもっと実力をつけるまで、側にいて支えてもらいたい。それは結局、世界全体のためなんだもの。
***
ユージンとは毎日、色々なことを話した。というより、あたしが一方的に教わった。辺境の歴史。各組織が経験した、有名な事件や抗争。惑星連邦政府との攻防。生命科学や物理学の、最新の研究内容。どこの組織が、どんな計画で動いているか。
あたしって、本当に何も知らない。これまで、自分は同い年の若者より勉強家で、知識も経験も豊富だと思っていたけれど、とんでもない自惚れだった。あたしはユージンの百分の一も、ものを知らない。
それに、雑多な知識をどう統合して理解するか、その根幹の世界観みたいなものが、まだ出来ていない。だから、新しい知識を取り入れるたび、世界の見え方が揺らぎ、足場がぐらついてしまう。
「最高幹部会が中小組織を系列化して支配してきたのは、辺境の混沌を少しでも整理するためだ。好き勝手をやらかす小悪党どもを縛るには、より大きな恐怖しかない。最高幹部会に逆らえば、潰される。その恐怖を、長年かけて浸透させてきたんだ」
夕食後、ユージンは水割りのグラスを持ち、あたしはココアのカップを持って、あたしの居間のソファで話をする。というか、ユージンの講義を受ける。
メリッサは、データの整理をしながら近くで聞いていることもあるし、早く引き上げてしまって、いないこともある。彼女にも私生活の時間は必要だから、それは構わない。本人は、デートする相手などいないと言っているけれど。友達とおしゃべりするとか、映画を見るとか、好きに過ごしてくれればいい。
「秩序を作るのはつまり、自分たちの利益のためでしょ? 小悪党を手先にして、彼らを働かせるため」
あたしは頭の中を整理しながら、言葉に出してユージンに確認を取る。
「そうだ。上納金を課すことによって、下っ端を制御できる。望ましい組織には、少ない上納金しか要求しない」
「ああ、そうなんだ。絞り取れるだけ、取ってるわけじゃないのか」
「それぞれの組織に必要な資金は、残しておかないとな」
すると、あたしに課されている上納金――都市経営から上がる利益の一部――は少ない方?
「そもそもは何のための組織かというと、科学的な研究のためだ。不老不死。人工の超生命。より強力な武器。無敵の艦隊。バイオロイドの製造も、その一環だ。性的な奉仕をさせるのは派生的な用途で、元々の目的は、人体実験の素材にすることだった。その蓄積のおかげで、きみの母上のような実験体が生まれたわけだ」
派生的とは、恐れ入った。そのおまけの用途で、辺境の各組織は途方もない利益を上げているはず。それに、どこの組織も、末端の労働の大半はバイオロイドがこなしている。
「あたしの母は、自由を得るために戦ったよ。辺境でも、市民社会でも」
ここではメリュジーヌ以外、誰にも言わないけれど、母の姉妹であるアイリスは、今もどこかで戦っている。生存のための戦いを。
いつかアイリス一族が、〝連合〟を滅ぼす可能性だってある。それもまた、恐ろしい未来のような気がするけれど。人類は、彼らと融合することでしか、生き残れなくなるかもしれない。
「その姿を見ていたから、きみは幼い頃から戦う覚悟ができていたわけだ。おかげでこうして、最高幹部会に抜擢された。〝リリス〟に対抗する看板として」
「だから、そんなの無理だって!!」
このあたしが、伝説の英雄と張り合うなんて。今、もしもこの場に〝リリス〟が現れたら、あたしは飛び上がって尻尾を振り、すり寄って握手をねだってしまうだろう。
それとも〝リリス〟は、あたしを退治するべき悪とみなすだろうか?
それは困る。殺されたくなんか、ない。
でも、必死に弁解しても、わかってもらえなかったら? その時は、〝リリス〟と戦うことになってしまうの? 正義の味方って、そんなに偏狭だろうか? だって、自分たちだって〝違法〟強化体なんでしょう?
「しかし、きみはもう歩き始めた。進むしかないだろう」
とユージン。彼の話はわかりやすかった。おかげであたしも、だいぶ賢くなった……ような気がする。
「ユージン、あんたも不老不死が欲しい?」
彼は平静なまま、薄い水割りをちびちび味わっている。
「少なくとも、任務をこなし続けるには、若さを保つ必要がある。遠い未来はわからないが、数百年は延命を続けるだろうな」
永遠に生きる。つまり、永遠に働く。途方もないことだ。
「辺境では、引退って、ないのか……」
「若い肉体で引退したら、退屈するだけだろう」
今のあたしは、退屈な暮らしに、ちょっぴり憧れてしまうけどな。
「ずうっと若いってことは、ずうっと働くってことか。何百年でも、何千年でも……もしかしたら、何億年も」
あたしだって長生きはしたいけど、そこまでの未来は想像がつかない。そんなに長く生きていたら、きっと、今の自分とはかけ離れたものになってしまうのだろうし。
それとも、少しずつ変化していったら、何ともないのかな。あたしがいつの間にか、小さな子供ではなくなっていたように。そして、そのことを特別残念だとは感じていないように。
「少なくとも、わたしは、仕事がないと困る。芸術家なら芸術のためだけに生きられるだろうし、学者なら研究だけで満足だろうが、わたしは凡人だからね。何らかの職務がないと」
それはそうだ。ただ、ユージンにしろ他の代理人にしろ、最高幹部会の飼い犬で満足なのかどうか。
彼に接しているあたしには、わかる。ユージンはなまじの市民より、よほど真剣にものを考えている。そして、大きな責任を自覚している。
だから類推して、最高幹部会の他の代理人たちも、人類社会の中の真のエリートなのではないかと想像している。戦いを他人に任せて思考停止している〝善良な〟市民たちより、あたしには頼もしく思えるくらいだ。
こう感じること自体、あたしが洗脳され、邪悪に染まっていることなのかもしれないけれど。
自分では、まだ正常なつもりでいる。多少、知識が増えただけで、元のジュン・ヤザキと何の変わりもないと。いずれエディたちが来てくれたら、彼らが判定を下してくれるはずだ。あたしが、悪しき変質をしているかどうか。
「でも、もう一応の不老処置は完成しているんでしょ? まだ人体実験が必要なの?」
ユージンは手の中でグラスを揺らし、中の液体をみつめているようだ。
「数百年の延命なら、現在の技術で確実にできる。だが、その先はまだわからない。数千年、数万年を考えるのなら、生身の肉体に依存するのは無理だろう」
「それで、超越化?」
人間の精神を、有機的な肉体の束縛から解放すること。
精神が機械的システムに宿ることになったら、そして無限に拡大できることになったら、どんな変化が起こるのか、まだ誰にもわからない。神になるのか悪魔になるのか、それとも発狂して自滅するのか。
最高幹部会の陰には謎の超越体がいて、〝それ〟が世界を裏から支配しているという話もあるけれど、単なる与太話なのか、何かの裏付けがあるのか、それもあたしには知りえない。
ユージンやメリュジーヌに尋ねても、わからない、出会ったことがないと言われるだけだ。あたしよりずっと、真実に近い場所にいるはずなのに。
それでもユージンはゆったり椅子にもたれ、あたしの相手をしてくれている。彼と一緒にいて落ち着くのは、バシムやジェイクたちと同じように、あたしの教師役に徹してくれているからだろう。
メリュジーヌには、あたしに必要なものがわかっていたのだ。彼女はもうこの都市にはいないが、通話を申し込めば、手の空いた時に相手をしてくれる。何だかすっかり、親戚の伯母さんみたいな感じだ。かなり怖い伯母さんだけど。
「他にもまだ、解答があるかもしれない。それを探るために、研究が必要だ。そもそも考えたり、研究したりすることは、人類の本能だろう」
「まあね」
あたしはまだお酒が飲めないけれど、男の人が寛いでお酒を飲んでいる姿は好きだ。親父もよく、バシムやジェイクたちと飲みながら談笑していた。あたしは近くにいて、親父の気配を感じながら本を読んだり、お茶を飲んだりして、安堵していた。
ユージンには、親父と似た部分がある。穏やかで理知的。あたしが幼稚な質問をしても、怒ったり、馬鹿にしたりはしない。精々、皮肉を言われるくらい。あたしが期待はずれの生徒だったら、いずれ見捨てられるだろうけれど。
「人間はここまで進化したんだから、このままでも、結構幸せに暮らしていけると思うけど?」
空は飛べないけれど、地上を走れる。海でも泳げる。機械の力を借りれば、宇宙も飛べる。
「それは、きみがまだ十七歳だからだ。五十歳になったら、嫌でも考えるだろう。このまま老いていくのは惨めで困る、何か方法はないものかと」
あたしが五十歳になるのは、まだだいぶ先のことだ。だから、その時の気持ちはわからない。
「不老を追求したら、その先はたぶん、人間であり続けるのかどうか、選択することになるだろう」
「ユージンて、五十歳過ぎてるの? それとも、二百歳くらい?」
「好きに想像してくれ」
あっそう。
自分の身元につながるようなヒントは、いつ尋ねても言わないな。話したくないんだろうと思って、追求はしていないけど。故郷に大事な人がいるのなら、巻き添えにしたくないのは当然だから。
「とにかく、組織は優れた人材を必要としている。まだまだ、科学技術を育てなくてはならない。そして、人集めのためには信用が必要だ」
「使い捨てられると思ったら、誰も違法組織に入らないもんね」
自惚れの強い、お馬鹿でない限り。
「そこで、きみだ。無法という大原則は譲れないが、少しくらいなら、辺境に正義の明かりを灯してもいいと、最高幹部会は考えた。きみがここにいて、この都市の信用が高まれば、誘蛾灯の働きをする」
つい、苦笑してしまう。
「あたしはやっぱり、人寄せパンダか」
「それは、きみに華があるからだ。強気な態度もいい。やはり、スターは華麗な美女でないと」
ひえっ。
顔が熱くなってしまった。それは、ユージンがあたしを美女の仲間に分類しているという意味か。
確かに最近は、メリッサとナディーンが二人がかりであたしを磨き立てているので、華麗なドレススーツやジュエリーも、段々と馴染んできた気はするけれど。
いやいや、ユージンは一般論で言っただけかも。下手に自惚れたら、笑い者だ。エディはいつも、あたしを綺麗だとか可愛いとか褒めてくれるけれど、あいつの採点は大甘だから。
「あのう、念のために確認したいんだけど……」
地雷原に踏み出す気分で、あたしは尋ねた。
「今の発言、あたしが華麗な美女……と言ったように聞こえたんだけど……?」
ユージンは、ご機嫌取りのお世辞を言う男ではない。ただ、何か目的があれば、あえて人をおだて、木に登らせるかもしれない。やはり、平静な態度で返された。
「ファンクラブに何百万という人間を集めている者は、魅力的に決まっている。きみは元々美人顔だし、最近は美人の振る舞いも板についてきた。色気は大幅に足りないが、そこが良さでもある。少々甘めの採点だが、まあ、美女になりつつあると言ってもいいだろう」
へええ。ううむ。
「甘めの採点、なんだ」
「厳しく採点するなら、まだ振る舞いに隙がある。人前で顔をしかめたり、大あくびをしたり、感情任せの罵り言葉を吐いたりするのは、まだ子供の部分だ。美女のイメージを傷つける。総督の威厳も傷つく」
むむ、それには反論できない。
「わかった。気をつける」
と約束した。
それにしても、美人の振る舞いかあ。
それは、メリッサやナディーンに注意されている。椅子に座ったら足を揃えて流せとか、写真撮影の時は斜めのポーズとか、人前でぼりぼり頭をかくなとか、背筋を伸ばせ、顎を引け、常に見られているものと思えとか。そして、衣装に合わせた香水をシュッと吹きかけられる。
しかし、色気が足りないというのは……ううむ。そんなもの、振りまいている暇はない。そもそも、必死で仕事をしている女が、色っぽくしていられるものか?
メリュジーヌは色っぽいかもしれないけど、それよりは怖さの方が強いぞ。あの人は美女というより、妖女だから。
「その向上心が、きみの強みだ。今のきみはもちろん、大人の女性ではない。将来の完成形を目指して、階段を昇っているところだ。昇る意志を持ち続ければ、かなりの高みに到達できるだろう」
何か、強く背中を押された気がする。霧の彼方の高みから、光が射したような気分。
「将来の完成形って、どんな?」
「それは、誰にもわからない。きみ自身が試行錯誤して、作り上げていくものだからだ」
まあ、そうか。
「〝リリス〟も、伝説のクローデル局長も、リュクスやメリュジーヌも、世界に知られた豪傑の女たちは、それぞれスタイルというものを持っているだろう」
「スタイル……」
「行動の様式と言えばいいか。その人物の生活、あるいは生涯を貫く何かだ。〝リリス〟はきみの憧れらしいが、その名を聞いた時に、何か心に浮かぶイメージがあるだろう」
「うん。強くてかっこいい。逃げない。誇り高い。弱い者に優しい」
遠い目標ではあった。到底、そういう風にはなれないとわかっていても。
だって、気に入った男がいたら、自分から口説いて押し倒すなんて……うわあ。できない。あたしには無理。やってみたい……かもしれないけど。
エディだったら、どんな反応をするだろう? おたついて、でも結局、あたしに押し切られるか。ジェイクだったら? 笑われて、突き放されるな。叱られるかも。どうせ。
「きみがこのまま成長していけば、いつか人がきみの名を聞いた時、そうやって心に浮かべるイメージができる。どんな自分になりたいか、それを考えて成長していくんだな」
でも、あたしの理想って? あたしは、どんなあたしになりたいか?
よくわからない。
エディなら、リナ・クレール艦長を理想にしているだろう。軍を改革しようとして、暗殺された人。あたし、殺されるくらいなら、じたばた逃げ回ると思うけどな。
とりあえずは、美人になれるという保証がもらえて一安心、というところ。ユージンの保証には、エディの保証よりはるかに価値がある。
自分を美人だと思えれば、美人として振る舞うことに自信が持てる。猿芝居じゃないかと自分で疑っていたら、どうしても卑屈になってしまう。
もし、美人として振る舞っていいなら、色々なことが違ってくるだろう。《エオス》では、意識して『男の子のふり』をしてきたけれど、それは、いつまでも続けられる芝居ではない。そろそろ、次の段階に進まなくてはならないことは確かだ。
その舞台が辺境の違法都市になるなんて、夢にも思わなかったけれど。
ユージンが言うには、今はあたしにとって、活躍しやすい条件が整っているというのだ。
「時期もちょうどいい。〝リリス〟が半世紀かけて、地ならしをしてきた後だ」
「地ならしって?」
「連邦市民に、違法強化体が必ずしも邪悪な存在ではないと、わからせただろう。それは、辺境への敷居を下げたということでもある。人体改造も悪くはないと、宣伝したことになるわけだ」
辺境への脱出者の増加か。
「あたしは〝リリス〟に憧れて、軍や司法局への志願者が増えただけかと思ってた」
「これからはきみに憧れて、ここに来る若者が増えるだろう。また、そうならなければ困る」
ひええ。
人に憧れられると思うと、足がすくむ。あたしなんて、そんなたいしたもんじゃないのに。実物に接してがっかり、なんてことになられたら、辛いなあ。といって、人を落胆させないために頑張るのは、いかにも大変そう。
「あ、ちょっと待って」
何か、もやもやが塊になりかけている。前からわだかまっていた疑問。
「そうすると〝リリス〟の存在は、最高幹部会にとって、悪いことばかりじゃないのかな……?」
これまで最高幹部会は、〝リリス〟を最大の邪魔者としてきた……というのが、世間の共通認識だ。でも、賞金首にされたあたしが、こうして〝連合〟に迎えられたわけだから。できるものなら彼らは、〝リリス〟だって迎えたいのかも。
「もちろんだ。最高幹部会は、陰で〝リリス〟を応援してきたともいえる」
「応援!? 何それ」
でも、ユージンの言うことだ。きっと、核心に迫っているぞ。
「宣伝はしなかったが、正しい判断のできる者には通じていただろう。最高幹部会は、〝リリス〟が潰すと決めた組織は一切助けなかった。〝リリス〟に対する直接攻撃もしなかった」
え、え?
そうだっけ? そうだった?
あたし、表面的な報道しか見ていなかったからな。分析なんて、しようともしなかった。憧れの存在なのに。
「そうしながら、〝リリス〟の首にかけた賞金額を吊り上げてきた。つまり〝リリス〟が無敵の英雄であり、市民社会の守り手であることを、最高幹部会が演出してきたようなものだ」
で も。それではまるで、最高幹部会が〝リリス〟を育ててきたようなものではないか。
いや、そうか、そうなんだ。
やっとわかった。〝リリス〟がどう思おうと、結果的にはその通り。彼女たちは、まんまと利用されたということだ。正義の象徴。市民たちの心の拠り所。正義は悪に勝つという希望。
偽りの希望、なのか。市民たちが、明日を信じて生きていけるように。そして、その最高幹部会が、今度はあたしを育てようとしている?
それはつまり、あたしのやろうとしている改革を、ある程度までは容認するということだ。それが、六大組織による支配体制を、根底から覆すものでない限り。
では、もしかしたら、彼らを油断させているうちに、本当に体制にひびを入れられるかもしれない。あたしがもし、巧く立ち回ることができたら。〝リリス〟に共闘を呼び掛けることができたら。
あたしの物騒な考えを、ユージンはどこまで読んでいるだろうか。そして、いざという時には、向こうに付くだろうか、あたしの側に来てくれるだろうか。
とにかくそれまでは、この男から学べるだけのことを学んでおかないと。
「ごめんね、毎日、あたしに付ききりにさせて。あなたの組織の方、大丈夫なの?」
彼が自室に引き上げるのを見送りながら、心配するふりをしたら、素っ気ない返事。
「問題ない。わたしが留守でも機能するよう、ちゃんと構築してある」
その返答は、わかっていた。甘い期待かもしれないけれど、彼は本当は、照れ屋なのではないだろうか。あるいは、あたしと親しくなることを恐れているのかも。
もしも先にいって、メリュジーヌにあたしを洗脳しろとか、殺せとか言われたら、自分が辛いから。
『アグライア編6』に続く
『レディランサー』は『アイリス編』から『ドナ編』『ユーレリア編』『チェリー編』『ティエン編』『帰郷編』と続いています。
姉妹編には『ミッドナイト・ブルー』と『ブルー・ギャラクシー』のシリーズがあります。先で『レディランサー』に合流します。