源氏物語より~『紫の姫の物語』1章-2
1章-2 紫の姫
「あ、これ可愛い」
古着や古布の細工物を売る店で、端切れで作った小袋を見つけた。紐できゅっと口を絞るようになっていて、貝殻や数珠玉を入れるのにちょうどいい。
「まあ、そんな古物。新しいのを、幾つでも作らせますのに」
と少納言は渋い顔をするけれど、この方が気楽だわ。緋色か紫色かで悩んでいたら、
「両方買えば」
と、お兄さまが微笑んでくれたので、よかった。どちらを買っても、もう片方に未練が残りそうだもの。
植木や草花を売る店では、山から掘り出してきた山吹の株を見つけた。目の覚めるような黄色い花を、たくさん咲かせている。これは、わたくしの大好きな花。二条院の庭にも植えられているけれど、もう一株あってもいいわね。
それに、育ちかけの山百合。夏になったら、香り高い、力強い花を咲かせてくれるはず。子供の頃、お祖母さまが静養していた北山の林の中で、この花を見つけては、強くて甘い香りを胸一杯に吸って、黄色い花粉まみれになってしまったものだわ。
「これ、お庭に植えるのよ、いいでしょ」
「もちろんだとも。いま、車に運ばせよう」
お兄さまは、わたくしが何か欲しいと言えば、にこにこして買ってくれる。といっても、お金を持ち歩いているのはお供の惟光たちの方で、彼らは少しでも高いと思えば、すぐに値切り交渉に入る。
「言いなりに買ったりしたら、甘く見られるんですよ。何度も来る場所ですからね」
という話。お兄さま自身は、何が幾らするのか、それは高いか安いか、さっぱりわかっていないと思う。何しろ、宮中育ちの貴公子だから。
内裏におられる桐壺の帝が、お兄さまのお父さま。
つまりお兄さまは、れっきとした帝の御子。
ついでに言うと、わたくしの実のお兄さまではない。わたくしのお祖母さまが亡くなる前に、是非にと後見を頼まれて、わたくしを引き取ってくれただけ。
でも、もう四年近く一緒に暮らしているから、本物のお兄さまのようなもの。少納言も言っている。どんな身内よりわたくしを大切にしてくれる、得難い後見人だと。
ただ、お兄さまは、ご生母さまの身分が低かったので、皇籍から外され、源の姓を賜って臣下に降ろされた。
帝位が望めない以上は、皇族の中にいても先が見えているから、ですって。それよりは、臣下として存分に働き、国家の柱石となるべし、という父帝さまのご判断。
お気楽なお兄さまにとっては、何かと窮屈な皇族の暮らしより、ただの臣下の方が都合がいいらしい。宮中でのお仕事の合間には、あちこち浮かれ歩きなさって、楽しそう。
上は皇族や貴族の姫君から、中は受領の娘やあちこちの女房たちまで。下ははたして、どこまで幅広いやら。
お兄さまは、そういう立ち寄り先の数々を、わたくしには内緒にしているつもりかもしれないけれど、これでも、女房たちの噂話を聞く耳はあるんですからね。
こうして市の賑わいの中を歩いていても、
「見て見て、あの方」
「どこの若君かしら」
「あんな綺麗な殿方、見たことないわ」
と粗末な袖の陰でささやき合う娘たちに、お兄さまが素早い笑みを投げるのも、彼女たちが卒倒しそうに感激しているのも、ちゃんとお見通し。
(困ったものだ。仮にも帝の御子が、庶民に混じって町歩きとは)
(しかも、宮家の姫を連れて)
惟光と良清が、視線で言い合うのもわかっていた。こういう忍び歩きの最中、お兄さまの身に何かあれば、二人の首は飛んでしまうもの。何しろ主上さまは、お兄さまのことを、目に入れても痛くないと思ってらっしゃるそうだから。
でも、大丈夫。
何かなんて、あるわけないわ。こんな素敵な春の日に。
『紫の姫の物語』1章-3に続く