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恋愛SF小説『レディランサー アグライア編』3

アグライア編3 6章 ジュン

違法艦隊での航行は、快適だった。豪華な船室には、あたしに必要なものが全て揃っていたし、三度の食事も美味しい。スポーツジムも使える。中央のニュースや映画も見られる。

自分の誘拐事件をニュースで見るのは、おかしな感じがするけれど。

だいたい、悲劇のヒロイン扱いされると、たらふく食べて、のうのうと過ごしていることが、申し訳ないみたいだし。

記録映像で見る普段の自分は、やはり大幅に地味である。髪は短くてぼさぼさだし、着ているものは機械油の染みた作業着か、着古した普段着の類だし。

貨物の受け渡しの時の映像なんて、ひどいものだ。通信講座のレポートや何かで疲れている時だったから、いつもより更に無愛想。

(うひゃあ。なんで、こんなとこ映すかな)

と思ってしまう。せめて、学校時代の式典の時とか、B級ライセンスを取って取材されている時とか、もう少し、格好つけている時の記録映像を使ってくれればいいのに。

肌が沈んだ小麦色で、胸も小さいから、ぱっと見た時、華やかさや女らしさが全然ない。

やっぱりエディの言うように、シャツだけでも、もう少し綺麗な色を着た方がいいのかなあ。でも、つい、紺とかモスグリーンとか褐色の方が、落ち着くものだから。

それでも近頃、下着だけは、優雅なものを選ぶようになっていた。それは人に見えないから、いくら甘い色でも、華やかなレース遣いでも、恥ずかしくない。

いや、エディにだけは見せていたけれど、それは何しろ、エディだから。

空手の稽古の後、エディに全身マッサージをしてもらうのが、あたしの大きな楽しみになっていた。

最初はそんなつもりではなく(普通はマッサージなど、医療用アンドロイドにさせるものだ)、ただ、《タリス》の事件で背中にできた傷の手当をこっそりしてもらうために、エディを部屋に入れていたのである。

でも、傷が治る頃には、エディに裸の背中を見せるのに、抵抗がなくなっていた。それなら、下着姿も似たようなもの。

自室のベッドに横たわり、エディの優しくて確実な手でマッサージしてもらうのは、最高の贅沢だった。心身が気持ちよくゆるんできて、そのまま眠ってしまう。目覚めた時には、エディが美味しい食事を用意していてくれる。

何が恋しいって、あのマッサージだ。あれを二度と受けられないのかと思うと、悲しくて悔しい。エディが安全圏にいることだけは、嬉しいことなのだけれど。

中央の報道では、航行管制局の職員、カトリーヌ・ソレルスが違法組織に買収され、誘拐に協力したと言われていた。ただし、ユージンの名前は浮上していない。当然、《キュクロプス》のことも。

そりゃあまあ、メリュジーヌなんて大物が、本当にあたしを待っているのか、あたしだってまだ、信じ切れていないのだし。

ただ、一つ、面白いことがわかった。報道各社の発掘した事実だが、カトリーヌの双子の妹アンヌ・マリーが、もう十年も前に、辺境へ脱出しているそうだ。

妹は惑星開発局の職員で、調査船を盗んで姿を消したという。

いや、調査船には職員が八名乗っていたので、そのうちの誰がハイジャック犯で、誰が巻き添えの被害者なのか、今日まで不明だった。けれど、今回の誘拐事件によって、アンヌ・マリーの名が、疑惑と共に浮上したらしい。

ジュン・ヤザキを誘拐したカトリーヌ・ソレルスの行動は、その妹と連絡を取り合っていた結果ではないか、という推測が流れている。

ただし、報道関係者たちが、彼女たちの友人・知人にインタビューした結果では、

『カティがアンヌ・マリーと協力するなんて、ありえない』

『あの二人は、大学に入ってから、ほとんど口もきいていませんよ』

ということだった。友達にはカトリーヌではなく、カティと呼ばれていたわけね。まあ、その方が呼びやすい。

とにかく彼女たちは、一卵性の双子なのに、とことん仲が悪かったらしいのだ。何でも大学生の頃、アレン・ジェンセンという年上の男子学生を、姉妹で取り合っていたとか。

そのアレンは、やはり開発局に就職し、アンヌ・マリーと同じ船に乗って、姿を消している。こうなると、その失踪事件はアンヌ・マリーとアレンの共謀だったのではないか、今度は姉妹で共謀して誘拐を企んだのではないか、という推測が力を持ってくる。

でも、カトリーヌ・ソレルスもユージンも、アンヌ・マリーなんて名前は、一言も口にしていない。

(あの人も、色々あるんだな、まあ、どうでもいいけど)

あたしは居心地のいい船室で、クッキーと紅茶を楽しみながら、報道番組を眺めていた。

もちろん、軍はもう、あたしの追跡をあきらめている。市民向けにあれこれ言い訳はしているけれど(試験官が誘拐に加担するとは予測外、軍の警備体制に不備はなかった……)、要するに、違法組織に拉致された者は、奪回不可能ということだ。

親父は憔悴しているだろうけれど、《エオス》で勝手に飛び出したりしないよう、軍と司法局が見張っているようだ。

それでいい。親父までが捕まったりしたら、救いがない。

せめて、あたしが無事だと知らせることができればいいけれど、ユージンは、あたしをメリュジーヌに会わせるまで、外部との接触はさせないと言うし。

報道番組に飽きると、船の中をうろついた。厨房で好きなケーキやアイスクリームを探して食べたり、操船室や武器庫や小型艇を見学したり(後ろにアンドロイド兵士が張り付いているから、何もできない)、ラウンジでユージンとしゃべったり。

違法組織《クーガ》の統率者であり、最高幹部会の代理人の一人であり、この小艦隊の指揮官でもあるユージンという男は、物静かで皮肉屋のインテリという感じだった。

たぶん、相当に優秀な男なのだろう。年齢はたぶん、五十歳から百歳までのどこか。

他に用事があるわけでもないらしく、あたしが尋ねれば、大抵のことは辛抱強く説明してくれた。

何でも最高幹部会は、あたしを取り込みたがっているとか。あたしのような小娘を、大組織の幹部に迎えてくれるなんて、とても素直には信用できないけれど。

「客寄せパンダになるの? あたしが?」

少しばかり名前が知られたからといって、このあたしが、市民たちを辺境におびき寄せる誘蛾灯になるだろうか。

「詳しい計画は、きみが直接メリュジーヌに尋ねるといい。きみにとっては、悪くない取引になるはずだ。まだ若いから、不老処置の価値は、よくわからないだろうがね」

何を考えているんだろう、最高幹部会って。あたしが仲間になれば、親父を懸賞金リストから外すという。それが本当なら、少しは考える余地がある……かな?

これまで幾度、親父を狙った暗殺未遂があったことか。それが一切なくなるなら、遠く離れていても、あたしは少し安心できる。

その分、親父の方は、あたしについての心配が増すだろうから、トータルの心配量は減らないとしても。

寂しいのは、エディと遠く引き離されてしまったことだ。この二年間、あたしの最大の味方であり、励まし役だった。

『ジュン、お茶を淹れるよ。美味しいケーキがあるから』

『通信講座のレポート、わからない所があったら聞いて』

『今度の上陸休暇、このライブハウスに行ってみないかい』

エディを知らなかった頃、自分がどうやって生きていたのか、不思議になるくらい。

でも、一緒に誘拐されるよりましだと、自分を慰めた。何が起ころうと、自分の身一つの危険なら、耐えられる。最悪、自分一人が死ねばいいだけだ。

エディが撃たれて死んだと思った時の後悔と絶望に比べたら、何でもない。

バシムは親父を慰め、励ましてくれるだろうし、ジェイクたちも、それぞれに親父を支えてくれる。彼らが無事なら、あたしは気楽なものだ。メリュジーヌという天下の魔女にも、会ってみたい気はすることだし。

***

有り難いことに、ユージンは紳士的だった。惑星《タリス》であたしを捕虜にしたシドと違って、あたしを妙な目で見たり、キスしたがったり、べたべた触ってきたりすることはない。単に、痩せっぽちのガキは趣味ではない、というだけであっても、船内で安心して過ごせることは、大きなプラス要因だ。

「この件に、グリフィンは関わってないの?」

と尋ねたら、

「わたしはそもそも、その人物に会ったこともないし、実在する人物かどうかも知らない」

という答え。辺境の権力機構は、不透明なものらしい。

ユージンは、メリュジーヌ以外の大幹部のことも、よく知らないままだと言う。ただ、彼女からの下命は何度も受けているので、彼女の態度を通して、推測できることが色々あるそうだ。

「おそらく最高幹部会は、きみを〝リリス〟に匹敵する、辺境のスターにしたいのだろう」

ラウンジのソファ席で、ユージンが大真面目に言った時、あたしは危うく、苺のジュースを吹き出すところだった。

「何それ!!」

悪党狩りのハンター〝リリス〟は、あたしの憧れだ。というより、連邦中の子供、若者の憧れだ。憧れが嵩じて軍や司法局に入った人も、たくさんいる。

もう半世紀以上、最前線で違法組織と戦い続けている女戦士。

〝リリス〟を主人公にした映画や小説のシリーズも、たくさんある。ファンクラブも数多い。

素顔はもちろん公開されていないけれど、出会った人たちの証言によれば、〝長身の精悍な美女〟と〝小柄で理知的な美女〟のペアだとか。それに、美青年のお供が付いている場合もあるらしい。

あたしが特に憧れているのは、その長身の方。コード名はリリー。任務によって、色々な偽装を使い分けるらしいけど、何でも、えらく豪快でかっこいい姐御らしい。戦闘用強化体だというし、不老処置を受けているらしいから、今もきっと、若くて美しいまま。

このあたしが、その〝リリス〟に対抗するって? しかも、悪の側で?

「ありえない!! 絶対無理!!」

と、じたばたしてしまう。

「そうか? 考えてみたらどうだ?」

ユージンはどうも、表情を隠すサングラスの下で、面白がっている気配がある。

「その若さで、きみはなかなか度胸が据わっている。この調子で成長したら、辺境でも、かなりいい線を行くのではないかな」

変な誉め方をされた気がする。あたしには市民社会より、無法の辺境の方が向いている、と言いたいのか。

「悪党の仲間になって、楽しくやれっていうの? それで、〝リリス〟を殺す策略を巡らすわけ? やだよ、そんなの!!」

いつかどこかでもし会えたら、サインをもらって、握手してもらって、と夢見ていたのだから。『よく頑張っているね』とでも、温かい言葉をかけてもらえたら、一生それを宝物にできる。

「いいや、〝リリス〟を殺す必要はないんだ……彼女たちはこれからも、市民社会の英雄でいてくれればいい」

ん、何か妙なことを聞いた気が。

「ただ、辺境にも、〝リリス〟に匹敵するスターがいた方が面白いだろう」

「面白いって問題なの、それ?」

最高幹部会が、恐怖の象徴であるグリフィンの他に、新たなスターを求めるのなら、それはわかる。でも、あたしをその役に据えるなんて、まさかまさか。

「バランスの問題だ。中央から、ある程度、辺境に人が流れた方がいい。今は、市民社会と辺境の断絶が大きすぎる」

「それは、わかるけど」

人口では、市民社会の方が圧倒的に大きい。といっても、辺境に何人暮らしているのか、本当のところは、誰にもわかっていないと思う。最高幹部会だって、きちんと把握しているのは、大組織と、その系列組織の人員だけだろう。

市民社会から辺境へ出ていく者は、毎年、何十万人か。事故死を偽装する者もいるから、実際にはもっと多いかもしれない。それでも割合からすれば、ごく小さな数だ。不老処置を求めて、あるいは自由な研究がしたくて、無法の世界を目指す。でも、そこで生き残れる確率は、決して高くないと言われている。

「辺境には、辺境の役割があるんだ。中央では認められない先鋭的な実験を、誰かがしなくてはならない」

「生物兵器とか、超空間兵器とか?」

「兵器には限らないが。人間を進化させる実験は、あった方がいい。人類の進化が、ここで止まっていいはずがない。きみの母親のように、人間を超えた超人が誕生することもある」

あたしはしばらく、返す言葉がまとまらなかった。早くに死んでしまった母の、最後の日々を思い返すと、今でもまだ苦しくなる。もっと何か、してあげられることはなかったのか。本当に、あんな死に方しかなかったのか。

母の姉妹編とも言える生物兵器のアイリスに出会ったことで、少し癒された部分はあるけれど。

もしかしたら、母の治療法を求めて、辺境に出るという選択肢もあったのかもしれない。あたしたち親子三人で。

そうしたら今頃、あたしたちはどうなっていただろう? どこかの違法都市で、ひっそりと暮らしていた? それとも、自分たちで違法組織を立ち上げていた?

「でも、ママは、普通の市民になりたがっていた……ママが欲しがったのは、普通の、平凡な生活だった」

そのために、自分を創った組織に逆らい、はるばる逃亡してきて、親父と出会った。そして、自分を普通人に近づける手術を受け、愛する男性と結婚して家庭を作った。その無理な手術のために、短い人生を終えたのだ。自分は幸せだったと言い残して。

本当に、そうだったのだろうか。あまりにも、短い幸福だった。

でも、アイリスは言った。あたしが子供を作れば、ママの夢を受け継ぐことになると。

それは、中央と辺境との融和。

そんなこと、ほとんど不可能に思えるけれど。

いや、もしかしたら……あたしはまさに今、そういう機会を差し出されているのだろうか? それとも、そんな風に思ったら、悪の帝国の思う壺なのか?

「それは、辺境に居場所がなかったからだろう。もし、無理な逆改造をせず、きみらが親子三人で穏やかに暮らせる場所が辺境にあったら、どうだった?」

そう、ママは本当なら、何百年でも生きられたはず。市民社会がもっと寛容だったら、法律の制限がゆるかったら……辺境で治療を受けて、市民社会に戻るという方策もあっただろう。

「でも、実際には、辺境に、まともな人間が安心して暮らせる場所なんかない……」

「そうだ。だから現状では、自信過剰の馬鹿か、平気で人を殺せる悪党しか、辺境に出てこない。だが、もしも誰かが、まともな市民を受け入れる場所を、辺境に創ったら? そして、その場所を聖域として、守り通したら?」

ユージンは、何を言いたいのか。

「そんな都合のいい〝誰か〟なんて、どこにいるの……ありえないよ」

超人的な闘士である〝リリス〟でさえ、小悪党を退治して回るのが精々で、辺境の支配体制は変えられないというのに。

あたしなら……もしも、あたしに何らかの力があれば……それを試せるかもしれないけれど。

あたしは天才科学者でもないし、戦闘用強化体でもない。資産家でもないし、政治的センスがあるわけでもない。どうやって、そんな力を……権力を得られるというのだ。

「最高幹部会は、少なくともメリュジーヌは、きみがその〝誰か〟だと考えている。きみを起用することが、新たな実験なんだ」

驚いた。危うく、ソファから転がり落ちるところだ。

あたしが辺境の変革者になる。それも、最高幹部会の後ろ盾を得て。

この上ない提案に聞こえる。でも、うまくおだてられて、利用されるだけかもしれない。あたしなんて、ただの生意気な小娘にすぎないではないか。

「あたしが辺境で聖域を作って、まともな市民を集めるわけ!?」

あえて不信の声で言ったのは、内心で湧き上がる思いを隠したかったからだ。ユージンは平然として言う。

「そう、きみがだ。きみが辺境を改革して、ましな世界にすればいい。そうすれば、辺境に出てくる人間が増える。市民社会との断絶が解消される」

そうだ。機会さえ与えられれば、あたしには、色々な挑戦をする意欲がある。試みたことの全ては成功しなくても、何割かはうまくいくだろう。

あたしは、自分自身のことなら信用できる。真面目だし、誠実だし、努力家だ。努力で可能になることなら、してみせる。

でも、違法組織は信用できない。あたしを騙して使い捨てにするのが、関の山だ。

「そんなこと言って、集めた市民を、何かに利用するつもりでしょ。洗脳して手下にするとか、生体実験に使うとか」

「それなら、現在でもできている。わざわざ、きみを広告塔にするまでもない」

う、それもそうか。ユージンは、教え諭すように言う。

「彼らがそんな目に遭わないで済むように、きみが彼らを守るんだ。そうすれば、辺境と中央の行き来が盛んになる。交流が増えれば、どちらの世界にとっても利益になる。不老処置を受けたい市民は、たくさんいるはずだ。それが法律で認められるようになれば、軍が市民の行き来を止める必要もない。違法都市は、ただの観光地になる。市民たちは自由に遊んで、好きな不老処置を受けて、また故郷に戻ればいい」

あたしは、まじまじとユージンを見た。この男は、どこまで本気なのだろう?

というか、黒幕のメリュジーヌは、ユージンにもこの話を信じさせているのだろうか?

あたしは自分が、そこらの平凡な大人よりは優秀だと知っている。それは、能力の差ではない。覚悟の差だ。ものを考えざるを得ない環境で育ったからだ。

あたしよりもっと優秀な人間がたくさんいることは、わきまえている。中央にも、辺境にも。

だから、油断したら、痛い目に遭うということもわかる。甘い考えを持ってはいけない。

「サングラスを外さない奴の言うことなんか、信用できないな」

するとユージンは、子供のわがままを聞いた大人のように苦笑する。

「なるほど。それはそうだな」

じゃあ、褐色のサングラスを取って顔を見せてくれるのかと思ったら、すいと立ち上がる。

「きみに信用されることは、わたしの任務に入っていないのでね。わたしはただの代理人で、メリュジーヌの提案を説明しているだけだ。失礼するよ」

くそう。実は情けない垂れ目だから、見せたくない、とかじゃないだろうな。

辺境では整形や脳移植は当たり前だから、みんな美男美女になっていて、逆に不細工やファニーフェイスが希少だとも言うけれど。男だったら、岩のようにいかつい顔の方が、印象が強くていいかもしれない。

それにしても。

本当に〝連合〟が、もしくはメリュジーヌが、あたしにそんな機会をくれるのだろうか?

やってみたい。できるものなら。

でも、そんな都合のいい話、あるわけがない。

ああ、ジェイクたちがいたら、冷静な意見を聞かせてくれて、あたしの甘い考えを叱りつけてくれるだろうに。

***

航行中、カトリーヌ・ソレルスは、ほとんど自分の船室に引っ込んでいた。たまに通路やラウンジで出会っても、黙ってすれ違うだけ。向こうから、あたしに言葉をかけてくることはない。誘拐の報酬を受け取ったら、もうあたしには何の興味もないというわけ?

「ずいぶん身勝手だね」

あたしはある時、通路ですれ違おうとした彼女に話しかけた。

「〝連合〟から、どんなご褒美をもらったのか知らないけど、人の運命を変えておいて、ごめんの一言もなければ、日常の挨拶もしないなんて、ずいぶんじゃない?」

すると赤毛の美女は、冷たい視線であたしを見た。

「おはよう。こんにちは。お休みなさい。これでいいかしら?」

かっとした。馬鹿にしている。あたしが子供だから!?

「あんた、あたしに喧嘩を売ってるの!! だったら買うよ!! 素手で喧嘩する分には、ユージンもすぐには止めないだろうからねっ!!」

あたし自身のことは、まだいい。でも、親父やエディたち、みんなを心配させていることは困る。

すると向こうは、冷然としたまま、あたしを見下ろして言う。

「ずいぶん強気ね。さすが、最高幹部会に見込まれる人は違うわ。たとえ、あなたがここでわたしを殺しても、ユージンは平気よ。止めやしないわ。わたしなんか、あなたの百万分の一も値打ちがないんだから。《アグライア》に着いた途端、誰かに売り飛ばされるかもしれない」

え、えっ?

なに、その言い方。まるで、傷ついて、すねているような。

確かに、違法組織が約束の報酬を払うかどうか、疑いを持つのは当然だけれど。

「あたしがあなたを殺すって……しないよ、いくら何でも。あたしが殺すのは、正当防衛の時だけだから」

すると向こうは、首をきっぱり横に振る。

「あなたはもうじき、〝連合〟の大組織の幹部になるのよ。気に入らない人間を殺すくらい、当たり前になるわ」

冗談じゃない。

「あたしがそんな、そんな風になるわけないでしょ。あなたこそ、大金目当てに人を誘拐するなんて、公務員のくせに……そんなこと、公務員でなくたって犯罪だけど……」

「お金じゃないわ」

え?

「じゃあ、不老処置……」

けれど、彼女は強く首を振る。

「そんなことじゃない」

「じゃあ、何のためなのさ。説明してよ」

やはり、妹の事件と関係があるのだろうか。

「言っても無駄よ。あなたなんかには、わからないわ。そんなに若くて可愛くて、愛してくれる男性がいて、どこでもちやほやされて。おまけに今度は、〝連合〟に抜擢されて」

へっ!?

何か、妙な評価をされている。美人度やグラマー度から言えば、明らかに、この人の方が上なのに。

それに、愛してくれる男性って、誰のこと。そりゃ、親父には愛されてるけど、親子だから当然でしょ。この人にも、心配してくれる両親や祖父母はいるはず。

「あたしは、ちやほやなんか……」

「どこでも特別扱いされて、ファンクラブまであるじゃないの」

「それは、懸賞金リストに載ったからだよ。確かに、警備はされるけど……」

各星の大学生を中心としたファンクラブがあるのは、本当だ。規模も数も、〝リリス〟のファンクラブには遠く及ばないけれど。

ファンクラブとして公認してくれという申し込みが、何十件もあった。不公平にならないよう、全て断っている。その方がいいと、親父に言われたから。

その通りだ。あたしがいい気になって、のこのこ『ファンの集い』なんかに出かけたら、警備してくれる人にも、罪のない大学生にも、迷惑をかけることになりかねない。

それなのに、赤毛の美女は顔を歪めて言う。

「あなたなんかに、負け犬の気持ちはわからないわ。何もできないまま、歳だけとっていく女の気持ちなんて」

何、それ。この人、三十過ぎの大人の女性じゃなかったの。

「あなたの人生なんだから、何でも、あなたの好きなようにすればいいだけじゃない。誘拐に手を貸したのも、あなたの選択でしょ。何がうまくいかなかったのか知らないけど、あたしに八つ当たりしないでくれる?」

すると、緑の目に涙が盛り上がってきた。嘘でしょ。まるで、あたしが意地悪して泣かせたみたい。

「あなたも同じだわ。アンヌ・マリーと。強くて優秀だから、踏まれる者の痛みがわからないのよ」

何だ、それは。

「つかぬことを伺いますけど、誘拐された被害者は、あたしじゃないんですかぁ?」

それにしても、この人の口から初めて聞いたな。双子の妹の名前を。じゃあもしかして、妹に恋人を取られたという話、本当なのか。だからって、犯罪に走っていいことにはならないと思うけど。

「あたしだって、親父やエディが今頃、げっそりやつれているんじゃないか、これでも心を痛めてるよ!!」

それでも食欲はあるし、運動して、夜はぐっすり寝てるけど。

「いずれ連絡できるわ。あなたの地位が確定したら、何でもできるでしょう。あなたは辺境でも勝ち抜いていける、エリートよ。わたしは違うわ。ただの凡人。自分の子供が欲しいだけ。普通の幸せが欲しかっただけなのよ」

子供? 普通の幸せ?

予期していなかったので、たじろいだ。まるで……あたしのママみたいなことを言う。

でも、ママは無法の辺境で戦闘兵器として創られたから、普通の暮らしを得ようとしたら、中央の市民社会を目指すしかなかった。最初から中央にいて、家族にも友達にも囲まれている人が、なぜ、普通の幸せを求めて辺境に出るというの。

とにかく、カトリーヌ・ソレルスは、逃げるように行ってしまった。何だろう、あれ。あんな泣き虫のひがみ虫で、よく誘拐なんてしたものだ。子供が欲しかったって? そんなもの、適当な男ににっこりすれば、簡単に手に入るだろうに。

(あっ、そうか)

遅まきながら、気がついた。彼女はまだ、妹に奪われた男に未練があるのかも。すると、辺境に出ることにしたのは、その男に会うため? それとも、妹からその男を奪い返すつもり? でも、あの様子じゃ、妹には勝てそうにないな。

あたしはユージンの船室に出向いて、彼に尋ねた。

「ねえねえ、カトリーヌ・ソレルスが要求した報酬って、何なの? あなたは知ってるんでしょ?」

すると彼はしばし考え、逆に尋ねてきた。

「彼女の事情を知ったら、それで、きみの行動が変わるのか?」

「えっ?」

「単に好奇心で知りたいだけなのか、それとも、彼女に何か救いの手を差し伸べてやるつもりなのか?」

救いの手? 被害者のあたしが?

「あたしが救う必要ないでしょ? 彼女は立派な大人なんだし、〝連合〟から報酬をもらって、好きな所に行けばいいんだから」

「そう思っているなら、詮索するな。きみには関係のないことだ」

へえ、そうですか。親切かと思うと、突き放す奴だな。まあ、違法組織のボスに親切を求める方がおかしいんだけど。

それにしても、あたしが彼女を守ってやるって? 情緒不安定の誘拐犯を?

まさか、だ。あたしは自分と、自分の身内の心配だけで手一杯なのに。

***

艦隊は無事、違法都市《アグライア》に到着した。小惑星の内部に構築された、人口五十万の二級都市だ。

もっとも、人間とバイオロイドの合計の十倍はアンドロイドがいるから、動く人影は五百万超あることになる。

余裕のある設計だから、居住空間はほとんどが緑地だった。鹿や狼が棲む森林、野兎がいる草地、貝や魚が豊かな湖と、それらをつなぐ川。人工雲が漂う空には、鳥や蝶や蜻蛉が飛ぶ。

多くの艦船が発着しているし、周辺には、必要な物資を生産する小惑星工場や小惑星農場が配置されている。強力な防衛艦隊も巡回している。

「ポテンシャルとしては、人口が十倍に増えても問題はない」

とユージンが言う。

「なら、あたしがここに人を集めることも可能ってわけだ」

あたしがそう言ったのは、あくまで皮肉である。この時点ではまだ、そんな未来が実現するとは思っていない。

あたしは護衛車を伴った武装トレーラーで、1G居住区にある市街へ運ばれた。緑の丘陵地帯が広がる中に、幾つかの繁華街が、白亜の島のように浮かんでいる。孤立した要塞のような建物も、緑の中に点在している。それらをつなぐ道路が、細いリボンのように緑地を縫う。

大きな組織ほど、繁華街から離れた、孤立型の拠点を持つことが多いとか。

「実際には、そういう建物の中に、どれだけの人員がいるのか、外からはわからない。市民社会と違って、市民登録や上陸手続きなんてものはないからな。だから、都市全体の人口というのも、推定値にすぎない」

とユージンが言う。あたしはよく知らなかったけれど、辺境の人口の大半は、大組織の所有星系にある大型拠点で暮らしているという。

「地球型惑星の場合もあれば、小惑星都市の場合もある」

部外者は立ち入ることができないから、そういう拠点に何千万人もいるのか、それとも数千人しかいないのか、誰にもわからない。

「辺境の全貌を把握している者がいるとすれば、最高幹部会のメンバーくらいのものだろう」

とにかく、こういう違法都市の人口は、辺境全体の人口の、ごく一部にすぎないそうだ。

「それでも、金は落ちる。人間の出入りが多いからな。組織間の交易や交流の場として、必要なんだ。流行も、こういう都市から始まることが多い」

まず、都市の顔であるセンタービルに案内された。一番大きな繁華街の中央にある、岩山のように巨大なビルだ。都市の管理・運営の拠点であり、警備部隊の基地でもある。このビル一つで、まとまった都市機能を持っているという。

車列は一般人の入れないVIP専用の駐車場に入り、灰色の皮膚をしたアンドロイド警備兵の部隊に出迎えられた。ちゃんと《キュクロプス》の一つ目巨人の紋章が付いた制服だ。

「本物の六大組織なんだ」

と感心したら、ユージンに呆れられた。

「わたしがわざわざ、嘘の説明をしたとでも思っていたのか」

「だって、違法組織の言うことなんか、何も信用できないもん」

すると彼は、呆れたように肩をすくめる。

「どこまで信用してどこから疑うか、自分で判断できるようになりたまえ」

そんなの、すぐにできるわけないでしょ。あたしは《エオス》にいれば、まだ、ジェイクやルークに頭をぐりぐりやられる子供なんだから。

とはいえ、子供だからといって、手加減してくれる敵ではない。しっかり頭を働かせておかないと。

出迎えの兵たちに囲まれ、特別階へ通じる専用エレベーターに案内されたけれど、ふと気がついて振り向いたら、カトリーヌ・ソレルスは、ここまで乗ってきたトレーラー内に取り残されていた。車の扉が開いたままなので、ぽつねんとシートに座って、こちらを見送っている姿が見える。

《クーガ》の制服を着た護衛のアンドロイド兵が付いているけれど、何だか、監視されている囚人のようにも思えた。彼女は相変わらず、暗い顔のままでいるし。

大体、美人なのに、服が地味だよ。もう管制局の制服を着る必要はないんだから、赤でも白でも着ればいいのに、いつも紺とか深緑じゃない。赤毛の人に、赤やピンクの服は、難しいのかもしれないけど。

「彼女はどうするの?」

あたしがエレベーターの前で尋ねると、ユージンは冷淡に言う。

「きみが心配する必要はない。彼女は報酬を受け取ったら、勝手にどこかへ消える」

勝手に、ってねえ。あの様子では、ユージンの保護下から放り出されたら、すぐさま禿鷹の餌食になりそう。

迷ったのは一瞬で、あたしは動いた。大抵、まず動いてしまうのだ。そして、後から後悔する。でも、その後悔は、行動しなかった時より小さいのではないか。

「ちょっと待ってて」

あたしはすたすた歩いて車に戻り(出迎えの兵たちはあたしを止めず、あたしの動きに合わせて配置をずらしただけ)、車内の女に声をかけた。

「カティさん、あなた、報酬を受け取った後、行くあてはあるの?」

すると彼女は驚いたようで、しばらく呆然としてから、力なく首を横に振る。頼りないこと、おびただしい。

「じゃあ、あたしと一緒に来ればいい」

そんなこと、つい一分前まで、考えていなかったけど。

「わたしが、どうして……」

カティさんは狼狽を見せた。あまりにも無防備だ。あたしの目の届く範囲内に置いておかないと、どうなるか、はなはだ心もとない。一緒にいたって、守ってあげられるとは限らないけれど。

まあ、毒を食らわば皿まで、というところ。

「あなたを、秘書として雇うことにする」

と一方的に宣言した。

「ユージンの話を聞く限り、あたしはどうやら、ここで歓迎されるらしいから、秘書くらい自分で選んでも、許されるでしょ」

「秘書?」

カトリーヌ・ソレルスは、宝石のような緑の目をしばたいて言う。

「わたしが、あなたの秘書に?」

試験船で最初にあたしを出迎えた時は、きりっとした大人の女性に見えたのに、半月あまりの航行のうち、どんどん元気がなくなって、今では半病人のよう。誘拐に手を貸したことを後悔しているのか、ようやく辺境の恐ろしさがわかってきたのか、どちらにしても、保護者が必要だ。

「あなたがこれから辺境で出会う、どこの誰より、あたしの方がましだと思うけどな。違う? あたしと来れば、少なくとも、あたしが相談相手になるよ。あたしが〝連合〟に殺されることになったら、その時は仕方ないから、自分で何とかしてもらうしかないけど」

カトリーヌ・ソレルスは、信じられない事象に出くわした顔で、よろりと座席から立つ。

「わたし、あなたと一緒に行っていいの?」

それで、彼女がどれほど心細い思いをしていたか、苦しんでいたか、わかってしまった。したたかな悪女なら放っておけたのに、『つい心が弱って』悪の組織の誘いに負けてしまった人なら、仕方ない。

「うん、おいで」

あたしが手を差し出すと、赤毛の女性は再びためらい、泣きそうな顔になった。

「あなた、わたしを恨んでいるでしょう? こんな辺境まで連れてこられて」

別に恨みはないな、と自分でわかった。だって、それほどの相手じゃないもの。言ってしまえば、敵に利用された道具。あたしが怒る相手がいるとしたら、最高幹部会だろう。ユージンですら、彼らの駒にすぎない。

「あなたがユージンの誘いに乗らなければ、他の誰かが手先にされていただけだよ。あなたのことは、別に怒っても恨んでもいないから、あたしと来た方がいい。あたしのできる範囲でだけど、守ってあげる」

すると赤毛の美女は、顔をそむけながら泣き笑いになった。しばらくしゃくりあげてから、ようやく振り向き、涙をぬぐって言う。

「ありがとう。ごめんなさい……迷惑をかけて」

「どういたしまして」

まあ、戦いに慣れていない一般人は、こんなものだろう。そうすると、この人の妹のアンヌ・マリーというのは、珍しい豪傑だったのかな。今は、どこでどうしているのだろう。

「それなら、喜んで、秘書役を務めさせてもらいます」

「じゃあ、あたしのことはジュンて呼んで」

「わたしは、カティと」

改めて双方から手を差し出し、握手した。うん、これはきっといい判断だぞ。

そうしてカティさんを連れ、エレベーター前で待っていたユージンの元へ戻ると、彼はわかっていたような態度で、階上を指した。

「メリュジーヌに会ったら、自分で言いたまえ。最初の部下を決めたとな」

かなり上層でエレーベーターを降りた時、一瞬、センタービルの屋上庭園かと思ってしまった。小鳥の声がして、そよ風が背の高い竹林を揺らす、緑の空間だったから。

でもすぐに、数階分の高さを持つ屋内庭園だとわかった。周囲は、太い柱と透明な窓で囲まれている。窓の一部から、風を入れているようだ。繁華街の他の建物が、かなり下に見下ろせた。違法都市では、センタービルより背の高い建物はない。権力のありかを、わかりやすく示しているわけだ。

いや、実際の権力者は、もっと別な場所に隠れているのだろうけれど。

「お待ちしておりました、ジュンさま、ユージンさま」

黒髪を結った秘書風の美女が待っていて、きちんと一礼した。黄色系の皮膚に、切れ長の黒い目をして、真珠のイヤリングに紺のスーツという、堅い格好。どちらかというと寂しげな顔立ちだけど、長い前髪をカールさせて顔の脇に垂らしているから、上品な美女という印象に仕上がっている。

「わたくし、メリッサと申します。ジュンさまのお世話に付きますので、どうぞよろしく」

つまり、監視役か。

「そう、よろしく、メリッサ。こちらは、あたしの秘書のカトリーヌ・ソレルス。仲良く頼むね」

と答えたら、彼女はなぜか、ひどく驚いたような顔をする。なぜ。

「あたしが何かした?」

「いえ……とんでもない。了解しました。どうぞ、こちらへ」

メリッサはあたしたちを、白い玉砂利の小道の奥にある、和風の四阿に案内した。周囲には、赤やピンクや白の牡丹の花が咲きこぼれている。

紺の制服に白いエプロンを重ねたアンドロイド侍女が、お茶の支度をして待っていた。一人分ずつ、大きな陶器のお椀で、抹茶を立ててくれる。

あたしも抹茶は好きだけれど(エディがよく、抹茶ミルクを作ってくれる。抹茶アイスも大好き)、お茶だけでは満ち足りない。幸いなことに、美味しそうな和菓子が、塗りの盆にたくさん盛ってある。

「これ、食べていい?」

とメリッサに尋ねたら、

「はあ。もちろんですけど」

と奇妙な顔をされた。何なのだ。

「食べさせるつもりでないなら、飾ってあるだけなの? それとも、毒入り?」

「いえ、そんなことは……」

黒髪の美女は困ったように、ユージンに救いを求める視線を投げた。ユージンはいつものサングラスの下で、かすかに笑ったようである。

「このお嬢さんは、誘拐されたくらいで、食欲が落ちたりしないんだ」

ああ、そういう意味。だって、いつ何時、事態が急変するかわからないんだから、食べられる時に食べておくのは、当然でしょ。まさか、この場で毒殺もないだろうし。

「はい、わかりました」

メリッサは納得したように苦笑し、あたしの取り皿に、お菓子をたくさん取ってくれた。

「どうぞ、ジュンさま」

年上の人から〝さま〟付きで呼ばれると落ち着かないが、それが辺境の流儀なら、仕方ない。どうせ転落する時は、一瞬で地獄に落ちるのだろうし。

「カティさんも食べなよ。下手したら、人生最後のお菓子かもしれないよ」

と言ったら、緊張していたカティさんも、少し笑顔になった。

「それじゃ、わたしも一つ」

そうそう、その調子。ずっとびくびくしていたら、身が保たない。

あたしが美しいお菓子を二つ三つ食べ終えた頃、アンドロイド兵を連れた美女がやってきた。

とにかく、白い。

マーメイドラインの白いドレス、白い肌、薔薇色の唇、ふわふわのプラチナブロンド。耳には、シャンデリアのようなプラチナ細工のイヤリング。まるで、砂糖菓子のような美女だ。中身は毒入りだとしても。男なら、この外見だけで幻惑され、のぼせ上がるかもしれない。

それとも、恐ろしすぎて、そんなことは無理かな。

「メリュジーヌさま、ミス・ヤザキをお連れしました」

とユージンが席から立って、神妙に頭を下げる。あたしもつられて、席を立ってしまった。というか、テーブル周りの全員が立ったのだけれど。

「ご苦労さま、ユージン。ようこそ、ミス・ヤザキ。わたしがメリュジーヌです」

潤んだような灰色の眼をして、しっとりした甘い声で話す。あたしのがさつな発声とは、天と地の差だ。

「最高幹部会の中で話し合いがあって、わたしが、あなたに対する優先交渉権を得たのよ。ぜひ、うちの組織の力になってほしいわ」

美女はにこやかに言い、あたしに白い手を差し出した。爪と唇が、同じ系統の薔薇色に塗られている。きっと足の爪まで、完璧に手入れされているのだろう。身支度専門の侍女が、何人もいるに違いない。

「よろしく、と言うべきかどうか、わからないな」

あたしは警戒を隠さず言った。握手に応じるつもりもない。だって、こいつらは長年、親父の首に懸賞金をかけてきた敵ではないか。ほんのわずかな幸運がなかったら、親父はとうに死んでいたはずだ。

「ユージン、ちゃんと説明したんでしょうね」

美女は差し出した手を空しく下ろし、サングラス男に問う。

「もちろんです。《キュクロプス》の幹部待遇で迎えるから、この《アグライア》を拠点に、辺境の改革に乗り出せばいい、とね。ですが、なかなか信用してもらえなくて」

当たり前だ。こいつらが本気で、そんなことを望んでいるとは思えない。だって、それなら、自分たちで改革すればいいのだから。

メリュジーヌは、あたしに向き直った。風が動いて、甘い香水の香りを運んでくる。思わず、くらりとするような香り。あたしは百年生きても、こんな風にはなれないだろう。

「信じなくていいから、聞いてちょうだい。辺境は、このままでは行き詰まるわ。新しい人材が足りないからよ」

ほう?

「不老不死目当てで辺境に出てくる者たちは、志が低いことが多いの。自分の欲得しか頭にないのでは、大きなことはできないわ。だから、わたしたちは、あなたを選んだのよ。若くて清新で、理想的な人材だわ。あなたに、この都市の改革をしてもらいたいの」

「この《アグライア》の?」

「そうよ。あなたは英雄の娘として、既に名前が知られていて、あなた個人の信用も築かれている。あなた自身、戦う意志も、改革する意志も持っているでしょう? この都市で改革が成功すれば、それは他都市へも波及するはずよ。姉妹都市を建設することも、いずれはできるでしょう」

意欲は、否定できない。大組織の幹部の座というのにも、正直、惹かれている。権力が全てではないが、権力は大事だ。それがあれば、何をするにも格段に楽だろう。

ただ、おだてに乗るのは怖い。どんな落とし穴が待ち構えているか、あたしの単純な頭では、想像がつかない。

メリュジーヌは、カティさんの方を向いた。

「ミス・ソレルス、あなたはどう思って?」

すると、カティさんは真剣に答えた。

「ジュンならきっと、この世界でやっていけるでしょう。わたしもできる限り、協力します」

そんな、ちょっとの間に、ずいぶん前向きになってしまって。まあ、暗く思い詰めているより、ずっといいけれど。

メリュジーヌはにっこりした。

「あなたもめでたく、彼女の保護下に入ったようだしね」

そして、あたしに向き直る。もしかして、カティさんをどう扱うかも、あたしを判断する材料になっていたのかな。たぶん、あたしはずっと観察されていたのだ……辺境の明日を左右する、この連中に。

「これからそうやって、部下を増やしていけばいいのよ。あなたが《キュクロプス》に入ってくれたら、ヤザキ船長を懸賞金リストから外すわ。その条件で、何か不服?」

うう。

よくも、人の弱みを。

「不服は、ない」

もう、やけくそである。どのみち、退路はない。メリュジーヌは微笑んだ。

「よかったわ。実はもう、公式発表の準備は整っているの」

「え。何、それ」

「あなたが自分の顔をさらして、世界に宣言するのよ。こういう条件で、最高幹部会に勧誘されたと。そうすれば、世界が証人よ。もし、その約束を違えたら、こちらのマイナスになるわ」

驚きだ。違法組織は、秘密主義ではなかったのか。

「そんなこと、宣言していいの?」

「隠しておく必要はないし、そうすれば、あなたにも覚悟ができるでしょ。一時間後に、全世界に流すわ」

もう、お膳立てができているのか。市民社会の政治やビジネスなんかより、ずっと迅速だ。これはあたしも、うかうかしていられない。

「着替えとメイクの手配はしてあるから、メリッサが案内するわ。スピーチ原稿もできているけど、手を加えたいならご自由に。後でわたしがチェックします。あなたが、この都市の総督に就任する挨拶よ。威厳を持って、簡潔にね」

え、いま何て。

「あたしが、何に就任するって?」

メリュジーヌは、悪戯を企むように唇を突き出した。

「そ・う・と・く。ジュン・ヤザキが、この《アグライア》の最高責任者になることを、世界に知らせるのよ」

そういう役職、歴史の時間では習ったけれど、今の市民社会にはない。各星系に、惑星議会と惑星行政府があるだけ。植民惑星を代表するのは、惑星首都の市長や議長だ。その上に、連邦最高議会がある。

「総督って、つまり……」

「この都市の代表であり、最高責任者よ。これからはあなたが、この都市の経営に全責任を負うの」

ちょっと川に足を入れたら、どかんと洪水が来て、一気に海まで押し流されたみたい。

「前例にとらわれず、好きに運営するといいわ。この都市が人を集めて繁栄している限り、最高幹部会は、繁栄の中身に文句を言いません。あなたの好きな法律を作っていいのよ。というより、あなた自身が法律ね。その法律が気に入らない者は、この都市から出ていけばいいのだから」

アグライア編3 7章 エディ

「おい、大変だ!! 起きろ!!」

エイジに叩き起こされた時は、まだ明け方だった。彼は既に起きて稽古していたらしく、いつものトレーニングウェアを着ている。

「えっ、何か、ジュンのことで」

ぼくの問いかけに返事もせず、エイジはすぐさま、ルークやジェイクたちを起こしに行ってしまった。ただごとではない。いつも冷静なエイジが、あれほど慌てているとは。

顔だけ洗って急いで服を着て、みんなが談話室として使っている部屋に向かった。やはり叩き起こされた先輩たちが、ぞろぞろ集まってくる。

「何だよ、自分が早起きだからって」

「説明くらいしてもいいだろ」

植民惑星《ルシタニア》。惑星連邦軍の広大な地上基地の一隅にある、古い建物である。将校用の研修施設だったらしいが、親父さん以下、《エオス》のクルーは全員、この建物に軟禁されていた。

欲しいものは何でも注文できるし、あたりをジョギングすることも、将校クラブを利用することも、行き交う軍人たちとしゃべることもできるが、この基地の敷地から出ることは許されない。ぼくらがジュンを追って、辺境に出ていくことを防ぐためだ。

そんなこと、ぼくらの勝手だろうに。

親父さんはともかく、ぼくなんか、たとえ辺境で死ぬことになっても、市民社会の損失とはいえないだろう。ぼく一人でも辺境に出られれば、アイリスの助けを借りて、ジュンを捜せるかもしれないのに。

「何かわかったのか」

と部屋着姿の親父さんが、エイジに尋ねる。

「今、ニュースで流れました。再生しますから、見て下さい。俺が口で説明するより、その方がいい」

辺境の超空間ネットワークで大々的に流されたニュースを、中央の放送局や専門家がキャッチして、軍や司法局に止められる前にと、急いで流したものらしい。

辺境を支配する六大組織の一つ《キュクロプス》の一つ目マークが出て、組織としての公式発表だと説明された後、画面にジュンが現れた。なぜか、肩を広く開けた真っ赤なドレススーツ姿で、背後には、盛大に白い百合が飾られている。まるで、女優か政治家の記者会見のように。

(生きてる!! 本物だ!!)

まずは、どっと安堵が押し寄せた。誘拐されて以来、半月ぶりにジュンを見たことになる。

いささか緊張しているようだが、ジュンは元気そうだ。それにしても、耳には金とルビーのイヤリング、首には豪華な金のネックレスをきらめかせているのは、なぜなのだ。

とても似合うし、素敵だけれど、ジュンが自分から希望して、こんな格好をするとは思えない。これまでは、見合いの時だって、白いブラウスに紺のスーツだったのだから。

「全世界のみなさんに発表します。わたし、ジュン・ヤザキは、この度、《キュクロプス》と契約しました。この組織の新しい幹部として、違法都市《アグライア》の総督を務めます」

ええ!? 契約!?

総督って何だ!? つまり、違法都市の経営責任者か!?

「わたしは誘拐されてここまで来ましたが、《キュクロプス》は、わたしに都市の経営権を認めると約束しました。ですから、本日ただいまから、わたしの意志で、この都市を経営することにします」

ジュンの意志だって!?

「これから、この《アグライア》を辺境で一番安全な都市にしますから、連邦市民の皆さんも、どうぞ遊びに来て下さい。要望があれば、中央の外れまで迎えの船を差し向けます。そして、気に入ったら、ここで暮らして下さい。これまでの違法都市とは違う、安全で暮らしやすい都市にすることを約束します」

〝安全な違法都市〟だって!? それって、自己矛盾してないか!?

おまけに、一般市民を迎えるなんて。惑星連邦の存在意義に、真っ向から挑戦するようなものだ。軍も司法局も最高議会も、ハチの巣をつついたような騒ぎになるだろう。

これは、ジュンが違法組織の側に立つ……つまり、重犯罪者の一人になるということだ。もう二度と、市民社会には戻れない。

だが、ジュンだって、そんなことは、よくわきまえているはずだ。誘拐された結果とはいえ、もう、そこまで覚悟を決めてしまったということなのか。用意された原稿を、ただ棒読みしているのとは違う。ちゃんと、ジュン自身の言葉になっている。どこまでが台本で、どこから逸脱なのか、判然としないくらいに。

「ここではもう、バイオロイドを使い捨てにすることは認めません。保護を必要とする人は、わたしが守ります。いかがわしい店も、取り締まります。女性が安心して暮らせる街にします」

それではもう、違法都市ではない。普通の都市ではないか。ほとんど、政治家の演説のようでもある。これが放送されたということは、中身について、最高幹部会は承認しているのだ。

辺境の権力者たちは、本気で、ジュンに違法都市の改革を許すというのか……!? これだけ宣伝した後で、態度を翻すなんて、それこそ、みっともないことこの上ない。

「それから……」

ジュンはこほんと咳払いし、口調を変えて言った。

「ここから先は個人的な話ですが、せっかくの機会なので、《エオス》のみんなに伝えます」

ぼくらは揃って、身を乗り出した。ジュンは少し、照れたような様子になる。

「心配かけて、ごめんなさい。こういうことになりました。もう市民社会には帰れそうにないけれど、あたしのことは心配しないで下さい。ここで、やれるだけのことをやってみます」

隠せない不安は浮かんでいるが、逃げるつもりがないのもわかる。ジュンは本気だ。本気で言っている。

「最高幹部会は、あたしが〝連合〟に加われば、ヤザキ船長の名前を、懸賞金リストから外すと約束しました」

あ。それで。

「あたしが総督として、改革を試みることも認めると約束しました。だから、誘拐されてここまで来たことは確かだけれど、せっかく与えられた貴重な機会、生かさなくてはと思うことにしました」

最高幹部会は、ジュンの最大の弱点を突いたのだ。父親を愛しているという弱点を。親父さんの安全が約束されるなら、ジュンは取引を承知するだろう。自分の身がどうなろうとも。

「この辺境を少しでも変えられるかどうか、やってみなければわかりませんが、少なくとも、自分にできる限りのことをするつもりです。市民社会でお世話になった皆さん、今日まで、ありがとう。これからも、父をよろしく。以上です」

映像が消えてからも、しばらく、何も言えなかった。そんな、永遠の別れみたいなことを。

その発表の後に、中央の放送局からの補足説明が流れた。違法組織に囚われたジュン・ヤザキは、父親の安全保障と引き替えに、違法組織の一員となることを承諾した様子だと。それに加えて、学者や評論家が呼ばれ、あれこれ考えを述べている。軍や司法局は、まだ事実関係の確認中だとして、正式のコメントを発表していない。最高議会では、司法委員会が臨時招集をかける模様だとか。

「冗談じゃない!!」

ようやく、声が出た。

「ジュンがこのまま辺境に埋もれるなんて、あるわけない!! 絶対、取り戻しますよ!! そうでしょう!? 居場所はわかったんだから、取り返せます!!」

しかし、先輩たちは、それぞれに考え込んでいる。誰からもまだ、冗談は出ない。

「もしかしたら、我々が考えていたより、最高幹部会は進んでいるのかもしれない」

と言ったのはバシムだ。

「進んでいる?」

「ジュンに目を付け、新しいスターとして抜擢したんだ。たいした見識だ」

抜擢だって。誘拐して、脅迫することが!?

「感心してる場合じゃないですよ!! 奴らが本気で改革なんて、させるわけがない!! 何か企みがあるのに決まってる!!」

しかし、ルークも言う。

「そもそも、ジュンを懸賞金リストに載せたこと自体、このための伏線だったんだな。もしかすると、彼らは何年も前から、ずっとジュンに注目していたのかもしれない。それこそ、ジュンが《エオス》に乗る、ずっと前からだ」

いずれ、自分たちの側に引き込むために?

エイジも同意する顔で言う。

「これまでの事件の数々、ジュンは見事に乗り切ってきたからな。最初は、親父さんの娘だからと注目された面もあるが、軍でも司法局でも、わかる者にはわかっていた。あいつが大物だってことは」

じんわりと、恐怖が染みてきた。このままではジュンが、手の届かない彼方に去ってしまう。

「それじゃ、最高幹部会は、本気でジュンを〝連合〟に引き入れたっていうんですか。何かの罠とか、作戦じゃなくて?」

すると、バシムが重々しく言う。

「こうやって全世界に声明を流したんだから、この取引は、おそらく本物だろう。世界が注目しているんだから、最高幹部会だって、そう簡単には、ジュンを切り捨てられない」

それは、ジュンの安全だけ考えたら、いいことなのかもしれないが。

「つまり、翔・ダグラス・矢崎は、もはやどうでもいい、ということだ。彼らはジュンが、違法組織の側の看板になることを狙っている。ちょうど、〝リリス〟が司法局の看板になっているようなものだ」

ぼくは立っていられず、近くの椅子に崩れ落ちてしまう。ジュンが、あの伝説のハンター〝リリス〟の向こうを張る看板になる、だって。

今まで身近にいたジュンが、手の届かない、遠い星になってしまったようなものだ。

いや、だが、最初から、わかっていたことではないか。ジュンが将来、市民社会の柱になる大物だということは。

それを、悪の帝国までが認めたということだ。そして、素早く自分たちの側に取り込んだ。

彼らは正しい。ジュンなら、やってのけるだろう。違法都市の総督だろうと、違法組織の幹部だろうと。そして、その中で、自分の理想を実現しようとする。

だが、それなら、ぼくは。他に選択肢などない。ぼくも、ジュンの元へ行くのだ。そして、ジュンの手助けをする。ぼくが生きる意味は、他にないではないか。

「親父さん……」

ぼくが黒髪のダンディを振り向くと、苦い顔で言われた。

「だめだ」

そんな、まだ、何も言ってないのに。

「ジュンを追って《アグライア》に行くと言うんだろうが、それはさせられん。二度と帰ってこられなくなる。きみには、家族も故郷もあるのだから」

違う。そんなしがらみは、もうない。リナ・クレール艦長と同僚たち、パトロール艦《トリスタン》が吹き飛んだ時、ぼくもいったん死んだ。灰色の、黄泉の世界をさまよった。そして、ジュンに出会ったことで、生まれ変わった。

魂の地獄を歩いたからこそ、生きる覚悟が定まったのだ。今はただ、この出会いを無駄にしないことを考えている。

「ジュンのいる所が、ぼくの居場所です。どこへ帰る必要もありません。何とかして《アグライア》に行きます」

冷静に横槍を入れたのは、バシムだ。

「別に止めないが、それを連邦政府が認めてくれるかどうかだ。我々は当面、ここに軟禁されたままだろう」

ルークとエイジは、ぼそぼそ相談し合っている。

「司法局に様子を聞いてみよう。お偉いさんたち、今頃、緊急会議を招集してるぞ」

「同級生に当たってみるよ。一般市民がどう思ってるか、声を集めてみる」

ぼくは気がついた。ジェイクがずっと、片隅で黙りこくったままだ。腕を組んで、顔を曇らせて。《エオス》の副長として、何か冷静な意見を言いそうなものなのに。

   アグライア編4に続く

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