政府・日銀は2%インフレ目標をなぜ固執するのか
令和3年記述
平成24年末政権返り咲きを果たした安部首相は、日銀の金融政策に強い不満を示し、当時の白川総裁に2%インフレ目標の2年での達成や、国債の大量買入れなどを厳しく迫った。翌平成25年1月政府と日銀はデフレ脱却を目指した「政策協定」について共同声明を発表した。
白川総裁が安部首相の要求をなぜ丸のみしたのか、それは政府が日銀の独立性を侵す「日銀法改正」を阻止するためだった。安部首相は白川日銀が意のままにならないと見て、平成25年4月自分の主張に従う黒田総裁に入れ替えた。
安部首相の経済政策にはブレインの一人浜田宏一エール大学名誉教授が強い影響力を持っている。そのすすめる経済理論はP.クルーグマン※MIT教授の一論文にあるらしいことがわかったが、論文を直接見ることはできなかった。クルーグマン・モデルの大筋は次の通りである。
※2008年ノーベル経済学賞受賞
名目金利がゼロになると、いわゆる「流動性のわな」で金利政策が有効性を失う。そこで金利を下げる代わりにマネーサプライの増大、いわゆる量的緩和政策が登場する。このモデルでは利子率が正のときには貨幣数量説が成立する(貨幣数量を増やすと比例的に名目物価が上昇する)ところが利子率がゼロになると、貨幣と債権の区別がなくなるから、貨幣の保有を節約しようとする誘因が失われ貨幣数量説が成立しなくなる。このようにゼロ金利下では金融政策が手詰まり状態に陥るが、このモデルでは「現在」と「将来」という二つの期間から成る動学モデルを作って、現在はゼロ金利であっても、将来はゼロ金利ではないと仮定するという変化球を投げてくる。すなわち将来マネーサプライが増大するという期・待・を生み出しさえすれば、インフレ期待で物価が上昇し、たとえ名目利子率がゼロであっても。実質利率が低下するから、需要が刺激され、流動性のわなから脱出することができる。これがクルーグマン・モデルである
クルーグマンは将来のマネーサプライが十分に増大するということをマーケットに知らしめるシグナルとして「現在の量的緩和」を提案する。現在のマネーサプライ増大自体は物価を上げる効力を持たないが、それが将来のマネーサプライ増大の期待を生み出せば、インフレ期待を通して実質利子率を下げさせることができるからである。
一方、わが国では「マネーサプライ増大」による「インフレ目標」を設定して、将来の物価上昇を確実にすることを通じて実質利子率を下げるという政策である。この政策は当時財務省副財務官伊藤隆敏氏が強くすすめたと推測する。クルーグマンが来日時、この伊藤氏との座談会でインフレ目標政策は間違っていないと発言している。
このインフレ・ターゲティングという政策はもともと高いインフレ率に悩んでいた国がインフレ率を鎮静化させるために導入したものである、わが国のようにデフレ解消のためのインフレ・ターゲティング政策を行った国はない。
以上で容易に想像できるように、こと物価に関する限り、クルーグマン・モデルで重要な役割を果たすのは「貨幣数量説」である。それは一般に次のように表される。
M・V=P・T
M:貨幣量、V:流通速度、P:物価、T:取引量
現在主流はの経済学ではこの貨幣数量説を重要な法則として復活利用している。しかし上に示した公式は恒等式であって事後的関係を示すにすぎず、因果関係を示す方程式ではない。Mを増やせばPが上昇する(M→P)という因果関係を示しているわけではない。従ってこの貨幣数量説は経済学史上、重要度の低い法則に格下げされているのである。
ケンブリッジの論客D.H.ロバートソンは1922年出版の著書で「この退屈なまでの自明の理が、ときとして”貨幣数量説”の名のもとに、一方ではまるで大発見という位置まで祭り上げられ、他方では害毒を流す虚偽として告発されてきた」と述べている。
経済学に革命をもらたしたJ.M.ケインズは当初貨幣数量説によって教育されたが、それから観戦に離脱できたのは、1939年2月付の「一般理論」のフランス語版の序文に明確に述べている。
貨幣数量説をマクロ経済の変動を説明する法則として位置付けることは全く誤りである。従ってクルーグマン・モデルやインフレ目標政策は間違った経済法則により導き出されたものであり、不適切と言わざるを得ない。
黒田総裁は当初2%インフレ目標政策は2年間の短期決戦だと説明していたが実際には金融緩和をやめられないまま8年になる。現所うは正に泥沼化している。
安倍政権の目的は「デブレ脱却」だった。穏やかな物下落が生じたのは事実である。それをデブレと定義すればデブレだろうが、物価が下落することは消費者にとって有難いこと。私は不況を伴う物価下落をデフレと考えるから、現在はデブレではない。エコノミストにとって1930年代の不況を連想させる恐怖感があり、多くの国民は物価下落というより将来の生活不安など現状への不満を表すのだ。
日銀はこの異次元緩和をいずれ混乱なく終わらせなければならない。欧米の中央銀行は必至に着実に出口に向かって歩んでいる。ところが日銀のみは緩和をやめられないまま8年が経過した。黒田総裁はそれでも「出口論は時期尚早」と繰り返すばかり。国民の不安に真摯に向き合う気が全くないのだ。
以上