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あの日あの時

やっちゃば一代記 大木健二の洋菜ものがたり
 ドンぶり勘定の河岸気質
当時 京橋の大根河岸にはそれぞれお抱えの山(産地)をもつ大問屋と、そこから買い付ける仲買がいて、小売店に売ったり、料理屋に納めたりしていました。
荷主は主に牛車、大八車、船の三つの輸送手段で荷物を運びます。大問屋は京橋川の岸壁に満潮時の水位に合わせた船着き場を設けていたほか、陸の上には荷主のための休憩所や仮眠所を用意していました。三長(元の東京中央青果)のような大きいところほど場所が広くとってあり、それだけ産地の信頼も厚かったのです。
取引方法はもっぱら相対売り。セリは特殊な青果物だけです。勘定はドンぶり勘定。一銭、二銭といった細かい計算はしみったれ、せせこましい、などとされて軽蔑される風潮が支配的でした。わたしも鷹揚というかズボラといかそんな気質が身についてしまったと考えています。その代わりに納め先からしばしばご馳走されたり、いろいろと食材の勉強をさせてもらったのでした。

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