やっちゃば一代記 実録(14)大木健二伝
やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
初セリ
初セリの日、健二は売買参人の番号が付いた持丸倉吉の帽子をひっつかむと、セリ台の前に居並ぶ仲買人や八百屋の親父衆のなかにぐいぐい割り込み、セリ人を睨むようにしたセリの始まるのを待った。
”最初が肝心だ。おどおどしていたら見くびられる!””よし!、買い占める勢いで競ってやる!”
健二は初めから挑戦的だった。誰よりも高値を出して競り落とした。親父衆が呆れた風な眼を健二に向ける。気持ちが良かった。
健二の持ち場は近在物売り場、促成物売り場、洋菜売り場の三つだが、いずれのセリ人もいかめしい顔つきをし、ひどく威張っていた。だが、他人より高い値段で競り落とすのだから、立場はこちらが上だ、すべからく堂々とやればいいのだ。健二の自信はセリに出るたびに補強されていった。だが、高値で買って安く売っていたのでは元も子もない。高くても納得して買ってくれるお客を持っていなければ帳尻は合わない。健二は店に泊まり込み、午前三時にはセリ場にいた。他の仲買人はまだ来ていない。セリまでの三時間は品見と情報収集だ。あちこちでセリ人と荷主が立ち話をしている。死角でこっそり聞き耳を立てる。・・・”八丈島がしけもようか。よし、レタスとセロリはすべて買いだ!”
昭和二十年代までセロリ、レタスは八丈島が主産地で週一度しか入荷しなかったから、こうした情報は宝くじを当てたようなものだ。一箱一円ものが、仕入れ後は二円、三円、時によっては五円で売れた。先取り情報をもとに、健二はこれと思ったものなら誰よりも高い値でセリ落とし、その気迫と粘り腰は周囲の仲買人を圧倒した。誰かが一円の手やりを突けば一円二十銭を、一円三十銭で対抗したら一円五十銭の手やりで切り返した。同業の仲買人らは十八歳の若僧に臍を噛み、舌を巻いた。
しかし、情報に裏打ちされているとはいっても、リスクの大きい買い占めである。たまには裏目が出る。そんな健二を店主の倉吉は黙って見守っていた。それは幼い頃、やんちゃな健二に対する父、新太郎の姿と重なった。
「自分の道は自分で見つけろ!」・・新太郎の言葉が聞こえてくるようだった。仕入れたものはすべて始末をつけるーーーそんな覚悟が健二の気持ちを奮い立たせた。持倉は築地への引っ越しに合わせて隅田川の近くに野菜専用の冷蔵庫を借りた。当日売り切りが普通だった時代に、野菜を二、三日保管しておけるのは有難い。冷蔵庫のレンタルは健二の強気買いを支えたが、それにまして健二は大根河岸から続けていたつま野菜の引き売りに精を出すのだった。