【ショートショート】 今はまだ、どこともしれない始発駅。
校舎とグラウンドの間には、小さな坂がある。校舎がグラウンドを見下すかたちだ。
グラウンドでは、クラスメイトがボールを追いかけ回っている。隼人はその風景を、坂に寝転んで眺めていた。体育教師はいない。壊れたホイッスルを取り替えに、準備室に戻っていったところだ。今はその隙にできた貴重な休憩時間。といっても、教師はパス練習をするよう、言いつけていったのだが。グラウンドのどこを見ても、その形相をなしてはいない。
「お前はのぞみ、ひかり、こだま、どれが良い?」
唐突な問いかけに、隼人は目を細める。横を見やれば、勇気は仰向けになって空を見つめていた。2人しかいない場所。隼人に話しかけているのは明白だ。
「なんだ、それ」
「新幹線だろ」
「授業サボって旅行にでも行く気か?」
「違うわ。夢の話だ」
「は?」
クラスメイトを冷ややかな目で見ていた隼人と違い、勇気は大真面目な顔をして空とにらめっこをしていたようだ。
「世の中にはさ、俺らと同じような年齢でプロになる奴がいるだろ。そんで、俺らより何倍も上の先輩がやっと夢を叶えたりもするわけだ。もちろん、その中間のやつらもいる。お前は、どれが良い」
そこまで聞いて、隼人は理解した。
「それで、のぞみ、ひかり、こだま、か」
勇気に習い、隼人も空を見つめることにする。
勇気は夢が叶うまでのスピードを新幹線に例えたのだ。
なにを思い、夢のない隼人にそう聞いたのか。勿論、隼人は分からない。勇気の気持ちなんて知る由もない。隼人は『夢なんて叶ってなんぼだ』としか、思っていないのだから。
適当な答えが見つからず、隼人は考えあぐねる。そうしてできた沈黙を、勇気が破った。
「俺は、のぞみが良いよ」
のぞみは一番早い新幹線だ。どうやら勇気は今すぐにでもプロになって、夢の舞台に立ちたいらしい。
「一足飛びに夢叶えてさ、早く幸せになりたい」
隼人は勇気を見た。幸せになりたいなんて、なんてクサい言葉を吐くんだ。そう思ったに違いない。表情を歪め勇気を見る目が、夢あるものを貶しているように見える。だが同時に、その眩しさに目が眩んでしまったようにも見えた。
「そうか。でもな、この歳になると重要なのは走行距離だぞ」
足元から聞こえてきた声に、2人は飛び上がる。急いで声の主を探す。
「先生」
「夢が叶っても、一瞬で辞めてしまう奴もいるからな。叶えば幸せってほど単純なものでもない」
坂の下で仁王立ちした教師に、2人は頬をひきつらせた。次には怒声がとんでくるのではないかと、身を強張らせる。
しかし、教師は叫ぶことなく、言葉を続けた。
「結局、夢が叶う前も叶ってからも、やることは一緒なんだ。夢が叶ったからと言って、幸せになれるわけじゃない」
ふと教師の目が哀愁に満ちた。だが、すぐに作り笑顔に変わる。その機微を、2人はまだ捉えることができない。
仁王立ちする教師を、2人はただ見ていた。
「要するに、どれだけ長く夢のための努力を続けられるのか、だな。そのためには、飽きないことも大切だ」
教師の満面の笑顔に2人は顔を見合わせ、目をしばたたかせた。
怒られるどころか、笑顔が返ってきた。2人は教師の話よりも、叱責の有無について関心があるようだ。そして教師の笑顔に胸を撫で下ろした、その瞬間、
「それでお前ら、いつまでサボってるつもりだ」
教師の顔は一変し、重低音が響く。
隼人と勇気は背筋を凍らせた。
「すいません!」
2人は駆け出す。一目散に、グラウンドに向かって。夢の終着駅も分からずに。
坂道にのせられた勢いに足をとられそうになりながら、進め!
《《《12│14》》》