「教育」について

教育とはいったい何なのか。

私は数年間、その教育と世間では呼ばれうる場所で勤務しているわけだが、未だに謎である。
私が観測するかぎり、教育には実体がないのだと思う。公教育や高等教育などでは、彼らなりの教育観に基づいて教育を実践しているわけだが、その一連の行為において、私は甚だしい違和感を感じ続けている。
教育を取り巻く現状を私はこう捉える。

「大人が子どもを食い物にする大人の自己承認及び自己満足増幅装置」

私が関わる業界では、頓馬であり、自己中心的かつ短絡的な思考回路であり、誠実さのかけらもない大人で溢れかえっている。
非常に情けないが、このような大人と関わってしまう拒否権のない子どもたちは不憫でならない。
上記のような者たちを、私は心の底から軽蔑するし、軽蔑することに留まらず、ある種の「絶望」を抱いてしまう。

「五感を、脳を使って考えているか」
「自己実現のために、生徒を利用していないか」
「そこに誠実さや誠意はあるか」

子どもたちには、私たちとは違い「希望」に満ちている。

私の捉える「絶望」が、彼ら(彼女ら)の「希望」を搾取することは絶対に許されない。

令和4年度は怒りやあきらめ、失望から始まり絶望。ネガティブな一年であった。

が、ネガティブをネガティブで終わられるわけにはいかない。
「希望の光」がわずかでも差し込む令和5年度にしなければならない。

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