「頓馬」について

なかなか強烈な言葉である。

解剖学者の養老孟司氏は以下のようなことをおっしゃっていた。
「頭がいいと頭がタフは違う」

俗に言う「勉強ができない(苦手)」が頓馬ではない。
「考えない、考えれない、考えたくない」が頓馬である。

① 今の自分では理解不能な事象や出来事に日々生活していれば、いくつか遭遇する。

② ①について、時間は要するが思考し、考えうる「解」を導きだす。

① は「感覚」である。何か違和感がある、心地よくない、謎めいていると感じることができるか。
② は「思考」である。抽象的な物事から逃げることなく考えぬくことができるか。

上記の過程を踏むことができない人々を私は「頓馬」と呼んでいる。そして、それらを実践するには、「頭のタフさ」が必要となる。

勉強ができる・できないはあまり関係ない。
勉強することがたまたま得意であった者は、私たち社会が作り出した評価尺度(学歴偏重主義)ですごいと評価され、価値のある者として見られる。
前述したが、頭がいい≠頭がタフ であるとするならば、「頭がタフ」は人を選ばない。誰でもなれる。ゆえに、「頭がタフ」でない者が多ければ多いほど、社会の民度の低下(劣化)と言わざるをえなくなり、この問題の大きさがうかがえる。

この問題の解決手段として、真っ先に「教育」を思い浮かべるのだが、
教育現場に群がる頓馬(全員ではない)にこの問題を解決するのはおそらく、無理であろう。

だからこそ、私たちは新たな「手段」を模索しなければならないし、もがき続けるしかないのではないか、と日々悶々と過ごしている。



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