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正解が分からない自分を知る旅

とにかく考える。そんな日々を過ごしていた。

娘とお別れした時から、約半年。

想像出来なかった。

悲しみや、苦しみから抜け出せるのか。

時間が長くて、歪んだでいたからだ。

娘と向き合う事は自分と向き合う事だった。

私は、あまり良い環境で育っていなかった。
いつ精神が崩壊してもおかしくなかった。

だから娘には自分と同じような思いをさせたくないと、必死に愛情を与える母親でありたかった。

しかし、愛情だけでは補えない何かがあるのか…。と、挫折感のようなものを感じていた。

すると、なぜ自分生きていられたのか、不思議に思った。

どうやら、私は何度も転んで、それでも起き上がる強さがあるらしい。

幼い自分はいつも、寂しくて、辛くて泣いていた。

それなのに、人生は良い事と悪い事が同じ位の割合で起こると、誰に教えられた訳でもないのにそう思っていた。

だから、今は我慢して、何か分からないけれど毎日祈りながら眠っていた。

「明日が今日より良くなりますよに…。」

そして何とか生きてきたけれど、いつも何かと戦っていた。

答えがない疑問と向き合ってきた。

けれど、改めて自分と向き合ってきた時、自分がいかにその時を必死に生きてきたか、頑張ってきたか…に気が付いた。

誰かを恨んでも、自分がしてこなかった事を後悔しても、結局今は変わらないのだと。

また転んだ。だから、起き上がるのだ。

もしも、前世みたいなものがあって、人間として生まれ変われると言われたとして、何個か選択肢があったとする。

私は嫌な事を先に済ませたい性格。

だとしたら、人生においてもたくさんの苦労を前半にするけど、その後は平穏に暮らせるよ。と言われたら、それを選択すると思う。

若い頃の苦労は買ってでもしろ。

なんて言葉もある。

私は今、若い頃の苦労や苦悩の日々があって良かったと思っている。

色々な立ち上がり方を知っているからだ。

そして、そんな頑張ってきた自分を許して、褒めてあげる事にした。

すると、自分の産まれて環境も【仕方ない】と思えて、父や母の事に対しても感謝出来るようになった。

娘も、私にとってもちろん大切で、お別れした事も悲しいけれど、苦しかったのなら自由になれて良かったと思って。解放してあげなきゃいけないな。と思った。

優しい子だったから、私が泣いてたら心配でどこにも行けなくなっちゃう。

だから、自分も自由に生きる。

ちゃんと過去と区切りをつけて、起き上がろうとしている。
区切りはつけるけど、大切なものだけは持っておこうと思う。

そうやって、歪んだ時間も心も、ちゃんと自分で修正していく感覚は、今までに無いものだ。

自分は弱いと思い続けてきたが、そんな事も無いと思ったのも、新しい感覚。

そして、色々な人に守られている気がするのも、過去を振り返って思う事。

今まで目を背けてきた事もちゃんと向き合ったら、何となく、父も母も娘も、遺影の姿が今までより微笑んでる様に見えた。


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