おじちゃんと孫(ドキドキ退院1日目)
父の癌は、脳と肝臓、骨にも転移があった。
一時退院の時で既に、目が見えにくい状態で、手に力が入らず書く事もままなかなった。歩くリハビリも始めたばかり。
それには、本人の孫の誕生日に絶対帰りたいという思いに、何とかしてあげたいと奮闘してくれた看護師さん達の力があった。
初日は、帰りながら1週間、何ともなければ何をしたいか予定を話ながら帰った。
電話で話をするよりも、直接話す事の温かみを感じでハンドルを持つ手が引き締まった。
ボロい六畳二間のアパートに到着すると、入院先の看護師さん2人と、訪問看護の人が3人待ち構えていた。
車を玄関に横付けして、看護師さん達に挨拶をし、玄関を開けると、父が車から飛び出すように出てきて、数段ある段差をヒョイっと登って部屋に入ろうとした。
「ちょっと!1人でそんな段差勝手に登っちゃだめだよ。」
入院先の看護師さんが飛んできて、体を支えた。
「まだ、歩くリハビリしかしてないんですよ。それに、心拍数上がっちゃうからね。」
ドキっとした。
担当医からは、帰りの車の中でも何がかるか分からないと言われていたのに。
無事に到着したのに、すぐ帰るはめになる所だった。
それから、父はとりあえずソファーに座らさせて、看護師さんが5人間取りと動線のチェックに入った。
ベッドがあると言っていたが、簡易装置を体より下にしなければならないと言われて、低すぎるベッドをどうしようか。
段差をあまり通らないように、家具を動かしたり。
お風呂は危険だから、私の家でシャワーを浴びる事になった。
低すぎるベッド問題は、ちょうど息子が学校から帰ってくる連絡が入り、家から息子のベッドを持って来る事にした。
息子と合流して、事情を話て引っ越した時に買ってもらったパイプベッドを父の家に持って行く事にした。
私が不在の間も、来てくれた看護師さんが訪問看護の人達と入念な打ち合わせをしていた。
「じいちゃん!」
2ヶ月ぶりの再開は、何だか六畳二間に人が8人と、たくさんいる状態で、感動を味わっている所では無かった。
ベッドを搬入組み立て。
最終チェック。
「先生が心配だという事なので、今日は誰か一緒に泊まれますか?」
父は「1人で大丈夫だよ!」と言うが、私が泊まる事になった。
移動は最小限に。
段差は1人で降りたり登ったりしちゃダメ。
食べ物の制限はないけど、何かあればすぐ救急車。
午後の明るい時間に帰って来たのに、既に暗くなり始めていた。
そこまで掛かって、病院の看護師さん2人は帰って行った。
そこから、訪問看護の人達との打ち合わせで、書類を書いたりしていた。
その間、じいちゃんと孫は2人で何やらお話中。
その後、「明日来ますね。」と言って、訪問看護の人も帰った。
私はそれかは、必要な物の買い出しに一旦息子と近くのスーパーとドラッグストアに行った。
気が気でない状況だが、我が家のご飯も父のご飯も必要だ。それに、衛生用品も一揃。
あっという間に暗くなっていた。
何を食べたか覚えていないが、晩ご飯を食べて、私は1回家に帰り、6月でまだ涼しかった事もあって、軽い寝具を持ってまた父の所に戻った。
疲れたが、気を抜けないというよりも、どうにか1週間を無駄にしたくない気持ちで一杯だった。
父はぐっすり眠っていた。
「こんなボロ家だけど、やっぱり我が家が落ち着くな。」
帰って来て、第一声がそれだった。
私は、ウトウトしながらも、背中から出ている管を時々見たり、手のひら位のサイズのボトルのような管と繫がっている装置とやらを確認して、朝方少し眠る事が出来た。