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おじいちゃんと孫(最後の大仕事)

最初は手汗が凄くて怖い。と言いながらも、運転を覚えた息子は、じいちゃんと2人で出掛けて行った。

仕事の手伝いも続けていた。

ただ、70歳になると父の様子がおかしくなっていった。

コロナも終息しつつあって、泊まりでも出かけられそうだと話をしていた頃。

京都に出張で行って帰ってくると、目が霞んで見えにくい。と言い出し、眼科で検査するものの異常なし。

膝が痛くて、整形外科に相談するも異常なし。

疲れているんだろう。
年のせいかなあ。
やっぱり70歳になると、体がもたないな。

そういう父の姿が小さく見えた。

もともと血圧が高くて内科に通っていたから、そこの先生にも相談した。
血液検査で、何かの数値が高いと言われたらしいが、様子を見ようと言われたらしい。

精力的だった父が、「疲れたから、今日は帰るな。」と言って、息子とのお出掛けも早く切り上げる程だった。

そして、ついに原因が判明する。

「多分、いや、間違いなく肺がんだと思う。」突然の事だった。
内科で胸の痛みもあると言って、ようやくレントゲンを撮ったら、手の拳程の影があったというのだ。

そして、息子に運転と付添を頼み、大きな病院に行って帰ってきた時に私にようやく話をしてくた。
そして、検査入院はするが、大きな仕事が終らせてからにする。というのだ。

コホン
コホン

と、話の途中で咳が入ってくる。 

この時点で、父は死を覚悟していたと思う。

しかも、私ではなく息子に先に伝えていた事を思うと、複雑な心境になった。多分、私の事を慮ってくれたのだと察した。

それでも息子は18歳で、大好きだったじいちゃんが、危機敵状況で不安ではないのか、どちらの事も心配になった。

息子は私の前では泣いたりしなかった。
ただ淡々と現実として受け止めていた。
多分、じいちゃんとたくさん話をしたのだと思う。
何を話たのかは分からないが、嘘偽りなく真実と現実を2人で話していたのだの思う。

そして、最後の大仕事が京都まで行く事は決まって、しかも機材を持ち込むから車で行かざるを得ない状況となった。

私は学校を休んで良いから、じいちゃんと一緒に行ってあげて欲しいと息子に頼んだ。

「任せろ!」
そう言って、2泊3日。仕事ではあるが、終わったら、少しは観光出来るのではないか?なんて話を2人は楽しそうにしていた。

私も、前向きに考えていた。
今は癌の薬や治療は格段に進歩している。
確かに癌は大きいのかもしれないが、本人の生きる力に掛けてみようと思った。


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