![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/166967139/rectangle_large_type_2_8104cc0c4782ca304e6e3112f7a32f49.png?width=1200)
おばあちゃんのけん玉
大事にしていたけん玉。
よく遊んだけん玉。
おばあちゃんからもらったけん玉。
「どこにやっただろう」
6年生になったなった今、ふと思い出した。幼稚園の頃は毎日遊んでいた。
「1年生の時まで記憶はあるんだけどなぁ…」
小学生になった時に大好きだったおばあちゃんが亡くなった。悲しい記憶と共に、けん玉もどこかにいってしまった。
「でも、今さらけん玉見つけてもな~」と、言いつつやはり気になり探し始めた。
「う~ん、どこにやったかなぁ…まったく憶えてないや」
自分の部屋、倉庫、昔のおばあちゃんの部屋。どこを探しても見つからない。
「あーもういいや、やめた」諦めて外へ遊びに行った。
でも、こういう日に限ってやたらけん玉を見かけた。けん玉遊びをしている小さな女の子。けん玉が並んで売っているお店。けん玉の話をしている人たち。
(なんだろう、けん玉のことが頭から離れない)
帰ってからまた探したけどやはり見つからない。
(けん玉、けん玉って今日はどうしたんだ)
「まぁいいや、もう寝よう」
その日は夢を見た。小さな男の子がけん玉で遊んでいる。
(だれだ…)隣におばあちゃんが座っていた。
(あれは…俺か)楽しそうに笑ってけん玉遊びをしているのは昔の自分だった。
(あれ…今度は)おばあちゃんのお葬式の時。
(あの時は…泣いたっけ)
「おばあちゃん…」
夢から覚めて、枕元にはけん玉があった。
「そっか…悲しさと共に忘れていたんだ」
今日はおばあちゃんの命日だった。
「おばあちゃんが届けてくれたのか…ありがとう」
振り向くと微笑んでいるおばあちゃんの顔を見た気がした。
(了)
読んでいただきありがとうございました。
学生時代、児童文学研究会に慣れてきた頃の作品だった記憶があります。
当時、私の代の部長が「子供が読んでもわかるように」を合言葉に何度も言っていました。
難しい辻褄合わせはほとんど考えず、当時は流れるままに書いたように感じます。
しかし、大人になった今でも面白い児童文学とは?そもそも児童文学の定義とは?
ここの部分が難しく、縛られて、悩んで、どのジャンルを編集、改訂してもいまいち自分が物書きしている実感がありません。
物書きのプロでもなんでもないので、自由にやればいいと思えば楽ですが。。
しかし、noteに上げてみると、好みの作品が自分にはあるよう?に感じてきました。
やはり、過去に書いた作品を一度全部noteに上げてみて、そこからまたなにか見つかると良いな、と今は思っています。