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1人が好き あなたが好き

HSPの私は、人より少し考え過ぎてしまい
どうしても遠回りをする癖があります
でもやっぱり
辿り着く先は「ほっこり温かい場所」だと信じています

出掛けるには、まだ早過ぎた時間でした。

もうひと息、街は起きていなくて
好みの服が、ディスプレイしてあるお店も
いかにもお洒落な感じのカフェも

中に入る扉は、固く閉じていました。

その頃、私たち夫婦はまだ50代で

その日は珍しく「私がリクエスト」し、車で街巡りをする事になりました。

🌿🌿🌿🌿🌿

昔、子供たちと人生ゲームに興じた事があります。

皆んなで騒ぎ、笑い、とても面白かったのを覚えています。

昭和のボードゲームの代表である人生ゲームが面白かったのは

もちろんゲーム自体が楽しいのも、大きな要因ですが

それは同じ空気の中で、わちゃわちゃと

大人でも子供でも
同じ熱さで「楽しい」を共有していたからだと思います。

🌿🌿🌿🌿🌿

朝のシン…とした
数時間後には、賑わうであろう街の
ポツンと空いていたチェーン店の珈琲を注文して
少しガランとした店内に、私たちは座りました。

「まだ早いから仕方ないよね」
そう感じながら、時間が経っていきました。

話すでもなく、話すでもなく…話すでもなく。

もう結婚して長いので
沈黙が辛い間柄では無いけれど
今は、こんな時間の中だからこそ
ゆっくり話したかった自分がいました。

普段から、口下手だと自分でも言っている主人は
その朝も、自分からはあまり話さず
結局、私が黙っていれば沈黙はずっと続きます。

なぜだかその日は
私はとても話したかったのです。
でも、いつもの様に「自分発信の言葉」が
なかなか進まなかった・・・
そんな滑らかには流れない2人の朝でした。

どんなシチュエーションでも話せる夫婦はいて
お互いが、共有出来る話題があって
片方が片方に寄る…事もなく

毎日の何気ない景色に
隠れてしまうほどの会話が
いつでも長く出来る夫婦もいます。

その時の私は
スッと自分たちに訪れた「空き時間」のような隙間の中で

将来のことや、今のことや、つまらない事を
力まずに共有したかったのだと思います。

どんな景色でも
それが「始まらない朝」の景色だとしても
「今」を
2人で見て、感じているからです。

特別な何かをしなくても
1人とは違う時間があったら良いなと
その時は思っていたのかも知れません。

でも会話は
面白いほどに、重なり合わなかったのでした。

50代の後半は、特に心身のバランスが崩れてしまう女性が多いです。

何かチグハグな事柄を
全てそんな年代で片付けるほど、大雑把ではありませんが
夫婦の間柄も
そんなふうに噛み合わない時期が
訪れる事も、あるかと思います。

喧嘩するわけでもなく
いえ…喧嘩をするエネルギーは2人とも持っていなくて
仕事以外では、
面倒なことには
あまり関わりたくはない年代でしょうか…特に男性はですね。

「何で何も話さないんだろう…」
「何でいつも、私発信なんだろう…」
つまらなそうにはしていなくても
面白そうにもしていない
饒舌なんて期待しないけれど
「面白がる様子」くらいは感じたかった…
でも、これは私のワガママなのでしょう。

それからの私は、何かを諦めたように
「自分で楽しむ事」を選ぶようになりました。

「楽しんでいるかな?」と気を使って、自分発信の予定を組むよりは

相手が決めた「今日したい事」に寄り添った方が
気が楽になる…と考えた事もありました。

怒りでもなく、もちろん反発でもなく
それは私の、平和的に生きる選択だったのかも知れません。

そう…試着室で
サイズが微妙に違う時
同じ服のサイズ違いを、着直すようにです。

形も色も同じ、でもサイズが違う服。

ただ着直してみても、何処かピッタリではないから
大きめに決めてしまう・・・
あの感じです。

それからは夫婦で楽しむ事、自分で楽しむ事を分けていた様な気がします。

乗り物が苦手な私は、行けるのは自転車で行ける距離ですが

1人でお買い物をしたり、お茶をしたり、ランチをしたり

何も気にしない「1人」は、けっこう気楽でした。

時間が経てばまた、家族が集う家がある
そんな「1人」は贅沢です。

人の温もりを守った上での「1人」は、決して孤独ではありません。

🌿🌿🌿🌿🌿

そして時がたち、夫婦に幾つかの試練がやって来ました。

経済的な苦難や、自分らの価値観を問われる出来事たち・・・

それまでの「良しとした事」を覆された50代後半の人生は
予想だにしなかった空虚な日々でした。

1人も2人も何も感じない
共感も共有も何も生まれない
全部が止まったような暮らしでした。

自分や相手の生き方を、たどっては苦慮し
慰めたり、心で憤ったり。

そしてそんな暮らしが、2年半ほど続きました。
薄紙を剥ぐように・・・という言葉の意味を
実感しながら生きて
本当に少しずつ日常が返って来ました。

今から思えば、そんな大きな波は
人を強くして
同時に自分の弱みを知らされ
そして「しなやか」に変わる力を
2人に与えてくれた気がします。

人の小さな気持ちのヒダに寄り添う事を、知らしめてくれました。

「自分の意思」を貫く時と、引く時の塩梅を教えてくれました。

今、60代になった夫婦は
「相手のしたい事、したくない事」を
何かを決める前に
互いに問う様になりました。

初めて互いが、同時に持ちあえた
真の「配慮」という感覚かも知れません。

自然に持っている夫婦もいれば

一緒に生きるうちに「合うのが当たり前」「合わせるのが当たり前」になってしまい

気がつくと相手の変化や想いに気がつかず
自分の昔ながらな感覚だけが
置いてきぼりになっている夫婦も、いるかと思います。

今、私たち夫婦は小さな車を無理して買い
平日は、互いに弱音を吐き合いながら
週末が来るのを、カウントダウンして
生きていく為に仕事をし

週末になると、平日に決めた「今週の場所」へ出掛けます。

「仕事の弱音を吐く」と言う事は
典型的な昭和の夫には、ありませんでした。

それだけ仕事に、自分の生きる評価を全て
委ねていた生き方だったと思います。

稼ぐ事が、自分の全てとする生き方は
とても困難であり、苦労も絶えないと思います。
そして、誰にでも出来ることではありません。

ですが下手をすると
稼いでいれば、他の事は全て良し・・・
という生き方になってしまう危険性も含みます。

家庭は、稼ぐという事だけでは成り立ちません。

もちろん「お金」は、
生きていく上で、欠かせない大切なものです。

それも、かなり優先順位の高いものだと言うことも、承知しています。

ただ、ひとつであって、全てではありえません。

幸せ自体には、色味が無くて
人の様々な想いや、空気感が重なり合って
だんだんと幸せが
名前の無い色味を纏って行くような、そんな気がするのです。

身の丈にあった幸せを
私たちは夫婦は大切に、育てなければなりません。

かつて昭和初期に建てられた「団地」という建物は
庶民に大きな変化と、新しい幸せの形を与えてくれました。

そこから人は、たくさんの変化を繰り返し
規制を守ったり、破ったり
ノーマルと言われたり、型破りと言われたり

たくさんの進化は、私たちの知恵の変化をも必要としました。

どんな時代の夫婦も
変わらないことと
時代や暮らしの変化に伴って
柔らかく変わること
この2つを待ち合わせたら
たいていの困難は
乗り切ることが出来る気がするのです。

1人を選んだあの時の私は
今、進んで2人になり
自分の好きな話をして
なるべく相手の顔色を伺うことをやめる様に
努力しています。

「顔色を読まない」というのは
私にとってはけっこう、それまでの習慣を覆す事なのですが

ひとつの心持ちを、一方が多く持ちすぎると
バランスを崩します。

私の伝えたいことが
同じ温度で、伝わらない事があっても
それは、憂いを感じる事ではなく
上手く淘汰する感情のひとつだと
今は思っています。

ポジティブな諦め方を学んで
代打策を立てる知恵を、持てたのかも知れません。

どちらにしても
何があっても
どんなに細々と悩んで止まってしまっても
変わる事を諦めずに
覚悟をしていけば
歩く道は細くとも
開けていくのだと思いました。

孤独が好き…なんて
本当に1人で生き抜いている人は、口にしないものだと思います。

私は弱虫だから
1人では生きて行けないでしょう。
でもそれは「1人が淋しい」からではなくて

誰かと共に生きることが、とても楽しいからです。

イラッとしたり、期待ハズレだったり
反対に、不手際を謝ったり、反省したり…

私の幸せは、ひと色ではありませんが
それはそれで
少しずつ味わいのある色味になって来た様な、この頃です。

思わぬところで躓かぬように驕らず
ささやかなトキメキに感動して
それがより長く続くように願いながら。

また苦難の日々がやって来たら
一度は立ちすくんでしまっても
また気がついて
しなやかに変容できたら嬉しいです。

何もかも「生きづらい」とは思わないのです。
ただ少しだけ考え過ぎてしまって
時間が人よりかかるだけで

だからきっと、見過ごすような小さな幸せを
感じられると思っていたいのです。

そんな風に想う今日は
私にとって、特別な日ではありません。
これが私の「今」
等身大の日常なのです。

HSPは、けして決定的なダメージではないと思うのです。
きっと解りにくいけれど、どんな場面でも
開けられる風穴は、存在するはずです。

そんな性格の癖を
強みに変えられる方程式なんて
カッコ良すぎて、見つからないけれど
時間と手間をかけて煮込めば
きっと「ちょうど良いさじ加減」は、見つかるはずと信じます。

1人も好き
あなたと一緒にいるのも好き
好きはたくさんの方が幸せ・・・な私です。


ギャラリーからお借りしたのは
「hoho」さんの作品です🥀ありがとうございました












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