学校はいつから生徒に自ら服従させるようになったのか?
また、学校がそうなったのは誰にどんな意図があったのか。
この答えについても、200年以上前の爆発的に普及した教育システムに今も縛られている事が理由でした。
ジョゼフ・ランカスターのつくった「モニトリアル・システム」という教育システムは、1810年当時にはとても画期的なシステムで、瞬く間にヨーロッパ全体に広がっていきました。
そのシステムというは、先に教育を受けた生徒(モニター)がこれから教育を受ける生徒に授業をするというものでした。モニターは10名程度の生徒を受け持っていました。(この1まとまりをクラスという。)
貧しい子供達が貧しさから抜け出せるように、多くの子どもたちを受け入れて、誰でも教育が受けられる学校を作りたいという思いからこのシステムは生まれました。
多くの子供たちを受け入れると教師が必要になりますが、そこを生徒(モニター)に任せることで、費用を抑えることができたといいます。
また、生徒が生徒に教えるので内容はシンプルでなくてはならず、創意工夫が必要になるのも大きなメリットでした。
上記の様に,システム化をすることで多くの子どもたちに教育を普及することが可能になりました。これはとても重要なことで,多くの充分に教育が受けられなかった貧しい子どもたちは救われてきました。
しかし,今は時代が大きく変わっています。
日本において教育は義務になり,誰でも受ける必要があるものになりました。誰でも教育を受ける事ができる時代です。その中において,受身的に何かを教育されるのではなく,何を教えてもらうか選択をすることは改めてとても重要な事だと気づく事ができました。
この記事は「冒険の書」著者:孫泰蔵 の中に出てくる「問い」についてまとめています。
また、「冒険の書」を記事にしようとしたきっかけは下記のnoteにまとめました。
興味があればぜひご覧ください。
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