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学校はいつから生徒に自ら服従させるようになったのか?

また、学校がそうなったのは誰にどんな意図があったのか。

この答えについても、200年以上前の爆発的に普及した教育システムに今も縛られている事が理由でした。

それは、現在の教育システムの重要な一部である「クラス」というしくみにあったのです。

p53

ジョゼフ・ランカスターのつくった「モニトリアル・システム」という教育システムは、1810年当時にはとても画期的なシステムで、瞬く間にヨーロッパ全体に広がっていきました。

そのシステムというは、先に教育を受けた生徒(モニター)がこれから教育を受ける生徒に授業をするというものでした。モニターは10名程度の生徒を受け持っていました。(この1まとまりをクラスという。)
貧しい子供達が貧しさから抜け出せるように、多くの子どもたちを受け入れて、誰でも教育が受けられる学校を作りたいという思いからこのシステムは生まれました。

多くの子供たちを受け入れると教師が必要になりますが、そこを生徒(モニター)に任せることで、費用を抑えることができたといいます。
また、生徒が生徒に教えるので内容はシンプルでなくてはならず、創意工夫が必要になるのも大きなメリットでした。

その後、イギリスの教育者サミュエル・ウィルダースピンが「ギャラリー方式」と呼ばれる新たな教育法を開発します。これは、階段状のところに数十人の生徒が座り、正面にいる教師からいっせいに授業を受ける方式です。これにより、教師はすべての生徒を見わたせるようになっただけでなく、生徒も他の仲間の行動を見ながら学習を進めていくことができるようになりました。
そして1862年、この2つのしくみがイギリス政府によって合体されます。生徒の出席日数や学力などに応じて国が学校に補助金を出す制度がつくられると、粒をそろえたほうが効率的に教育できて補助金をもらいやすいということで、同じ年齢の子どもたちでクラスをつくる「学年制(gradesystem)」が生まれます。そして、同じ学年の子どもたちが同じカリキュラムを一緒に学ぶという形式ができあがりました。

p58,p59

上記の様に,システム化をすることで多くの子どもたちに教育を普及することが可能になりました。これはとても重要なことで,多くの充分に教育が受けられなかった貧しい子どもたちは救われてきました。

しかし,今は時代が大きく変わっています。

日本において教育は義務になり,誰でも受ける必要があるものになりました。誰でも教育を受ける事ができる時代です。その中において,受身的に何かを教育されるのではなく,何を教えてもらうか選択をすることは改めてとても重要な事だと気づく事ができました。


この記事は「冒険の書」著者:孫泰蔵 の中に出てくる「問い」についてまとめています。


また、「冒険の書」を記事にしようとしたきっかけは下記のnoteにまとめました。
興味があればぜひご覧ください。

#冒険の書 #教育とは #キャリア教育 #STEAM教育

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