① 母と認知症と家族のはなし
2年ほど前からの出来事を振り返りながら、記録として残していきたいと思います。
姉からの突然のLINE
2022年8月9日 13:17。
私のスマホの通知音が鳴った。確認すると、姉からのLINE通知だった。
読んでみると、軽いタッチで重い内容の報告が書かれていた・・・
『お母さんの近況ですが、まだ話していなかったんだけど・・・
今年の1月末ぐらいに、物忘れ外来を受診したんだけど、初期のアルツハイマーという診断が出たんだよ。まぁ、初期の初期らしいので、これからどうなるかはよくわかりません。
短期記憶が弱くなってて、時々昔の事とかもすっかり忘れていることが多いの。きっかけを与えると思い出すけどね。
普通に会話しているだけだと、全然認知症だなんてわからない程度です。時間があるときに電話下さいー。』
えっ???
物忘れ外来?
アルツハイマー?
突然パンチのあるワードに度肝を抜かれる私。な、なんで、診断が出て半年以上経ってからの報告なの?
この時、ちょっと怒りすら感じてしまったことを思い出す。
出先だったので、直ぐに折り返しの電話ができず、その日の夜に姉にLINE電話をしている。日をまたいで4時間近く通話していた記録が残っていた。
姉は、私より3つ年上で、実家と同じ市内のマンションで一人暮らしをしている。実家からバスで10分程のところだ。
姉には視覚障害があり、白杖を使わないと外出ができない。
実家は、父と母の二人暮らし。二人とも当時、誕生日前で81歳。
これまで母は、定期的に姉のところに行き、一緒に買い物をしたり、習い事に出かけたり、病院受診をしたりする生活をしていた。
私はと言えば、2020年に始まった、コロナ禍の緊急事態宣言が出てから約2年間、まったく両親や姉には会っていなかった。
その間、母とは時々LINEや電話で会話はしていたけれど、違和感は持たなかったし、ましてや認知症とは思いも及ばなかった。
さて、どうして姉が母を、物忘れ外来に連れて行こうと思ったのか。どんなきっかけがあったのだろうか。
それは『絶対に忘れるはずがないことを思い出せなかった』からだった。
姉は、生まれつき視覚障害があったわけではない。25年ほど前に行った、脳下垂体腫瘍の2回目の摘出手術をした時に、ほとんどの視力を失ってしまったのだ。
本人や家族にとって、本当に辛い経験であり、一生忘れることのできないことである。
ある日、姉と母が雑談をしていると、
「どうして目が見えなくなっちゃったんだっけ?」
と母が聞いてきたそうだ。
姉は驚いて手術のことを話すと、母は思い出せたようだが、姉はこの出来事に強烈な違和感を抱いた。
そしてこのことをきっかけに、母を物忘れ外来に連れて行って診てもらおう決めたのだ。
父に、母の受診の相談をしたが、
「認知症とは思わない。認知症のような症状は感じたことがない。病院に行く必要があるのか?」
と突っぱねられたらしく、結局、姉がいろいろ手配して、物忘れ外来に母を連れて行ってくれたのだった。
問診、長谷川式認知症スケール、頭部CT検査、脳の血流を調べる検査、などを行った結果、軽度のアルツハイマー型認知症であるとの診断が出た。
軽度認知障害は、MCI(Mild Cognitive Impairment)と言われている。 そしてMCIは、まだ認知症とまではいかないが、健常でもないという、認知症の入口にいるというイメージというところか。
診断が出たことで、物忘れや見当識障害など、認知症の症状進行を遅らせる、パッチタイプの薬が処方されている。
姉からLINEがあったこの日以降、私も母に連絡をとったり、様子を伺いに行ったりと実家に介入していくことになっていく。
今後のことを考えると、漠然と不安が溢れたのを覚えている。
つづく