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【連載】かくれ念仏/No.22~出水の「衆力奏功」碑について~


●出水の「衆力奏功」碑について

出水に「五万石溝」と呼ばれる水路がある。米ノ津川の中流域にあたる大川内下平野から取水し、山地を迂回して大野原へ水を引き込み、米ノ津川河口に水をはかせる、総延長約20㎞、工事期間20数年、70万貫の費用をかけた一大事業の水路であった。1734(享保19)年に完成し、この水路のおかげで、後代の出水は稲光る穀倉地帯になった。

この五万石溝の折尾野(おりおの)井堰(いせき)に「衆力奏功」と刻まれた明治期の石碑がある。字の通り読めば、「みんなの力で成し遂げられた」くらいの意味だろうが、このことについて、『薩摩のかくれ念仏 その光りと影』(かくれ念仏研究会編/2001年/法藏館)には、「この過酷な作業に耐えなければならなかった農民の心の支えとなったのはいったい何だったのだろうか。それは薩摩藩が厳しく禁止していた浄土真宗、一向宗の教えだった」、「「衆力奏功」の四文字は、身分の壁をこえて人間は皆平等であるという親鸞の教えに通じる言葉のように思える」と記され、「禁制の時代に新田開発などの工事に携わりながら信仰の火を灯し続けた農民の不撓不屈の精神があったことを思いおこすべきではないだろうか」と結んでいる。

しかし、本当にそうだろうか。「衆力奏功」という語ははたして本当に真宗由来の成句だろうか。少なくとも拙見では、このような言葉を全く聞いたことが無い。疑問に思った私は、2020年秋、出水市立出水歴史民俗資料館や出水市高尾野郷土館を訪ねて、学芸員さんや館長さんにお話を伺った。

結論から言うと、碑は真宗とは関係のないものだろうとの見解を示された。まず土地にそういった謂れを聞いたことが無いし、事業に携わった人たちと、真宗の信仰のあった地域とは一致していないため、真宗が五万石溝工事の原動力になったという可能性は極めて低い、いや皆無だろうと言われた。

また、九州農政局や一般社団法人九州地方計画協会等のHPでは、件の石碑は水神碑として紹介されている。また、同じ水路には要所に多くの水神碑があり、中にははっきりと「水天神」と彫られているものもある。やはり工事に携わった方々が十把一絡げに真宗門徒だったとはとても断言はできなさそうだ。

これらのことから、件の説はいささか郢書燕説(えいしょえんせつ)・美談に過ぎると思われる。

ちなみに五万石溝は、そもそもの設計に無理があったこと、維持管理の労力とコストが莫大だったこと、その管理も農民の夫役(ぶやく)によって賄われていたため、郷士たちは補修改良の身銭を切らず、後には無統制になり、上流では水が余り、下流域では水不足になることもしばしばあったため、経年ごとに劣化が凄まじく、昭和期の灌漑事業を以て役目を終えた。

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